苦手だったことが得意になった瞬間について③

どうも!ゆしです。年末年始は大好きなキャンプ尽くしでした。いやー楽しかった!
明日から仕事始め!頑張ります。

それでは②の続き。
(本投稿をご覧いただく方は、宜しければ、
初投稿の「苦手だったことが得意になった瞬間について②」をご覧いただいた後、ご覧ください!)

入社2年目の終わりに体験した製品勉強会の講師を経て、
大の苦手だったプレゼンが少しだけ好きになりました。
3年目では部署を異動し、花形の営業職へ。
そこからまた様々な経験をします。
細かい話は追々話しますが、
入社8年目、つまり2021年10月〜12月の2ヶ月間に、人生で忘れられない経験をしました。

2021年9月、社内にてオンラインWEB製品プレゼン大会が行われることが発表されました。趣旨としては、コロナが終息しない世の中で、非対面での製品プレゼン力が必須であるとされ、その大会に発表者、聴講者全員が参加することで、そのスキルを相対的に上げるべく、本大会が開かれたのです。

まずは参加者決めです。各営業所から1人、立候補or指名で選ばれます。私の営業所では、特に誰も立候補する人間がおらず、消去法で私が任命されました(所長から半ば強制的に、、、)。

この時の私は正直言って物凄く嫌悪感丸出しで、大会に対して後ろ向き。大会に出ることが嫌でたまりませんでした。
理由は、2つ。1つは大会に出ることでプレゼン資料の作成や発表練習に膨大な時間を要し、本来すべき業務に支障が出ないか心配だったから。
もう1つは、自分のプレゼン力に自信が無い部分があり、人前で話すことにやはりまだ抵抗があったからです。
前述の通り、それなりに社内でもプレゼンを評価されていた私でしたが、部署が変わり、定例プレゼン発表会をしなくなって5年が経っており、アウトプットの機会が以前より圧倒的に少なくなったこともあり、少し自信を失っていました。

ただ、任命されたからには、やるしかない。
すぐ、思考を切り替えました。
嫌々物事をやるのってただただ辛いし、苦しい。その事を十分理解していたので、完全に思考を切り替え「やるからには全国優勝するぞ!」と、
とにかく前向きに目標を定め進んでいくことを決心しました。

それから地方予選1回戦。発表直前までかなり資料を作り込みました。発表の練習もそれなりにやり、
結果見事1回戦突破。80名の中から選ばれた7名の中で1位を取り突破しました。
しかし、プレゼンの出来はというと、これが酷かった。久々の大勢の前でのプレゼンで完全に雰囲気に呑まれ、本来の力の60%も出せず、声は上ずり、震えました。話すスピードもかなり早かったと思います。しかし、考えに考え抜いた資料と、後半の持ち直しで今まで培ってきたプレゼン力を発揮することができ、その点が加点され、なんとか突破できました。評価コメントもそれなりに高い評価をいただきましたが、初戦にして完全に自信を失いました。


とは言え、2回戦が3週間後に控えている状況で泣き言は吐けません。とにかく気持ちを奮い立たせ、練習を重ねました。


この時が1番苦しかった。


初戦にて完全に失敗した私の脳裏には、過去に出来なかった時の失敗経験がいくつも浮かび、その度に恐怖感が私を襲いました。
「失敗したらどうしよう。負けたら皆どんな反応をするだろうか。」ネガティブな思考が頭を駆け巡ります。

とにかく不安でした。

でも、それでもやっぱり負けたくなかった。
絶対に優勝すると誓ったんです。
優勝して、今までに自分を下に見て馬鹿にしてきた先輩達を見返したい。こんな自分でも実力でのし上がれる所を見せつけたい。もっと上司に評価されたい。
そう思って、何度も何度も練習しました。

そして2回戦本番。140名の中から選ばれた、私を含む3名で順番に発表。オーディエンスは200名ぐらいだったでしょうか。
結果見事1位。
これは嬉しかった。懸念していた過緊張によるパフォーマンスの低下は最小限に抑えつつ、堂々とパフォーマンスできました。評価コメントも、高評価の内容がかなり多く、本当に涙が出る程嬉しかった。
しかし、上手に喋ろう、噛まずに喋ろうと意識するあまり、喋るスピードが早くなり、抑揚があまり出ず、プレゼンとしてはこれまたクオリティ不足。自己評価としては80点。

ただ、もう後ろを振り返ることはしませんでした。ここまでやり切った自分を認め、200名の前で同等とパフォーマンスした自分を褒めました。
そして、改善点である「スピード」をとにかく意識し、「オーディエンスが聴きやすいスピード」を意識した練習をするようにしました。

とは言え、これが難儀だった。と言うのも、本来20分あっても足りない当該発表機種のプレゼン。
それを10分に集約しなければなりません。
そう、発表制限時間10分という、決められた厳しい枠組みがあったのです。これには本当に苦しめられました。

とにかく普通に喋るスピードだと15分かかる所を10分で喋っていたので、スピードを落とすと時間オーバー。故に現在のボリューム内容を絞らなければならない。だが、絞り過ぎると重要なPRポイントが削ぎ落ちてしまう。ジレンマでした。

そごで、様々な先輩や上司、妻の意見を聞き、
最適なスライドの量と質を担保。
取捨選択を繰り返し、なんとかオーディエンスが聴いても早すぎない、「適切なスピード感」のアウトプットを体得しました。


そして、迎えた準決勝3回戦。600名ぐらいでしょうか。その中から選ばれた私を含む5名で準決勝を行い、ぶっちぎりの1位通過。

正直、やる前から絶対に勝った!と思いました。
絶対の自信があったからです。
喋るスピード、抑揚、適切な間、声の大きさ、テンポ感を徹底的に意識して練習してきました。
そして資料のクオリティもブラッシュアップを重ねた。
絶対に負けるはずがない、という次元で戦った結果、多くの称賛を受けました。
自己評価は95点。本当に満足のいく出来栄えでした。普段滅多に褒められることのない直属の部長からも「とても聴きやすかった。天性の物があるね。」とお褒めの言葉をいただきました。


あとは、残すところ全国大会決勝。

ここまで来たら、自分を信じるだけでした。



でも、途中、

不安に駆られました。


そんな時、なぜ自分がこの大会に出ているのか、この大会で何を成し遂げたいか、考えるようにしました。


そもそも、なぜ私は2回戦まで最大のパフォーマンスが出せなかったのか。

それは「他人の目を気にしていたから」です。

自分をよく見せよう、失敗するなんてダサい所見せられない、スマートにカッコよく発表するんだ。

そのようにベクトルが自分に向いていたことに気付きました。

自分を恥じました。

それをして、何になるのか。


そもそもなぜここまで来れたのか。

理由は明白でした。
それは、たくさんの方々が私を支えてくれたから。これ以外に理由はなかったんです。

プレゼンが大の苦手だった自分に、プレゼンのイロハを教えて下さった、入社当初配属された時の部署の先輩方。

誰よりも私の練習に付き合ってくれた妻。

いつも応援してくれた、同じエリアの同僚、先輩方。

たくさんの方々に支えていただいたお陰で今ここにいる、そう分かった時、心の底から感謝の念が湧いてきました。

「全国大会に優勝して、優勝スピーチで、今までお世話になった方々に感謝の気持ちを伝えたい。」
心からそう思えるようになり、
いつしかこれが原動力になっていました。


それからの私は、
練習量を今までの倍にしました。
苦しかったです。でも、優勝する自分をイメージすると勇気が湧いてきました。
そして、感謝の念を伝えた時に皆が嬉しそうに喜んでくれる所をイメージすると、とても幸せな気持ちになりました。
絶対に自分ならいける、そう確信しながら日々を歩んでいきました。


迎えた決勝。全国1,000名の中から私を含む5名の代表が選出。
オーディエンスは400名程度。
今までプレゼンしてきた中で最もオーディエンス数の多いプレゼンでした。

しかし、もはや緊張しませんでした。
絶対に優勝したい。感謝の気持ちを伝えるんだという気持ちで挑んだ結果、緊張が吹き飛び、もしろワクワクしていたのを今でも覚えています。

10分間に全てを込めました。


結果は残念ながら全国4位。
あまりの悔しさに愕然としました。

でも、後悔はなかったです。
間違いなくあの時の自分は、
あの時持てる力を出し切れたと断言できます。
だから、誇らしかった。
堂々と、誇れる自分になれて幸せでした。

そして、達成感に満ちた私に向けて、
今までお世話になった方々から、
「かなり練習したことが伝わる良いプレゼンだった。」とか「皆で見てました!感動しました!」とか「本当に成長したね!よく頑張ったね!」と言った多くの言葉をいただきました。

ここまでやってきて、死ぬ気でやってきて良かったと心から思えました。


そう、確かにあの時、
私はプレゼンが大の苦手でした。
物覚えが良くなく、決して頭も良くない。不器用で緊張しいで、人目を気にする。人前で話すことが苦手でした。


そんな自分でも変われたんです。

人は変われます。
自分の人生で証明できた瞬間でした。
これからも、変わっていきます。
成長し続けます。
もっと高みへ!!!


ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

次回は、
緊張しいだった自分が、
どうやって緊張と向き合い、緊張をコントロールし、
最大のパフォーマンスを出せたのかを論じていきたいと思います。
それでは、また!^ ^

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