ラッダイト運動と労働塊の誤謬
AI技術の普及に伴ってラッダイト運動が見直されている。ラッダイト運動に対する批判として労働塊の誤謬が持ち出される。
技術革新により生産性が上がると仕事の量が減って労働者同士で奪い合うしかないという考えは誤りである。労働市場は動的であり技術革新により新しい産業や仕事が生まれるためラッダイト運動は間違っている。といったかんじだ。
これは完全に間違っている。労働塊の誤謬は、社会全体の長期的な視点で考えているからだ。
新しい仕事がいつ生まれるのだろうか。10年後か20年後か、下手をすると技術革新による失業者が死んだあとに誕生するかもしれない。新しい仕事がすぐにできたとしても失業者がそれにつけるとは限らない。若い世代や別の産業の労働者との競争になるだろう。
就職氷河期世代を見ればわかるが、不景気による損失が景気回復後にも補填されないことは珍しくない。
技術革新による失業者がずっと割を食うはめになってもなんらおかしくない。
つまり、ラッダイト運動に対して労働塊の誤謬をぶつけるということは「お前らが犠牲になればマクロな視点では利益になる」と言っているに等しい。
皮肉にも労働塊の誤謬こそがラッダイト運動の正しさを証明してしまっているのだ。
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