「平行線」の背景
「平行線」という曲に込めた想いについて、ご質問があったので、私なりに書いてみようと思います。それぞれの解釈で聴いて頂けるのが一番ですが、もし興味があれば、読んでみてください。
「平行線」という曲に込めた想いは、歌詞では「私」と「貴方」の二人の想いになっていますが、あれは当時19歳の私が、自分の家族のことを想って、その時行き着いた答えのようなものでした。
どこの家庭も何かしらはあると思うのですが、私の家族も本当に色々乗り越えて来たなという感じで、当時口には出せなかったけど、皆んながばらばらになっていくことに苛立っていたし、とても心を痛めていました。カナダから帰って来た後、東京で美大の予備校に通い、毎日何時間もデッサンをしていました。その時、画用紙に鉛筆の線を走らせながら思い付いたのが「平行線」の歌詞でした。
今ではもうすっかり年月が経ちましたが、あれから何年もかけて、それぞれの孤独な時期を乗り越え、やっと今の家族があるという感じです。数年前の正月、実家に帰った時、朝、お雑煮の出汁を作りながら、鶏の皮を入れるか入れないかで両親が喧嘩してる姿を見た時は、「なんて平和なんだろう」と思えました。笑
私も相当不器用ですけど、10代の頃、私の最大限の愛情の形は「平行線」だったんだと思います。とっても愛してるけどどうしても距離が必要で、けれどそれでも諦められない気持ちがあの歌詞に表れたのだと思います。
「家族」という枠組みから一旦離れて、遠いところから眺めてみると、一人一人の事情が見えてくる気がしていました。
昔、両親はとても厳しくて、特に父親とは大人になるまで真面に会話をしたことが無かったのですが、あの孤独な時間が歩み寄る機会をくれたように思います。不器用過ぎる愛には、今は笑ってしまうくらいです。
Croquis の曲達には、あの時の独特なパワーが宿っていて、辛いことがあればある程、諦められない反骨心が湧いたし、現実はヒリヒリしたけど、その中にも、信じれるものや光がたくさんありました。
何かあるのが家族なんだろうし、何かあるから気持ちが深まるのだと、毎日学んでます。これが現実の光だと思う。
そんなヒリヒリの現実の中で、見つけた友情の一つがこれです ↓
私、厳しく育てられたはずなのに、、、、 笑
これは学校のイベントであった、Cross dressing day (男女が入れ替わる日)の時の写真です。カナダで羽を伸ばし過ぎました。。。
立ち止まっていられないくらい、賑やかな日々でした。
また他の曲達についても、追々書いてみようと思います。