自由競争という宗教
自由競争という言葉の意味を知っているだろうか。Webで検索してみると以下のような説明がある。
1 他から制限または束縛を一切受けず、各自が自由に他と競争すること。
2 国家などによる干渉や規制なしに、市場において多数の生産者と需要者の間で自由に行われる利潤追求の競争。
当たり前だがこんなものは現実にありえない。流石に経済学者もそれには気づいているようで、自由競争を健全なものにするために独占禁止法などがあると主張がされている。
だとすると、国家などによる規制(独占禁止法など)により国家などによる規制のない競争(自由競争)を健全化するということになる。面白いことに経済学者自身が自由競争が誤りだということを認めている。
「規制の中で自由に競争することが自由競争である」という反論が予想される。しかし、この定義に従うとすべての競争は自由競争であるといっているに等しい。規制の強弱はあれどすべての競争は規制の中で行われる。
「健全な規制の中で自由に競争することが自由競争」と考えてみても何が健全なのかというのは人々の価値観で異なる。実際のところ、うまくいった競争を自由競争と認定しているだけだ。
自由競争を良いといっている人の話を聞くと、うまく行ったものを自由競争としているだけであることがほとんどだ。これは良いことが起こった時に神のおかげであるとする宗教と何ら変わらない。
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