徒然なるままに@京都 (ひとり旅エッセイ)
関西ひとり旅最終日。
僕にとっての京都を感じに行きました。
前日は東西の本願寺でお言葉に触れました↓
みなさま、京都といえば何ですか?
清水寺、嵐山、八ツ橋、舞妓さん、よーじやのあぶらとり紙。
そのあたりでしょうか。
違いますね。
京都といえば、徒然草です。
とりあえず聞いてください。
徒然草というのは、鎌倉時代に吉田兼好によって記された随筆。
「なんか暇だし、あることないこと書くわ」的な、有名な序段で書き出されるエッセイなのだ。
そしてそれは主に京都が舞台とされている。
僕は徒然草の全てを読んだことがあるわけではない。
でも学生の頃からなぜかずっと忘れることのない、心に残っている話がある。
それは第52段「仁和寺にある法師」のお話。
本当に簡単に、どんなお話かというと。
==========
仁和寺にいる坊さんのことなんだけどね。
いいおっさんなのにまだ「石清水八幡宮」に行ったことない、つって気にしてて。
だから思い立ってこの前ひとりで行ってきたらしいのよ。
したらさ、麓にある極楽寺と高良神社を石清水八幡宮と思い込んでお参りしてきちゃったらしくって。
でもあいつそれに気づいてないから。
「ついに長年の思いを遂げたぁ」なんつって。
「でも八幡さまはこんなもんかぁ」なんつって。
実際八幡さま行けてないのにね。
でね、帰ってきてから友達に言ったらしいのよ。
「いんやぁ、わしもね、ついに石清水八幡宮のほうへね。
ええ、そりゃもう『パンパンッ(柏手)』つってね。
ついにね、やり遂げたわけよ。
でもさ、なんかみんな山を登っていくわけ。
何なん?なんかライブでもやってんの?って思って。
なんかあるなら行こうかとも思ったけどさ、今回は登山なんて目的じゃないからさ、行かずに帰ってきたのよ」
って。いやいや、頼むぜ。
誰か些細なことでもちゃんと案内したってよ。
==========
あぁ、こんな訳、古文の先生に見られたら怒られちゃう。
でもこんなお話ね。
僕は、徒然草のこの段に触れた時から「そんなことあるの?」って心に残っていたのだ。
それなら実際にやってみるしかないな、と。
関西滞在最終日、朝早くから嵐電を乗り継いで「仁和寺」に到着。
まずは坊さんのホームの風を浴びるのだ。
仁和寺の風はとても気持ち良い。
仁和寺は荘厳で、心地よい静寂に包まれていた。
また、拝観料を払って見学する御所庭園は本当に美しかった。
庭園の順路に沿って歩いていると、ウェディングフォトの撮影に遭遇した。邪魔しないようにと隅っこで立っていると、新郎がとてもスマートに「あ、ごめんなさい。お通りください!」と言ってくれた。
そのスマートさに、僕は末永い幸せを願った。
仁和寺の雰囲気を満喫し、石清水八幡宮へ向かう。
当時の坊さんは徒歩だろうが、令和の今は電車で行けるのだ。
JRと京阪線を使って最寄り駅まであっという間だった。
着くとちょうどお昼時だったので、駅前の朝日屋でランチ。
天せいろと、名物の鯖棒寿司を食べた。
店内には安住アナのサインが飾ってあった。
ぴったんこカンカンが来ているなら、このお店は間違いない。
僕は安住アナをかなり信頼している日天リスナーなのだ。
ケーブルカーに乗って、石清水八幡宮の参道まで辿り着いた。
少しばかりの山道を歩くと朱色に輝く本殿と対面した。
僕は「八幡さまってこんなもんかぁ」と思ってしまった。
正直言うと、仁和寺の方が圧倒的に好きだった。
八幡さまの参拝を終えたが、僕にはまだ、高良神社に行くという目的がある。麓にあるという情報は徒然草から得ているので、とにかく下山した。
下山にはケーブルカーを使わなかった。
ここからは足で行ったる。
山道は整備されているものの、木々が生い茂り、薄暗くて、どこか神秘的な雰囲気をずっと感じた。そしてこの雰囲気がなんとも不安になってくるのだ。スマホは早い段階で圏外になった。
途中、数メートル間をただ行き来しているだけのおじいさんとすれ違った。きっと地元の人で階段昇り降りのトレーニングをしているのだろう。
……そう思わせてくれ。
僕だけに見えてた翁とかはやめてくれ。
そんな神秘的な雰囲気の何かから逃げるように、急ぎ足で下山した。
八幡さまは涼しかったのに、もう汗だくだった。
平地に降りてきてすぐ、高良神社の鳥居を見つけた。
鳥居をくぐり、小さな祠の前で拝んだ。
なるほど、ここが、仁和寺の坊さんが「あの石清水八幡宮」だと思い込んだ神社か。
いや、その、絶対わかるだろ!
高良神社も由緒あって、趣もあって素晴らしいけど、どことなく「実家の近所の氏神さま」感があるのよ。
そしてここまで来て石清水八幡宮への参拝が出来なかった仁和寺の坊さんに想いを馳せて、ちょっとだけ切なく笑ってしまった。
こうして仁和寺から石清水八幡宮へ来たことによって、僕の中で徒然草の深みが増したのでした。
もう令和の時代ともなれば、仁和寺から電車とケーブルカーを使えば1時間ちょいで石清水八幡宮まで間違えずに、確実に辿り着ける。
今や案内もそこら中にあるし、いくらでも調べられる。
だから旅においても、人生においても、ミスが起きづらい。
いやしかし、それって、本当に良いことなのかな。
なんて思いながら、僕は令和に随筆を書いていこうと思った。