幼い日に聞いた音
小塩節さんの『自分に出会う~ある生い立ちの記』(青娥書房 2004)を読んでいる。この方の人生、時代は違うが、共通点が多くて、わが事のように感じる。牧師の息子として生まれ、信仰を持ち、東大に入り、研究者としての道を歩む。
読んでいると、自分のことを思い出す。
なんか書き留めたくなってきたので、今までROMだったnoteに綴っていこうかと思った。
「幼い日に聞いた音」
小塩節さんが幼い日に聞いた音は、教会の賛美歌、海軍軍楽隊の行進曲、蓄音機で聴いたバッハ、ブラームス、シューマンのレコードだそうだ。海軍軍楽隊、蓄音機というあたりに時代を感じる。小塩節さんは、1931年長崎生まれ。
私は、山形市生まれ、3歳の時に岩手県大船渡市に引っ越してきた。山形での記憶は、教会の煙突と階段の映像。音の記憶はない。
大船渡で住んだのは、牧師館、礼拝堂が一体で普通の民家のように見える教会。ある日曜日に兄が風邪をひき、礼拝に出られないことになった。母が、「お兄ちゃんにも聞こえるように、大きい声で歌ってね」と言ってたのを覚えている。礼拝堂と牧師館は一つ屋根の下なので、大きい声で歌わなくても、隣の部屋から聞こえてくるはずだった。その日、初めて意識的に賛美歌を(大きい声で)歌ったのだった。私にとって、賛美歌は「聞こえてきた音」ではなくて、自ら歌う音楽だった。音の記憶としては残っていないが、当時の子供讃美歌80曲は、そらで覚えていたので、相当聞いていたのだとは思う。
クラシック音楽では、ラジオから聞こえてきた「バロックの森」が耳に残っている。居間にあるラジオでこの音楽を流しながら、台所で母が朝食を作ってくれるのだった。幼稚園年長の時に、バイオリンを習いたいと言い出した。すでに姉が一年位前に始めていたのだった。姉の練習曲を聞くともなしに聞いていたので、音楽は頭の中に入っていた。あとは自分で奏でるだけだった。ひたすら、姉がさらった曲をマネするだけだった。
ある日、音楽教室でのレッスン前に頭の中に音楽が流れた。「おさるが、木靴をはいて、丸木の橋をわたる」といった内容の童謡だった。庭に出て自分で歌ってみた。中にいた姉に聞こえたらしく「まるで曲になっていない、恥ずかしい」と叱られた。どこかで聞き覚えた曲を歌いたい、奏でたいという欲求はもっていたようだ。
残念だったのは、「バロックの森」で流れるバイオリンと、自分の弾くバイオリンが同じものとは思えず、あの曲が弾きたいなどと思うことはなかった。でも、バロック音楽は頭の中に残っていたのだと思う。高校生になって古楽を聞いたときに、とても懐かしい気がしてのめり込んだ。今では、バッハ以前の音楽が一番好きだ。
表題のとおり、小塩先生は自分に聞こえてきた音の記憶を綴ったが、私の最初の音の記憶は、聞こえてきたおとではなく、自分が発した音の記憶だ。