スキャンダルと仕事は無関係なのか

人気商売をしている有名人がスキャンダルの発覚によって叩かれるのは昔からよくあることだ。最近はSNSの浸透によって激しくなっている。

反対に、仕事の内容と人格は関係ないなど、擁護の声も多々見られる。たしかに批判側の醜さを見れば反対したくなる気持ちはわかる。しかし、スキャンダルと仕事と関係ないのだろうか。

まずは関係者目線から考えてみる。そもそも人気商売ができているのはその人の能力によるところが全てではない。役者や声優、テレビタレントについて挙げてみる。表に現れる言動は脚本家や放送作家の台本がメインであるし、おっさんであってもメイクやスタイリストによって外見が整えられている。映像は編集によって綺麗に加工され収録時の音声のリップノイズなどは現場の下っ端の手作業で除去される。なにかを歌う際には音程などがミキシング際に調整され、必要とあれば専門家によるレッスンが施される。これらの恵まれた環境は所属事務所の営業やコネによって用意されることがほとんどだろう。

以上の努力を踏みにじる行為がスキャンダルと言っても過言ではない。多数の関係者の努力によってタレントが優れているように見せかけられているのが人気商売である。仕事から外されても仕方のないように思える。

次にファンや視聴者などの外野について考えてみる。タレントの言動を好意的に評価する場合、その内容ではなく誰によるものかが重要視されることが多々ある。先程述べた関係者による努力もそうだが、容姿や経歴、単純接触効果等によって人格さえ肯定される。人格が肯定されているから言動が好意的に受け取られ、知名度の無い馬の骨が全く同じ言動をしても見向きもされない。

スキャンダルが見かけ上の優れた人格を否定するに足る内容であった場合、視聴者は目にするのも苦痛だろう。作品やテレビ番組そのものが好きであってもそのタレントが嫌いであれば降板してほしいと思うのは自然な感情であり、視聴者としての正当な意見だ。もちろん是非はあるが。

一方で普通の人ならスキャンダルになるような事(例えば女遊びやヤクザとの関係など)を半ば公言しても支持される人が存在する。そのような場合、人を惹き付ける何らかの魅力があるのだと思う。スキャンダルは試金石であり、周りの恵まれた環境にあぐらをかいていた人は退場させられて当然だろう。

仕事がなくなってかわいそうなどと言う人も居るが、ほとんどの人は堅気の仕事で頑張っているのだからなんの問題もないだろう。地道に頑張ってほしい。

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