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国旗を背負った日


そんなことした日も無ければ考えた事もないんだがオリンピックもはじまって最近賑やかしがちな差別問題。

ちょっと前にフランス代表の著名なサッカー選手2人の動画が出回って今回の騒動になっている。
日本人が揶揄されたからだ。

フランスに住んでた身からすれば大した事言ってないし、よくある光景。でも見方を変えると差別。 それはその通りで差別は横行してるし悪気もまるでないはず。

ポイントはその発言を発する事と、そこに差別的な深い意味を持たない事が多い事。 要するにコミュニケーションとして話す事を目的としてる場合もある事。

パリで働いてる時はとにかく色んなことを言われ過ぎてどこから言えば良いかと言うくらい差別はあった。上から下まで全部くださいの感じかもしれない。
感じた事は軽蔑、差別されてるのではなくイジられてる感覚。 実際仕事は実力主義だった。
程なくしてイジられる事に気付きにおいてたまにイラッときて拙いフランス語で言い返すと笑いが起こって人格も認められていく感じだった。
そこから立場を築き上げた感がとてもある。

これはフランスのコミュニケーションの構築の仕方だと思う。

技術と言葉で築いていく。シャイな日本人には難しいのかもしれない。仲の良かったフランス人が女の子のアジア人は皆んな顔が一緒ね。なんて言われた時に腹立ってフランスもイタリアもイギリスも同じだろ!って話したら激昂、絶縁されたのはとても良い思い出だ。
でもそれはそれだけ誇りを持ってるからとも言えるし、裏表が無いから変な勘繰りがいらない。

踏まえて今回のはデンベレとグリーズマンは非の打ち所がない程彼らが悪い。
偶然かもしれないけど色んな世界で生きてきた人からフランス人は基本アホ。みたいな話を聞く事があるのだけどそれは耳が痛すぎる。 まして一般人ならともかく彼らは情報の発信力があるにもかかわらず悪気なくそう放てる気概みたいなものこそ変えるべき。 
ここでお咎めなしならとても歯痒さを感じるだろう。


自分が日本を出た時に、「日本代表として頑張って」のようなよくある親戚みたいな応援は毎回あったがもちろんそんなのとてもじゃないけどおこがましいと思う気持ちになっていた。むしろそんな事思わないで(笑)位で。

でも実際現地で日本の事をバカにされたり、イジられたりするとそこには完全に日本代表になってる自分がいて、強く反論していた。

不思議で仕方ないけど
日本が褒められる=自分では無い。
日本がバカにされる=全ての日本人
という感覚か。

絶対守らなければいけない戦いがそこにあったのだろう。
その時、俺の両肩には日の丸の国旗が背負われていた。


そんな気がした。

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