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東西ありがたいお言葉対決@京都 (ひとり旅エッセイ)

関西ひとり旅2日目。
神戸に別れを告げて、京都までやって来ました。

神戸での夜のお話↓


乗り換えの大阪からたまたま乗った阪急電車は「京とれいん雅洛」という観光列車で、車内には畳のシートもあり、和の装飾がすごかった。小さな庭園もあった。

そこはもう京都だった。

四条大宮の宿泊先へ早めにチェックインし、荷物を身軽にして京都の街をぶらつく。

久しぶりの京都。
これぞニッポンの街並み。

しかし忘れていた。
ここは外国人から話しかけられまくる街なのだ。

「ちょ、兄ちゃん!ここで写真撮ってくれへんか?」

和に浸っている時にいきなり英語で来られると怯む。咄嗟には頭が回らず「え、ぼぼぼ、僕と一緒に、おおお、お写真をですかい!?」と思ってしまった。

欧米紳士のスマホを預かり、街並みを背景にシャッターを押し、よそ行きのスマイルとともに渾身の「ハバナイスディ!」をお見舞いした。

バスに乗っていると、ヨーロッパマダムが困り顔で僕のところへやってきた。

「なぁ……お金っていつ払たらええんかな?」
「んーと、あれよ。ここをさ、あのぉ、こう……」

わりとしっかりご案内しなければならない質問を喰らい、緊張感で全く英単語が思い浮かばずモゴモゴした。もう必死になって、全身で「バスを降りるジェスチャー」に挑戦した。

「あー、降りるとき、で、ええのん?」

お、伝わった!
そしてヨーロッパマダムから、僕が忘れていた「get off」を引き出せたので、もうこっちのものだ。

「そうそう、バス降りるときに払えばいいんだよ。ちなみに何で払う感じ?あ、Suicaね。それならあのさ、あそこの青いところにピッてすればいいから」

数秒前のモゴモゴが嘘のように、それは喋った。
マダムは若干引いていた。

バスを降り、浄土真宗の本山である西本願寺に到着した。

このあと行く予定の東本願寺も浄土真宗の本山であるが、なんだか複雑な歴史によって派閥が分かれているようだ。

御影堂で手を合わせ、阿弥陀堂で読経していたので畳に正座し、しばらくお経を聴いていた。

境内で、日本人の老夫婦がひとりずつ交互に写真を撮り合っていた。僕はそのご夫婦に声をかけた。そこに迷いはなかった。

「あの、おふたりで写真、お撮りしましょうか?」
「あら、お願いしようかしら!」

国宝を背景に、おふたりの写真を撮った。少し照れくさそうにカメラを見つめる姿が、なぜかとても嬉しかった。

「本当にどうもありがとう!」
「いえいえ、旅行楽しんでくださいね!」
「ええ、お兄さんも道中お気をつけて!」

山門を出ると、西本願寺からのありがたいお言葉が掲げてあった。

『人はひとり。だからこそ、ご縁を見つめたい』

ひとり旅中のこの言葉は響くぜ……
そして、さっき声をかけてくれた外国人や、さっき声をかけたご夫婦のことを思った。

さらに少し歩いた先に、またお言葉を見つけた。

『誰もが、ただ、いていい場所』

優しすぎる。あたたかすぎる。
「いていい」だなんて。
それもしかも「ただ、いていい」のだから。

このお言葉によって、僕はこの西本願寺のことが大好きになった。これからの人生、また何か道に迷ったら、ただここに来ようと思った。

地図を見ずに、その名の通り東の方向へ10分ほど歩いて、東本願寺へと辿り着いた。

ここはここで、東本願寺によるありがたいお言葉が至る所に掲げてあるではないか。

『死をみつめると生が問われる』
『悲しみ 苦しみ 悩み 痛みは 人生の味』
『人と生まれたことの意味をたずねていこう』

なるほどなるほど、つって眺めながら。

でも、申し訳ない。
ちょっと多いな、って。

いや、もしかしたら西本願寺にもたくさんあったのかもしれないけれど、とにかく東本願寺はお言葉の数がすごい。5メートルにひと言くらいある。

『人は出会いによって育てられ、人生は別れによって深められる』

うんうん、まあ、そうですよね。
だからどちらも大切なんですよね。

西は心で感じるような言葉で、東は脳で理解できる言葉だな、なんて思った。

東本願寺はまだまだお言葉をくれる。

『物事をありのままに引き受けられない私』
『自分の思いを叶えるために神も仏も利用する私』

おや、ちょっと!どうした!
ありのままに引き受けられなくたっていいんだよ。

神も仏も、いくらでも利用していいんだよ!

誰もが、ただ、いていいんだから。
ここだってそうでしょう?
だからあんたも元気出しなよ。

量の東、質の西。的な。
いやぁ、僕は西が好きだな。

ただ、境内と建造物はどちらも圧巻だった。

圧倒的な規模感も、お堂の中の煌びやかさも。
そしてその静けさに心が洗われた。

あ、そうそう。
お寺にあまり興味がない人とか、神社の方が華やかで好きなんだよねって人とか。

西本願寺や東本願寺のように、宗派の「本山」になっている寺院には是非行ってみてほしい。

その規模感を、空気を、目一杯体感してほしい。

そこは誰もが、ただ、いていい場所だから。

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