秘する女神のコラージュ〈1満ちる女神〉
1満ちる女神
名前を失うと云う事はどの様な事なのだろう、彼女は思った。
彼女はオルガンの音色を聴きながら教会から外を眺めている。
其は忘却と云う上書きなのだろうか、接続出来ない解離だろうか、だが、常に未知へと進んでいる私は変化していて、其迄の続きとしてしか在り得ない、自分の名前に違和感を覚えないと云い切れるだろうか。《唐突に名を呼ばれた時のあの奇妙な感じ、幾つもの名前から一つが選ばれた違和感》其は最早一つしかない同一性では無く、自らの自らたる特権や特性の旗印では無くなっている。《家族こそが人間が生きる目的として建て得るオブジェである、と云えなくなったのと同じく》私達は今や、姿形在るものに身を委ねない。其等が在り得るのと、其等が必然的再現性である事は等しく無く、其処には例外が認められない。此の木霊、反響、旋律は、何者でも無く、何者でも在る。
窓から見える、またたびが降る深淵の森はクルクルの雨音をてらてらと通らせ、林縁が散りながらサラサラとカタカナで埋め尽くす、葉は未だコラージュを隠していた。雨脚はソクソクと歩み寄り早蕨を伸ばす睫毛の瞬きに弾かれ、雨粒は水面から飛び降りた魚の如く体をピアノの表裏へと帰らせる。嘗ての羽ばたきは辺獄の操を穢しながら清めて、幾つかは器へと降り、幾つかは水溜まりへと落ち、木霊の反響となり様々な隙間の隅々へと浸透した。何処かから聴こえて来るオルガンの音色はゆっくりとしじまへ溶けると厳粛に粒子を呼び起こし、彼女の若く弾力を保つ細かい脰(うなじ)から肩に掛けての産毛を震わせ蔭を晒す。時より強くなる風は雨粒を運び、彼女の純白のドレスを濡らすのであるが、彼女は其を一切気にしていない様子だ。光は午前の角度である。
何故、私は〈素顔のニケ〉に付いて思うのだろう、彼女は思った、誰かの〈織り=折り〉を思い出しているのか、触れているのだろうか、私の白紙に、其の襞が。然し、筆先は夏霧の様に消えて行く、或いは一つの音色が人影のフォルムに収束したのだろうか。《名前に連なる記憶を失う事は如何なるものなのだろう》木霊の様な声は帰って来る、水鏡の現身を失っても、自分の為にとか、誰かの為にとかと云う呪いに巻き付くのだろうか、或いは、目的から放たれた状態が忘却なのだろうか。忘れると云う事は一連の美しさから切り離されてしまう事、其迄の演奏が静止され、其迄と無縁なものとしての旋律が自らの仕草として始まる事だ。始まりつつ終わるのか、《終わりつつ始まるのか》、其迄が如何なる音色で在っても、其からが如何なる和声で在っても、一連の再生は見失われる、作話症の如く自覚の無い虚構としての流れの様に。想起の奏者、持続 的意識は、私にとって、不思議なものだ。《美しく在ろうとする本能が在るのだとしたら、意識とは美しく在りたい即興奏者なのだろうか》今、生まれた欲望が、意識にとって前後の理由無く在る自由性であるなら、其の欲望を否定出来る命題を成立させる事が出来るだろうか、此の水面を在りのまま取り出し、見詰める事が出来るだろうか。
彼女は置かれている無数の本の中から手書きで書かれた日記らしい一冊を手にした。
そうか、今日では、手書きで物を書く書き手は減ったのだ、ならば、此はどれぐらい昔の書簡なのだろう、彼女は思った。私は、何の目的も無く生きているだろうか、《いや、寧ろ、様々な目標を立てて、目的の為に生活を整理して、一定の行動に集中しようとしている、其が私の日常で在る筈だ》、自分は、此の作業がやりたい、と自分に云い聞かせて、作業を増やそうとしているに違いない。《いや、其の様な事すら思わないかも知れない》、行動の前後を捨象しているのだ。周りの有能さ、其によって短縮された時間、其処で、私は自分の、目的を持つ不自由さ、を自覚出来る様になった。目的が在ろうと無かろうと、夢中で出来る事は快楽だ、《恐らく、人の自由さとは、目的によって意欲をコントロール出来るかも知れないが》、目的が主体的に振舞い形成される事では無い。ならば、主体の名前を忘れても、彼女は、名を失ったあの人は自由であったのだろうか。
其処は奇妙に歪み、荒廃した教会の一室であった、彼女が向かい立つ窓のガラスは殆ど無く、森は野性的で暴力的である、建物の殆どはコンクリートと石造りで、故に、堅牢であるが、雨音から、所々、雨漏れが在る事が伺え、辺りには雑草が生えていて、黴の匂いと植物の薫りが立ち込めていた。森の向こうには原子力発電所が見える、其は彼女が見知っていたものとは少し異なっていた。彼女は其の様子から、其の場所が、市街地よりは内側に在る森の辺境の教会、と検討を付けた。部屋は書斎で在ったらしく無数の本が置かれているが、殆どが雨で傷んでいて、開けられる物は限られている。人が暮らしていた頃であれば、何処からが森で、何処からが住居なのか、印が無くとも明確に分かれていただろう、然し、今は境が失われていて、建物と森は一体化し、人工的な空間の安心感は忘れ去られている。彼女は此の建物の構造を思い出しながら、何処からオルガンが聴こえて来るのか不思議に思っていた。
書斎に在る古く大きな鏡に彼女の姿が写ったが其処に彼女の顔は無かった、其はステンドグラスの様な模様でオルガンの音色に合わせて揺れていた。
《彼女には彼女の顔が判らない》《また、私達にも彼女が何者なのか判らない》《だとしたら彼女を見ている君は何者だろう》
廃墟、其は日常的にはロマンティックな場所なのかも知れない、彼女は思った。何せ、街には廃墟其の物が無い、《廃墟化しない事が人の営みの中心に在るからだ》、例えば、土足で立ち入れる場所と、そうで無い場所が在る、《其の限りでは其処は居住空間と云える》、そして、其の様な認識を人は建物に与え続け場所と自己を固定する、《其は祈りにも似ている晴れさだ》、其等習慣が根こそぎ失われない限りは場が廃墟となる事は無い、然し、其の習慣が奪われ認識に耐えられなくなった場は廃墟となる。所で、居住空間は晴れの場なのだろうか褻(け)の場なのだろうか、《人にとって居住空間はプライベートであるから褻でも在る筈だ》、然し、此の様に完全に土足の空間となってしまうと一続きの褻の空間に思える、本質的に何も変わらないとしても。視線を遮る物も失われ、視線其のものが失われ、とても公の場で在ると感じられない。失われ、忘れ去られた住居、其の壁と云う顔に、再び化粧が塗られる事は無い、視線や祈りを受けない建物は晴れとしての維持を、最早、受け取る事が出来ないのだろう。恐らく住居は晴れと褻の表裏なのだ、では、此のオルガンの音色は何処から来るのだろう、彼女は思った。
彼女は書斎を出て、廊下を真直ぐに歩き、聖堂へと出た、聖堂は彼女が記憶していたよりもずっと荒廃していて、天井はほぼ失われていた。青嵐に釣られる様に雨脚が叩き付けて来て、彼女の髪とドレスの裾を重たく浚った。雨音は弛緩を繰り返し森から建物へと押し寄せて来る。高く掲げられていた筈の十字架も雨風により姿を失い、十字架へ向かう席其の物が、丸で、懺悔をする人々の残像の様に跪き、崩れ、雑草達の褥となっている。其処に在る、立派であったであろうパイプオルガンの席には人の姿は無かった。そもそも、動力が失われている以上其のオルガンは弾けないのである。彼女はメロディの在処を見付ける事を諦めて、書斎へと戻った。
書斎へと戻ると、其処に一人の人物が立っていた。其の者は窓からの光を背負い、本を読んでいる様子で、逆光になっている為か、其の人が何者であるのか彼女には判らなかった。
「自由な人でも、此の〈想起=オルガン〉の音色の在処を確かめたくなるのですね」人物は云った、其の声音は、女性の様で、男性の様でもあった。「物事の実体と原因を確かめる、人にとっては当たり前の習性です、然し、〈結び先の無い首輪〉を手に持って見詰める事が出来る自由な女神が捜しい行くと云うのは、失笑です」
〈イプノス 〉なのに、「」付きで声を出すなんて、でも、此ぐらい明晰な声と云うのも悪くない、彼女は思って苦笑した。「其の通りです、私は自由な女神と云われる程自由では在りません、眠り化粧も忘れて眠り、リンボの中で自分の顔が見えないくらいですから」彼女は云った。
やはり、鏡に映る彼女の姿には顔が無かった、顔が存在しないのでは無く、彼女には自分の顔が見えていないのである。其処に目鼻口は在るのであるが、顔として認識が出来ないのだ。彼女には其が、自分の顔だけを対象にした問題か、そもそもあらゆる顔が認識出来なくなっているのか、判らなかった。其を確かめる為の他人の顔が無くて、目の前の人物の顔は光の加減で見えないからである。
「人は忘れる事から自由になれるでしょうか」人物は尋ねた。「文脈上は、忘れる事から自由になる、と云う事が出来ますが、意図的に忘却を作り出す事が人に可能だと、あなたは思いますか」
「いいえ、思いません」彼女は云った。「忘れる事を作り出せない以上、自由に忘れる事も、忘れないでいる事も、操作出来ません。だから、思い出されたくない事は、隠し通すしか無いのです、同時に、忘れる事とは知覚上の機能であり、運用の為の性能の一つです」
「人は自らの素顔を、其のみで認識出来るでしょうか」人物は尋ねた。
「いいえ、純粋で固定的な素顔などありません。其は鏡と云うアートと出会った瞬間、鏡像と云う化粧性が、奥行きの無いタイムトラベルを起こし、想起させられた仮象です。生まれた時から、人の顔は変化し続けます、其のどれを自らの顔と呼べるでしょう。男性は髭を剃ったり剃らなかったりします、生まれた時から在りのままであれば、髭は伸び続けるでしょう、ですが、其を素顔と呼ぶ事は難しいと思います。昨日の化粧と今日の化粧は即興性の中では、明確に異なる事であります。女性は鏡から無数の視線を学び、介自的鏡像は悩むでしょう、其処に嘘や演技や虚構や愛らしさを浮かべてしまいます、そして、初めて御化粧をした時、其の解離によって、現在の素顔と云う幻を思い出して、思い付いてしまうのです。其等は自ら忘れる事が難しいアートです。逆に云えば、其は自ら自発的に作られません」彼女は云った。
だが、此の〈雪融け象〉は何処からやってきたのだろう、彼女は思った。
「あなたは、今のあなた、を知っているでしょうか」人物は尋ねた。
「いいえ、今、此の瞬間に在る波、非現前性で在り、持続で在り、差異としての反復で在る今に対して、私は無知です。不貞行為を行おうとしている者も、殺人を行おうとしている者も、今何かに目覚めようとしている者も、〈現在∧ 現実〉(げんざいげんじつ)を踏み越えた先に何が在るのか、知る事は出来ません、其の場の可能世界に対して常に無知である在る事、其が今と云う水面です」彼女は云った。
人物は本を閉じ、歩み始めた。「隠す事、其自体を求める時、其は視線を集めます。隠している事を見付けると、人は興味を抱き、其の謎を解明しようと行動します、意欲は同一性を求めるのです。其は興味を抱かせる為に隠され、禁じられているのでしょうか、其を愛さずに居られるでしょうか」人物は云った。
「或いは、自分自身が忘れ去りたい何かを、隠すのかも知れません」彼女は云った。
「例えば、素顔の様に」人物は云った。其の人物が近付いても、顔はおろか性別すらも彼女には判別が出来なかった。
「素顔すら、言葉にしなければ、秘密になります」彼女は云った。
「〈秘する女神〉、あなたは、其の自由な振る舞いと仕草で、あなた自身の自由さを、其の連続性と云う旋律を、どれほど隠せるのでしょう」人物は尋ねた。
「或いは、何一つ隠せなかったとして、上書きせずに私達の鏡から、何かが失われている事が在るでしょうか」彼女は云った。
「〈秘する鏡〉は水面に浮くのでしょうか、水面其のものなのでしょうか、其は視線の神々を誘っているのでしょうか、いずれにしても、私達、眠りと云う主体は、あなたが、再び眠る時を待っています。あなたの願い、あなたの渇望、たとえ、其が誰にも許されない立ち振る舞いであったとして、私達が其を阻む事はありません」
私は、私の渇望をどれほど冷静に見詰める事が出来るだろう。此の欲望、《私を隠す森に隠れたい》、隠れたものを晒したい、晒したものに抱かれて、此の水面に〈雪ど化粧〉を施す、《私を生み出した無意味だ》、微笑みかける筆先の、真紅と書ける白紙の上の様に、ああ、雨が辺獄を埋めて、歪む痛みを受け止め、鏡のリズムと女神が、繰り返し、覚めて行く。
人物が彼女に触れる程に近付くと、激しい雨が室内へ押し寄せて来て、何もかもを飲み込む波の様に破壊し、其は部屋を押し潰して行った。
×
コツコツと打つ雨音が、時々、激しい波の様に窓に寄せる。彼女は汗ばんだ衣類が背中に張り付いているのを、直ぐに着替えず、体臭と湿気と雨音の残像を味わった。彼女は下着の上にシャツ一枚と云う姿で、寝返り、毛布を抱き、鼻から大きく息を吸い込んだ。雨の匂いは高潔であったが舌の上に苦いもの含ませて、鼓動は覚醒へ向けて血液を全身へと放っている。丸で、折り畳まれた折り紙が一枚の紙に伸びる様に、身体は緊張を解いて行き、広げられ緩和する目覚めは触れられた事が無い様な純白のサラサラである。雨は激しいが建物を破壊する訳も無く、窓を伝う雨粒の影は、アポリネールの詩の様に彼女の白い肌の上を這っていた。
雨粒、文乃(あやの)は思った、其はオルガンの様な光だ、雨は声のオルガンの様に見える、或いは、満ちるオルガンとして此等は昇り始めそうに見える。
文乃は、寝間着として使っているシャツを脱いで、ベッドの近くに置かれているデジタル体温計で体温を記録し、ミネラルウォーターを一口飲んで、机へと向かった、そして、古い机の抽斗から愛おしそうに白紙の束と万年筆を出した。白紙には無数のメモが在り、彼女は表に来ている一枚を束の裏へと改めた。彼女の仕事上不可欠なコンピューターの姿は卓上には無い、やや、前世界的にも思える程、其処に在るのは紙のみである。彼女は椅子に座りスーベレーンM800グリーンを持ち、其は実に使い込まれた万年筆で父真九郎からの贈り物である、其で文を書き始めた。朝の自動筆記である。
――秘する鏡、満ちる如月に浮かびながら削る――切れそうな糸をゆっくりと手繰る様に彼女は文字を走らせた、然し、不意に、其の糸は切れて、彼女は其の残像が失われているのに気付いた。
教会や発電所を忘れてしまうとは思えない、あの辺獄は何時もあそこだ、恐らく、私はあれを見ている、つまり、其が失われる訳では無い、でも、何かが在る、此は何だろう、彼女は思った、駄目だ、此以上〈素顔のニケ〉を残せない。
彼女は下着姿のまま、座り静止している、素肌は白く弾力を持ち力強く、胸は膨らみ情熱を秘め今にも零れそうである。光に照らされると、脰から肩、腕まで伸びる蔭には無数の細く柔らかい産毛が、特別な衣類の如く、華奢なシルエットを縁取り、軽やかに包み幽かに発光していた。腋の下の産毛は密度を増し、遂に、一度は手入れされたかに見える、だが其は或る種の決意の如き嫋やかな長さになりつつある。雨の影を追う顔は色白で、一見表情が無く、感情が読めない程に呆然として、細い髪はシットリとしていて癖が一切ない短めの髪型で、薄く伸びる奥二重の瞳、其処に伸びる睫毛は前方へ跳ねていて、黒目は眠そうに白目の上に浮いている様である。眉山はなだらかで柔らかく殆ど手が入れられていない、口元は小さく、母文月(ふみづき)に大変良く似て、日本人形を思わせる。だが、其の顔は正しくは無表情では無い、時々、雨を追いながら、微笑をし、眉は子供っぽく上下している、其は小動物の仕草の様で艶っぽく、然し、概して無垢で在るが故に感情が読み取れない。其等夥しい仕草を秘めながら、美しさの盛りを迎えようとしている彼女は此の年で十六歳になった。中学の頃には修士課程を修了出来る程度知能を有し、飛び級の制度が無い為もあり、便宜的に高校に進学せず、彼女は現在、Q研究所にて仕事をしている身である。
《君は下着姿のままで、夢でも描こうと云うのか、君の中の風を》文乃を君と云う声は云った。《君と云う、私、の中に吹く私を、幻と思い込みの産物を、錯覚を、おぞましい白の上に、頭の中に何枚重ね着する心算だ。此の多重演奏に、認識は耐えられるのか、丸で、永劫回帰の嵐の様に、声は分裂して炸裂して泡を吹いている。破裂した花の様にバラバラに内臓を吐き出して、此は卑劣な声だ、と自称している。今を諦めろ、今を諦めて、今を考えろ》
私には描けなかった、今は其で良い、彼女は思った、掴もうとした煙が在った、其の体験だけで良いのだ、体験は諦めた女神では無く、〈素顔のニケ〉だ。虚像の顔も真実の失顔も虚構で構わない、此の白紙の上では。
彼女は其のままの姿で、キッチンへ向かい、ヤカンに水を入れ、其を火にかけた。そして、徐に、トイレへ行き下着を下げ、用を達した、流れ去る水の流れは北半球の渦である。
《自分は管だ、と貴女はいとも容易く思えます、上から下へ通り抜ける其等を見て、何の傷心も無いまま。然し、私は傷付きます、一体どれ程の人が、其の自然の摂理を憎んでいる事でしょう、どれ程の人が其を恥じているでしょう。流れ去る下水に、人はロマンを感じません》文乃を貴女と云う声は云った。
人は管だ、循環を否定する者は、根源的に醜い、己から流れ出る糞尿を直視出来ない人間は、根源的に生き物を冒涜している、文乃は思った。子供を育てる、其の第一歩は子供の食と排泄のパターンを規則化する事に他ならない、其を嫌悪して先に進む事は無いのだ。逆に自ら食し、自ら排泄し、其等を自立したパターンとして体現出来れば、其の生き物は様々な場所、文明と云う窮屈な牢獄で、一応生きて行けるだろう。其の過程は物語の様に思える、此の流れ去る水の渦の音に、何の物語も感じないだろうか、其は根源的に愛の欠如では無いか。
そして、彼女はキッチンへ戻りミルにコーヒー豆を入れ、其をゴリゴリと轢き始めた、其の心地良い感覚は彼女に真九郎の事を思い出させた。此の部屋は、宮崎真九郎が独身時代から使っていたアトリエを彼女が借りて使っているものである。彼女と真九郎は血縁関係が無い、母である文月の再婚相手が真九郎で、彼女にとって真九郎は義理の父であり、真九郎にとって彼女は義理の娘と云う事になる。元がアトリエであった為、彼女が所有する本を並べても、其処が埋まる様子は無い。ゴリゴリと云う音は彼女の四肢に響いた。
美味しいコーヒーを淹れるには、〈あれですよ〉が必要です、真九郎は優しく微笑んで彼女に云った、其は彼女が小学生の頃の父である。
恐らく、急いで轢いても、ゆっくり轢いても、〈咲く身の蔭〉は見えないかも知れません。然し、今から大切な人と、楽しい時間を過ごす、其のワクワクを、此の〈雨のコラージュ〉で想像して見て下さい。小気味良い音ですね、此だけでずっと楽しめそうです。でも、必要な分しか轢いてはなりません、コーヒーは轢きたてを淹れるのが最も美味しい飲み方なのです。
彼女は父の言葉遣いを余所余所しいと感じなかった、恐らく、其が身に染み込んでいるからだろう。
夢を見た、其は偶発的な想起に過ぎない、でも、其の一部は言語化可能だ、あのじっとりとした印象の殆どは、もう薄れてしまい、砂の様に崩れ去っている、でも、私は一人の人物に出会った、あれは何者だったのだろう、いや、応えは必要では無い。私は今日、セックスをするだろう、此の願望と欲望、可能性を回避する術は無い、其程に決定的な欲動なのだ。此は一過的な欲望だろうか、だとしたら、人の生殖と云うものは何処までが本能で、何処までが一時的なものなのだろう。
《君は今、コーヒーを待ちながら昨日の出来事を思い出している。其の一連の流れを説明する術を君は持たない、弓丘圜(ゆみおかえん)は確かに魅力的な少年では在るが、君から見たら子供の様な存在だ、彼が彼の友人から受け取ったメール、其は女性友達が送って来た性的なものだった、に狼狽し、欲情を感じている時に、君は無視する事も出来ただろうに、君は彼を個室へと連れて行き、彼と君自身を誘惑した》《貴女は、今、欲情した男性に欲情した自分を思い出しています。彼、つまり貴女を君と呼ぶ声、が写実する昨日の光景をあたかも再生されたポルノの様に楽しんでいます。宜しい、貴女の快楽は貴女の自由かも知れません。然し、貴女の子供は貴女と異なる個体、すなわち、肉親で在り、他人です、貴女の価値観が通用しない無垢なものです。迷う事、もったいぶる事、其が女性の武器になると、貴女は知っています。ですが、貴女は其を一日で売り払う心算ですね、昨日上がり始めた株を今日売る心算なのです》《君なら、十代で育児を始めるリスクを考えられない筈が無い、一過的な欲望に身を任せるのは愚かな事だ、其を考えて事を起こすべきだろう。子を持てば学業も疎かになる、今やっている仕事も片手間になる》
常識以外の問題は無い、文乃は微笑して思った、常識的な問題、経済的な問題、労力の問題、其が考えられる不自由なのだろう、そして、私は其等に対して自由なのだ。
《女性が近代迄、いや、現代でも苦しんでいる問題が、君にとって軽いと云い切れるだろうか、確かに君は頭が良く、今は金も持っている、然し、だから自由だと云えるだろうか、何時如何なる偶然が君に降り注ぐか判らない。君の価値の暴落を想像してみたまえ》《経済は貴女にとって自由でしょう、其は、貴女の権利であります。然し、彼の云う通り、相手の事を思いやる事は大切です。そう、愛の問題は何一つ解決していないのです》
そして、私にとって気持ちは、どうでも良い、文乃は思った。
《君は傲慢さの不徳に付いて学んだ方が良いだろう》
愛が利他的である、と云う考えは、文乃は思った、其こそ幻想なのだ、でも、仮に、其の様なものを私が孕むとしたら、私は其も欲するだろう。自由は、力や正しさの様に対比されない、其は規定されない枝葉の様に内部にスピンオフをするフラクタルだ。正しさ、正義や義務、は化粧的即興を上書きするハラスメントに成り得るし、力は自由を阻害し得る、自由と共鳴出来る自由がどれだけ在ると云うのだろう、だが其すらも暴力的に弛緩する。
豆を挽き終える頃御湯が沸き、彼女はミルを持ってキッチンへ向かい、ペーパーフィルターを広げ、挽き立ての豆を注ぎ、其の上からゆっくりと湯を注いだ、香ばしい薫りが立ち昇る。そして、彼女は冷蔵庫からオレンジのゼリーを出し、紙袋に入れて置いたブルーベリースコーンを皿に乗せ、其等をテーブルに並べた。
柑橘類とコーヒーの組み合わせを考えた人は天才なのだろう、足長ペンギンは云った。彼は小学生の彼女に真剣に話している、彼は父真九郎の友人であり、父と同じ歳の男性であるが文乃の数少ない友人でもある。
此の食の組み合わせは〈月と糸杉〉を膨らませる、実に素晴らしい。で、僕が颯煕(さつき)に恋をした理由か、ううん、ベルクソンにとって自由とは選択的なものでは無かった、理由が無い事が彼にとっては自由だった。僕が思うに、愛とは〈ヒナヒナ〉の一つだ。〈群Δ 周円(ぐんしゅうえん)〉は愛を規定したがる、其は器官として〈内なる看守〉になりがちだ、然し、本来、其等は無縁のものなんだ。彼女との間柄は、僕の〈ヒナヒナ〉で在る為に一連だ。彼女と僕に付いて説明しようとすると、僕の生い立ちを説明しなければならない、僕と云う実体を言語的に説明し、原因を述べなければならない、然し、其等凡てを述べる事が出来たとして、其の必然性を証明出来るだろうか、寧ろ、説明する事で其は〈朽ちる月を去る裏〉になるだろう、其を僕が誠実な虚構に出来なければ、尚更だ。そう、其の通り、〈雪ど化粧〉は言語化出来ない、でも、其を表現する心算が無い訳でもない。さて、どんな風に詠おうか、彼は愛しそうな視線を空に放った。
小学生の女の子とカフェでコーヒーを飲む時にベルクソンの話をすると云うのは如何なものだろう、文乃は思った、やはり変な人だ、でも、誠実な人なのだろう、彼は少しずつ恋に付いて教えてくれた。たとえ精神を病んでいたとして彼が好ましい友人である事に変わりは無いのだ、彼女は並べられた朝食を見て思った。
朝食を終えると、彼女はベッドの上でストレッチを始めた。
弓丘圜、彼と会ったのは今年の春だ。私達はSCSのヴァリエーションの為に共感覚の内の色聴所有者達と会っていた。彼は私と同じ年の高校一年生で、オルガンの勉強をしている少年で、色覚異常を有していた、彼の音感には特定の色が無かったのだ。
音が見える事は、寧ろ、当然の事だと思っていた、実際音色と云う言葉も在るし、色を中心とした表現を楽譜上で云う事は無い訳だから、其に付いて気にする事も無かった、圜は云った。研究所と聞いたから、マッドサイエンティストが居る実験室を想像していたよ、うん、先入観だね、彼はコーヒーを飲んで云った。
身体は全体的に細く、如何にも運動が出来ない印象を与える、背は其程高い方では無く、髪の毛はやや長めである。春の薫りがする大学施設の一室で、彼は居心地悪そうに辺りを見ていた、丸で迷い込んだ子猫の様に。彼が見る先には、SCSで出力されたグラフィックがプリントアウトされたポスターがあり、オフィスには観葉植物が置かれていて、リラックス出来る空間となっている、ただ、一般的な建物より防音が成されていて、外部の音や、内部の雑音が無い、其の為、普段接する事が無い沈黙が在る。
何が恐いのだろう、彼からしたら、私も恐いのだろうか、私は彼と仲良くなりたいと思った、でも、仲良くなってどうしようと云うのだろうとも思った。
《君は、亜麻色の髪の乙女、を聴かせて下さい、と云った、昨日の事だ。君は微笑して密室のピアノ室に彼を連れて行った、押した訳でも無く引いた訳でも無い。彼は先に見た友人からのメールに付いて云い訳をしたいと思っていた。あれは友人が一方的に送って来ただけなのだ、フェラチオなんて興味が無いのだ、そう云いたいのだろうか、だが、君は聞く耳を持たない》
息遣いとシーツの肌触り、其の奇妙な出会いによって私の欲情は生まれる、文乃はおもむろにベッドに俯せになった。痒みが四肢の先、末端に千切れる波の如く広がり、私の体は、其を何度も、確かめる。其が表皮の異常でも神経の問題でも無く、喜びの前兆のキスと出会いであると、私の掌と足の裏は知っていた。足の指先に感じられる汗は、即座に私の腹部へと反射して、体毛の奥に湿りを与える、其処に在るのは最早痒みでも痛みでも無い。捲れた下着の下には黒く艶やかな体毛が細くサラサラと在り、薄紅に染まる植物の様に満ち引きをしていて、閉じられながら内へと展開して行く詩の再発見を求めている果実の様だ。
《恥知らずな女だ、君は彼を閉じ込めピアノを弾かせた、普段はどの様な事を考えているのですか、と君は尋ねる。彼は云われた通りにピアノを弾こうとしたのだが、君が触れた事で音が外れた。何を考えているのですか、と君は再び尋ねる、彼は、色々と、と云う。今は考えているからこうなっているのですか、と君は問う、いや、何も考えていない、と彼は云う》
肩は小動物の頬擦りの様に柔く、顔や手足の産毛はサラサラとするツヤツヤだ、此の素肌は可愛らしく体毛を鋤く体液は麗しい、私は私に介入する〈介他的自己像〉だ、そして、其の様に感じる私は、私によって可愛らしいと思われる〈介自的鏡像〉を呼んでいる。足を折り曲げると肩と脇に腫れぼったい乳房が当たる、片手を床に付き、片手を足の隙間に挟むと、体の幹は其へ向けて波打っている。雨がガラスを打っている、然し、私は気付かない、沈黙は快楽で、水の音は官能だ。
《彼の申し訳なさそうな目には恥じらいが在った。其を見せて、其等の事を隠せば良いのです、と君は云う、見せて、見せたものを秘すれば良いのです、さあ、何を考え、何が見えているのか奏でて下さい、君はそう問うのだ、君が貪る時間を作る為に》
此だけ求めて、避けたり逃げたりする事が出来るだろうか、此の〈現在∧現実〉を一体誰に〈回避=譲渡〉するのだろう。
《光が往復しています、貴女は其が一つの言語であると知るでしょう、然し、私にとって其は鳥の囀りに過ぎません。貴女を打ち付ける波、其を禁じる事で、人は正気を保って来たのかも知れません。平均化と秩序、凡てを同一化で語る手段で、人は〈理想市民〉になろうとしました、然し、貴女には枝葉が在るのでしょう、其を伸ばして御覧なさい、其処に如何なる華が咲くでしょうか》《君は桃色に腫れた枝先に頬擦りをして蕾を口に含んだ、湿ったものは、プロペラの様に旋回して種を吐いた。其の達成感、彼の視線、君の腹の中に蠢くもの、其等を私は禁じてきたと云うのに》
雨音が聞こえる、窓の外では無く、私の内部に。其は知覚が私の水面と擦れて溢れ出たものだ、次々に奏でられる〈想起=オルガン〉だ、文乃は思った。此処の内に、妙な息遣いが在る、凡てが沈黙した快楽、其の先に居る何者か、《死を通して出会う何者かが居るのと同じく》、眠りを通して出会う何者かが居るのと同じく、沈黙の快楽を通して出会う何者かが居て、其は奏でているのだ、其の演奏を聴いてみたく無いと、正直に、云える私は居ない。其の建物の内湖に、私は居ないのだろうか。
事を終えると、彼女は何事も無かったかの様に起き上がり、下着を脱ぎ捨て、新しい衣類を着始めた。
《此の下着は男性に見せるのに向いているのか、無駄毛は処理したのだろうか、此の様に見たり考えたり忘れたりする事を、君は窓の外の雨の様に聞くのだろうか》《恋は時に視線的です、見られる事によって自己を形成して行き、痛みとして人の根幹と化して行きます》
恋は見られる事によって減衰したりする量的なものだろうか。
恋とは何か、クラリスは聞き返した、二人はQ研究所のテラスで話をしている、文乃は中学生ぐらいである。
あなたは恋とは何かと考えているの、うんまあ、確かに考えられる事なのかも知れない、いや、私が奇妙に感じたのは、其がブラームスへの恋とかラヴェルの楽譜への恋と云うものであったとして、其を説明して伝わる事なのかと云う事なの。あなたは此のSCSを通して、何かを成し遂げようとしている、何だっけ、知覚が楽譜で想起が楽器、意識は奏者、あなたはそう云った、面白いと思う、で、私達が想起した色を他者に視覚的に知覚させる、つまり、音を見せる事をシステム化している、面白いわ、でも、恋と云うのは知覚なのかしら想起なのかしら。
クラリス・ジュペリはアフリカ系の血筋で、フランス人と日本人のハーフである、瞳は鮮やかな青で、此は血縁と無関係ではない、肌は美しい褐色で、髪の毛はややウェーブしている、目元や口元は日本的少女に近しい。彼女は東京の音楽大学でチェロを学んでいる学生で、Q研究所ではアドバイザーとして手伝をしていた。
恋が知覚だとしたら、其を見て聞いた人は其を何として想起するのかしら、或いは、恋と云う想起が、見えるものを何かにするのかしら、クラリスは尋ねた。
後者です、文乃は云った、知覚は想起の中に這入る事が出来ず想起は知覚へ投げかけられるからです。
だとしたら、其に付いて私が応えてどうなるのかしら、其はチェリストの恋に過ぎない、まあ、凄く一般的な云い方で申し訳ないけれど、私頭良くないから、捨象化出来ない原体験と云うものを一般論として取り出す事が、上手く出来ないの。見た事が無いものを人は欲しいとは思わない、見えないゴミを拾い集める事は出来ないでしょう。私は幼い頃、周りの女の子と同じ様に恋する事を嫌っていた、変なものよね、私は自分の肌の色に関係無く日本人女性だと思っているのに、同じ恋はしない、と思っていたの。黄色い声を上げる感性に巻き付く、其も悪くないと思う、でも、何か私にはしっくりと来なかった。私が云いたいのは、あなたが何を感じどの様に恋をするのか私は強制したくないと云う事、其処に一般論なんて無くて良いでしょう。
一般性では無く反復としての恋、文乃は思った、クラリスは其の様なイメージが在ったのかも知れない、彼女には性愛を含む恋と云うものが見えていて、其でも、恋を問う私に誠実に応えたのだろう。
《然し、貴女が聞きたい事は違ったのです》
其は原体験が凡てだ、と云う事である、或る意味、性的マイノリティすらもクラリスは肯定している、私は性愛に興味を抱いたが、其は私の性愛に過ぎない。其の楽器の可能性は、与えられた楽譜と出会った時に限界を知るかも知れないが、楽器の可能性や多様性を、楽譜側が凡て知っている訳では無いのだ。
文乃は衣類を着ると鏡の前に立った、其は母から貰った着物を着付ける目的等で使われる大きな鏡である、其処に文乃の顔は在る。白いシャツにハイウエストで紺色に白のストライプ柄が入ったロングのキュロット、生地感は艶やかで、肌触りは絹に近い。そして、文乃は天候を考えてジャケットを一枚着た、シャツとコントラストを成す黒である、薄手で在るが裾が長く、トラディショナルな印象を与える。此の衣類一式は大森(おおもり)瑩子(あきらこ)の見立てで買われた物だ。文乃はドレスアップされた自分を見て、不思議と色めく感情を覚えた。
男の子を誘惑する普段着、瑩子は考えてから手話で云った。二人は春の公園で会話をしている。瑩子は共感覚所有者であり、文乃の友人である。彼女はゴシック趣味に通じているが衣類全般に詳しい芸術家であった。瑩子は発話して話す事が出来ない為二人の会話は終始手話である。
其は二人でホテルに行く時に着る様なセクシーさを持つ物と云う事ですね、彼女は丁寧で抑揚の在る手話で尋ねた。文乃さんは素のままで魅力的だから、デコレーションは必要無いでしょう、寧ろ、省くべきです。無論、相手の方との相性も在るでしょうが、まあ、問題は無い筈です、好きな衣類で良いと思います、でも、私の個人的な趣味で選ぶとしたら、白を基調とした物でしょう、真っ白ではありません、白が残っている物です。
《あの女はすました顔をしていて、下品で汚らわしい所を持っている》
《貴女にとって好ましい友人なのでしょうか》
瑩子さんの下品さは、私にとって尊敬出来る一面だ、文乃は思った、彼女は、人が下品で薄汚い部分を持っている事を知っている人で、其を下品に貶めず遊べて楽しめる人で、何処か逸脱した人なのだ。
《君と同じ様に》
《貴女と同じ様に》
好きな人を手に入れる時、其は本当の意味で所有は出来なく自由性ですが、人は野性的になるものです、瑩子は云った。文乃さんは柔軟な発想を持った想像力豊かな人です、そして、其に興味を抱いた、でも、女性的に考えて〈雪ど化粧〉に付いても考えた、あなたは剝き出しで奪い去る事も出来るし、足を踏み出す事に躊躇しないでしょう、でも、ドレスアップはする。此等衣類や化粧、装飾と云うものは本来、其の〈雪融け象〉と呼ぶものなのです、故に、其に頼らないでも行使出来る人には別のものとなります。衣類は所作で在り、祈りに近しいのかも知れません、あなたに幸あれ、瑩子は微笑して云った。
「私は可愛い」彼女は平らな声で云った。
鏡の中に在る顔を見て、人は何等かの安心を得る、文乃は思った、鏡像認識は明らかに高度な知覚であり技能だ。此の人格としての技能の役割を構造化して考える事も出来る、然し、此処に在るのはやはり動作であり仕草なのだ。動作は目的を与えた時、同一化して消える、性を目的化した時、性の差異性は同一化に消失している。快楽を目的化する事で理性が現れるが、快楽の有り様を目的に巻き付けて行く先を知ったとして、此の姿が、其の動きが、目的の喪失の時に残ると云えるだろうか。
《ならば君の顔を焼き払えばよい、然し、其の通りだ、何も変わりはしない、焼かれた顔を其以上焼く事は出来ない、だが見る事は構造であり、欲望なのだ。君は私達の視線から逃れられない》《自身と云う視線、其が他者も持ち得ると云う、其の認識、発想の飛躍、其が社会です、発想としての誕生、其が利他性です》《其等、目的を悉く蹂躙するのか》
文乃は微笑した、彼女は魔法を受けたかの様に、自信を身に纏っていた。そして、鞄と傘を持ち、靴を履き、部屋から出た。早朝の雨は打楽器奏者の様に新宿の街を奏でていた。
〈利己的利他性〉は此の実体ある欲望に届く事はない、其は自由と対比されないものに過ぎない、彼女は思った、誰かの為に、何かの為に、と述べる声が其だ。其は欺瞞化する無自覚と云うシステムで相互利益に至らない、《だが、其は自動化したい欲望の再発見でもある》、そして、逆説的に自我の稚拙さを認識するしかない。私のスーレベーンは迷う事無く踊り続ける、欲求其自体として利己性だ、踊るものとしての筆記、描く旋律が在る楽器、其の様にして在る身体は、時に対して自由な振舞い、即興の躍動は、雨の打つ草花だ。地を這う雨音の波が傘を通り過ぎる、重たい風は四肢を揺らし坂道を転がる様に登って行く、雨風を遮るものなど地上には無いかの様に。此の象(しょう)、象と云う恵み、ザラザラがフワフワを滑らせる気紛れなカリフラワー、織り重なる指を織り、膝を折り、祈りの仕草をする様に打音は七色を含んでいる。私は雨を着てみたい、雪の様に這い回り、颱風の目から生れ落ちたい。色彩となり降って来るモノリス、今空は何色に見えているのか、此の眩しい稲光、私は君の擬態となり、君は私の睡蓮となる。春より青い花をくれ、夏より赤い火花を降らし、今風は真白な足音で、私の暗部に降り頻る黒だ。嵐を丸々飲んでくれ、そして、嵐を起こしてくれ、突き上げる情熱の中で、私は溺れて冬眠したい。
文乃は重たい傘を押しながら坂道を下って行き、外堀通りへと降りて行った。早朝の外堀は人気が無く、堀の水面の上を雨脚が走り去り辺りは雨音に包まれて、視界が開けると、雨の激しさは明らかに見える、堀の向こうでは桜の枝が葉を揺らして踊って、彼女は傘を押しながら駅へと向かった。堀を渡る時、大きな雨脚がやって来て、一瞬傘は逆様になり、雨は群の様に水面を這って行った。
《人の無力さを君は知っている、如何に高い知能を持っていても、君には雨を避ける術は無く、其の惨めさから逃げる術も無い。見たまえ、お洒落な衣類は台無しだ》
素敵だ、其処に在るだけで体に響いて来る、彼女は思った、素晴らしいの〈素〉とは何だろうか、〈晴らしい〉とは何だろうか、其等蔭の所作とは。風の様な何かと云ったとして、風より風になる訳では無い、唯、其等は其処に在り此の気象だけが圧倒的に在るだけだ、そして、此の雨風に本来の名は無く、今行き去った風が再び現れる事も無い。其の衝撃を衣類で守れるだろうか、此の身を建物で守れるだろうか、そして、内なる嵐から身を守るものは何だろう。恋とは内なる気象だ、然し、人の心は内から守られる事は無い。人を内なるものから守るもの、其は禁忌だ、禁じる事で見る事を惹き、且つ、分離する。社会とは裸で在る事を禁じる場だ、其は禁忌を守ると云う事に同意していると云う前提を強制する。《寧ろ、其を疑う事こそが禁忌と云えるだろう》そもそも人は裸で生まれる、其処には禁忌が無い、そして、人を育てると云う事は、生れて来た子供に禁を与え、〈理想市民〉に作り変える事だ。赤子はパノプティコンに生まれる、そして、様々な禁忌を身に付け家族と云うフィクションの器官となる、物語を植付けられる。家族とは、近親相姦の禁によって作られた建物に過ぎない、だが、近親相姦は不可能である、常識や良識とは一方通行の道具であり、其処に明瞭な正当性や再現性が在る訳では無い、其は与えられる呪縛なのだ。然し、私は人の欲望上に如何なる禁忌も無いと知っている、吐き出した叫び声となってあの世から追い出された此の嵐を遮るものが何も無いのと同じ様に。
《人を殺してはならない、何故なら、殺人の禁に同意する事によって社会は保たれている、其の法に人格を同一化出来ない事を立証すると、君は反社会者となるだろう、人は〈理想市民〉になる為に生まれて来た》《貴女は、父と交わってはなりません、女子は父と、男子は母と、交われないと云う禁忌の上に、親子と云うものは在るのです、其だけが家族です。社会的な家族と云う経済単位は幻想に依存するしかありません、家族とは自明になり得る共同体では無く、自明な幻想なのです。そして、順番として逆転した文で私は云います、貴女が〈理想市民〉であるなら、近親相姦が禁忌で在る事は判っている筈です。人は視線により、身振り手振りにより、立ち振る舞いにより、貴女を〈理想市民〉に固定化させて来たのです、だから、其と同一化しなさい》
もしも、私が雨の様に自由なら、凡ての禁忌と制限を欲望によって踏み潰し、踏み倒し、歩むのだろう、しかも、意図せず、踏み潰したものにすら気付かない姿で。つまり、私は自由ではないのだ、〈希生念慮〉を乗り越えようとしている既成概念に過ぎないのだ、不自由を乗り越えようとしている不自由な人間なのだ。つまり、禁忌を見て其を打ち破る限りは、禁忌による不自由の内に在り、限界や制限を見て、其を乗り越えようとする限りは、限界の内に在る、其が選択的量的自由の制約だ。だが、私の両親は、禁忌や限界を与えない事によって、私を愛して来た。私は自由だ、自由な即興性として雨に打たれる。
自由は誤謬かも知れません、然し、愛は何一つ禁じないものです、愛と自由と云うものは、古来、対立し、矛盾を含んだ命題でした、真九郎は小学生の文乃に向かい云った。
彼はコーヒーを口にして、文乃は本を手にしていた、二人は神楽坂に在るカフェの、夕闇の淡い光の中、ボソリボソリと話していた。
学校と云うのは、非不幸の平均化と不幸の平均化を求める場所です、故に、学校の規則とは、美しさに寄るのではなく、平均化に寄るのです、此は人の社会全体に云えるかも知れません。平均化された人間を作りたい、其が学校であり、社会です。教育と云うのは、常に暫定的な分野なのです。システムと云うのは、誤謬としての自由しか思い描けません、其は持続する自由を、文面に出来ないからです。僕は、君が好きなようにやれば良いと思います、逃げても良いと思います、逃げちゃ駄目だと云う云い訳で自分を締め付けないで下さい。
他人は、父の様な人を、身勝手な保護者と考えるかも知れない、社会常識を与えない親と責めるかも知れない、文乃は思った。でも、愛は禁じる事や強制する事を先に押し付けたりはしない、未来に先回りする過去を愛とは呼ばない、エトスは水面なのだ、私は其処から自由に付いて考え続けている。そして、今私の目の前に在るもの、愛の自由に対して、私はあらゆる可能性を感じる。
《だから君は迷っている》《ですが、貴女は躊躇っている》《だが、其は私達と云う、先回りする虚構の囁きに過ぎない。君は此等を封じる事も無く、雨として、リフレインとして、受け入れてしまう旋律、其等を音楽的な隠喩へと変えて行くのだろう》
文乃は市ヶ谷駅へ這入り駅に置かれた鏡を覗き、重く濡れた衣類を見て微笑した。
どれだけ努めても、あの人に愛欲が無ければ、私の自由など無力なものだ、此の介自的な響き、私は其を受け入れる、干渉的な欲望、私は誰かに介入する。ワクワクとウキウキの恐怖の雨を止める事が出来ない、何者も。
駅の奥へ這入ると雨音は遠のいた。
人々は禁じる事で理想市民を成立させて来た、松田初は云った。
二人は松田のオフィスの近くに在るカフェの席にて対面している。大きな窓ガラスが在り、窓の上をアイビーが這い、其の上を雨が清らかな輝きを放ち落ちている。文乃は中学生である、松田は不精髭が板に付いた三十代後半の男性で如何にも研究ばかりしている変人に見えるが眼鏡の奥の目は酷く力強い、彼は絶え間無くタバコを吸い、彼女の顔では無い一点を眺めながら話をしている。
つまり云うまでも無く、其は妄信の一つだ。人は〈浴槽と抑制〉を作り、社会と云うものが成立する様にデザインした。理想市民的強制が在る事、其は多くの人には自覚出来ない程に自然な事で、自由は求められ認められ尊重されているかに見えるが、実の所、選択上の自由は選択に制約されている、いや、思い切って、其処には自由は無い、と云えない所に僕の〈浴槽と抑制〉あるのかな、そして、個体差と云うものは、実に認め難いものだ。人の社会は、凡人の量産に努め、其によって〈群Δ周円〉の強さを増して来た、其は実行力としては強力な事実性が在るからね。事実の規範力は人の人格を拘束する。此の国の近代化は自我のデザインに失敗した。自由による主体的欲求、つまり自我と其の反動たる痛みに耐えられず、求められた事を諦めて受け入れる自意識以上になれなかったのだ、いや、其を利用しなければ成立出来なかったのか。
松田初は煙草に火を付けて上手そうに吸った。
自意識と云う言葉が何なのか私には理解出来ていないけれど、文乃は思った、彼の云わんとする事は、鏡像としての自意識の強固さと其による介自的鏡像の欲求の機能不全なのだろう。
自我が薄い事はコミュニケーションの妨げとして現在も在り続けている、松田初は云った。欲求や自由を自ら見付けられず、願いは誰かが聞き入れてくれると漠に思い込んでいるからだ。其は呪術的価値観と大差が無い、丸で金枝篇の様だ。自由を捉える事が出来ず、其は場面と各自が規定し直す曖昧なファクターとなった。僕が思うに、自由は質的なもので、自我とは欲求の内にリスクを含み、其を責任とも義務ともしない、其の様な理由の無さで在る筈だ。だが、此処で云う群は、自らの欲求に正当性を欲しがるが故に利己的利他性に群がり、未だに、誰かの為の機能不全に巻き付いているものだ。自由に向かって思考し得ない限りは同じだろう。自由を得られない、と多くの人は認識している、概念とは生き物の様に変容し得る僕達の鏡だから当然だ、だが其以上考えない。自由を有しているが認識出来ない、と君の様には考えられない。人々は其等を認識出来ずにいる。社会は平均値と云うコスト、カウント出来る消耗品へ偏らせる事で制御されている、然し、稀に君の様な存在は現れる。其に対して、群衆と云うものは恐怖を覚えるのかも知れない。
松田初は一瞬文乃の顔を見た。文乃は其に微笑んでコーヒーに口を付けた。
人の意識こそが人にとっての最大の謎なのだが、何時まで経っても人の檻の内外は謎ばかりだ。僕達は僕達の内部に付いて、其の自由性に付いて多くを知り得ない。人が組み立てられる物語に斬新なものなど有り得ないと云う呪縛に囚われいるが其の外には出られない、一つの楽器が成立した時点では其の楽器が奏で得る凡ての音楽を既知として想起出来ないのと同様に。物語は其自体が言語によって成立する為に言語的に転覆し、其の外側には出られない、僕の様な語り手は語り尽くされたものへと収束するだけだ、其の様な虚構としての自我が、人間だ。前提を作り出し、其の後に前提を覆す、禁を作り、其の禁へ帰って来る、物語は混乱するが、結末は常に一定だ、此の何処に自由が在るのか、〈此性〉 が在るのだろう。うん、多様性と云うものは論理によって作り出される訳でも無い。僕等の会は其の点に最初から見切りを付けていたのだろう、君に費やされる何もかもは投資ですら無いのだから。
今、此の瞬間とは自明なのだろうか、彼女は思った。
プラットホームへ出ると其は別の、雨の近さ、へと変化していた、文乃は打つ雨を眺めながら列車を待った。離れて見ると雨は幾重もの層となり波打ち、景色を這い回り舐めていた。打たれる街、青々とした樹々は、ただ、其に耐えている。間も無く、列車はやって来て、彼女は其に乗り込んだ。
松田さんは何時も回りくどい云い方をした、でも、私と共有出来る言葉で語ってくれた、彼の姿は、語ると云う事が、他者と関係しながら自らを変容させて行く事だと、教えてくれていた。つまり、コミュニケーションは変身的で、差異的なのだ、文乃は思った。私が語る時、其は介在している誰かと関係していて、且つ、私自身を変更する。だが他者を見下す事で自己に変化が起こるだろうか。
進み始めた列車は雨を打ちながら移動し、雨は列車を鳴らし続けていた。
人は〈理想市民〉を作る事で、逆説的に〈非理想市民=狂人〉を作り上げた、松田初は云った。其は或る意味、一つの心理構造とも云える一定の作用を持つ器官だ。逆説的に作られた〈非理想市民=狂人〉に陥らない為に、其にならない様に振舞うべき像、此の二つは皮肉にも鏡合わせだ、最初のアートが鏡像と云う認識だとしたら、此は第二の鏡像なのだろうか。人が〈非理想市民=狂人〉的な振舞いを試みる時、第一の目撃者で在る自己の〈内なる看守〉が禁じる、此が理性の様な振舞いを見せ、常識と云うコードが作用し、労力も無く秩序が保たれる。さて、枕流の会は其の禁に踏み込む事で成立している、別に珍しくは無い、常識を疑う事で得られるものはあるだろう、だが、彼等、いや僕等は、は禁忌として在るものなのだ。故に〈非理想〉的で在る事を禁じない、君と云う人材に興味を持つのも、其が〈非理想〉的で在るからだ。
どうしてだろう抑圧される為の生贄が今、柔らかい液体を打っている、文乃は思った、駆り立てる様に責め立てる様に怯えながら、去勢された草食動物が群を成して荒地を広げている、自らを束縛する何かを求めて。
僕は君の友人で在るし、君は友人の娘でも在る、だから、〈非理想〉的な提案をする事で、良心が咎める、其の点で僕は理想主義を引きずっているな。僕等が求めている事は、君が自由に追求する事だ、其の果てに何が在るのか、無論、見当も付かないのだが。もしも、君が高校に進学しないのであれば、僕等が場を設けよう、僕等が提案するのは其だけだ。君は、社の役員となり、好きな様に作れば良い、好きな学問に励めば良い、まあ、神童である君にとって、改めて学ぶ事が在るのか僕には判らないが。問題は、其の先が、未決定で在ると云う一点だ。
でも、同時に〈非理想市民〉となる、文乃は云った。
其の通りだ、僕は悪魔の手先、と云う所だろう。君は結局、何処に居ても目立つだろう、そして、其を価値化する者は多く、故に脱価値化も起こる。其が潜在的イジメを維持してしまう。最小のイジメ、人の防衛本能の産物なのか、退屈さなのか、想像力の不足なのか、コミュニケーションの機能不全なのか、どちらにしても利益の無い、奇妙なパラドクスだ。子供達には自分の価値化脱価値化が、他人の問題、として見える。同一性が在ればイジメは自由化されるのか、否、そもそも、自由とは同一性で説明が出来ないものだ、少なくとも僕はそう考える、故にイジメは自由化出来ない、同一性の延長に自由が在ると考えるのは妄信なのだ、残念ながら世の殆どの人はそう考えない。
同一性と云うもので、人の意識の自由性を語る事が出来る、と云うものは科学的な思惟です、凡ての器の器は非在でとしてしか在り得ません、文乃は云った。
個人的に尋ねたい、松田初はメガネをハンカチで拭きながら云った、君は此の先、此の世が楽しくなると思うかい。
予想では無く印象ですが、文乃は云った、便利さは増すでしょうが、其は限られた人のものになるでしょう。
尤もだね、彼は其の様に云うと冷めたコーヒーを口にした。
文乃は列車から降り、そして、乗り換えをした。
《電車、地下鉄、あらゆる場所に広告は在る。化粧をした美しい女優が化粧を君に勧めている。女性らしさとは女性的なアイコンの模倣だ》《貴女はきっと、来るべき時が来たら、彼女達を模倣します、人は互いが互いを模倣する事で営んでいる鏡なのです》《だが、鏡像が認識で、〈理想市民〉が模倣すべき認識だとして、美人と云うアイコンはどの様に成されるのか、其は明らかな集積として在るがどの様に増築されたのか》
現実とは一つの虚構だ、文乃は思った、何故なら、真実とは、素顔の如く、虚構と交換不可能である仮象であり、現実とは代謝の一面であるからだ。現実は仮説的虚構に含まれている。部分的な現象としての現実とは質との接面であり時の現在性だ。素顔とは化粧によって作られた仮象で在り、化粧とは一つの即興性なのだ。化粧をしたからと云って、凡ての人が女優になれる訳では無い、美しいドレスを着たからと云って美しい婦人になれる訳でも無い、其等は現実と云う虚構に対して成されるメイクアップであり、コスメティックな〈幻実〉の抱擁だ。美しい者で在るか否かが問題で在るのでは無い、美しく在りたい者が問題なのだ。美しさとは再現前的あっただろうか、寧ろ、再現前性が真実で在る事は限られていて、模倣は欲求の一接面ではなかろうか。主人公性とは、未来に対して無知で在る事だ、未知なる虚構を〈現在∧現実〉に迎える事、其が未知なる此の世に行く身支度で在る筈だ。仮象とは、内なる作用で在り、仕草だ、其は実在的に在り得ないが現在に作用している。化粧とは晴れへ出る武装で在り、其処に入室しつつ褻を内包するオルガンなのだ。だが、其の出入りを何か外部に同一化させようとすると、其はシンボル化して、流通を作り流行り廃れを作り出す、作っても作っても量が上回る情報網、精神病がウィルスの様に降って来るトンネルを作る、次から次へと何かへ巻き付く事で、其処に禁忌を作り、内なる視線を作る先に、条件と云う不自由を作る。其の様に再現前性の呪縛を他人の為に作る。此等模倣は、寧ろ、最初と云うものが何処に在るのかと問う事で、オリジナルを喪失出来る。私は変化している美しさで、未知へのシフトとは自由の発見だ。美しいものを知ると自らの美しさは変更され介自的鏡像は変身する即興性となる。模倣と複製は禁忌や呪縛で在りながら欲求だ、其は私のもので、再発見された愛嬌はモデルでなく、私の愛嬌なのだ。
《彼が、君に幻滅するとは思わないのか。恐くないのか、あらゆるものを失う事を。今なら思い返せる。君にはあらゆる可能性が在る》《貴女には様々な人を見習う事が出来ます、母の為にと思うなら母に恥ずかしい思いをさせてはなりません》
無数の監獄、〈内なる看守〉の組み合わせ、パノプティコンの中に居て、人は、今が自由なのだ、と思い込む事が出来るだろうか、過去が未来に先回りするだけの熱中症の中で酔いしれる自分を想起出来るか。此の神無き紙の上の愛を模倣し続ける者を、傷付けずに救う事が出来るだろうか、然し、私は憐みを抱かない、此は私の欲望なのだ。其になろうとすれば、〈結び目の無い首輪〉は己の首を絞めるだろう、何者かの為に生きれば、何者かが犠牲になり、誰かになろうとすれば、何処かに空洞が作られて行く。此等、人の呪いとして在る言葉達がキラキラと唄い、未視感の予感は、其処へ訳も無く流れ込む、即興の幻想。
《君は、此の様な言葉を一切聞こうとしない、私達は異なる視線を降らせて行く》
列車は嵐の中を走っている、文乃は思った、一つの雨は、〈現在∧現実〉に辿り着くと無数のリズムとなり、視界を鼓舞するが、列車の中は列車の走る音其のものの雑音に満ちている。移動しているのか座っているのか、移動しながら座っているのか、或いは、移動を固定と錯覚しているのか、乗車客からは判らない。但し、無数の時は〈想起=オルガン〉に当たり、其は此の世へと放たれ、放たれた音は、知覚として帰って来る。
差異性は無数に居て、君に話し掛けて来るだろう、白羽拿梛(しらはなな)は云った。
彼女は藍色の絹の着物を着ていた、拿梛の外見は若々しいが文乃の母と同じ歳である。文乃は拿梛の自宅で拿梛の新作を読みながら拿梛の話を聞いていた。文乃は大学で仕事をしている彼女に勉強を教わりに来ていたのである。
其は一見、内なる他人に見えるかも知れない、拿梛は無数の雨粒を追い掛けながら云った、彼等、つまり、君達は内部で区別される為に〈雪ど化粧〉を被っている。其は水面、時に其こそが折り目として機能している。然し、差異性は内部と云う外部だ、だが、其を内的な他者と云い切れるだろうか、寧ろ、其は君の〈現在∧現実〉で、〈幻在Δ幻実〉(げんざいげんじつ)ではないだろうか。私は其の内に流れる声から仕草を学んでいる、不純なる声は時に純粋な一回性として響くから。彼等は幽霊の様なもの、けれど彼等には〈現在∧現実〉と云う君が在る、彼等の声を封じると云う事は、彼等を文字通り〈群Δ周円〉として切り離す戦略を成熟させる事だ。君と云う今を、様々な者が見る、一つの事象を複数の鏡が映す、其の一回性の事実を、たとえ忘れたとして、其が君で無かったと云い切れるだろうか。常識と云う視線は人格の内部を外に追い出したもの、其は同時に〈朽ちる月を去る裏〉を形成する。ほら、雨が詠う時、君の内にも雨は降る、其の〈雨のコラージュ〉を思い出してはならないと云う事が出来るかしら。
×
気付くと、彼女は水面に浮いていた、何処かからオルガンの音色が響いて来る。天井は所々抜けていて雨漏りの音がクスクスと鳴り、壁は酷く老朽化し這う蔦は建物を侵食しつつ在るグルグルだ。酷く澄んだ淡水で井戸から溢れた様なテラテラはゆっくりと流れていて、彼女は、此処はあの辺獄なのだろうか、と思った。起き上がると水底は浅く足が着く、水面は彼女の腰元辺りの高さで、水底に在るのは石造りのレリーフらしいが苔と水生植物で元の物が想像出来なくなっている。辺りを見ると、其処は石造りの建物の一室で在るらしいが、植物の浸食の為に、一瞬、其処が庭園なのでは、と錯覚する程であった。壁には人為的に作られたであろう穴が開けられている。水から上がった場所には、壺や瓶が置かれ、其等は調律されているかの様に小気味良く鳴り響き、オルガンに混じって空気を満たしていた。
「人の内部程に暮らし辛いものは無いわ、其は儚い夢想の様、其は殆ど空洞化其のもの、其処に在るのは記憶か襞か、忘却か消却、其に似た埋没」仮面を着けた少女は云った、少女は建物の蔭から蔭を踊る様に渡っている。「だけど、人は失われないものを愛さず、見出せないものを忘れない、あなたの建物は〈雨通り〉が良くてオルガンが心地良い、だから色々な声が住み着いているのね。ねえ、私の声うるさくない」仮面を着けた少女は別の蔭から現われ尋ねた。
「いいえ」彼女は水辺から上がり胡座を組んで云った。「うるさいと思った事はありません、あなた達は私、別の楽器の私」
「でも、多くの人は耳を傾け無いし、気付くと追い出してしまう、聖なる土地の〈雨通し〉を閉ざしてしまう。自らの死と引き換えに呼吸をしている、此の限りない未視の辺獄を内側に閉ざしている、文の声を文面に閉じ込めて、「」や〈〉や《》を視認して読み飛ばす様に」仮面を着けた少女は云った。
「本当は息衝いている声を、丸で他人の声の様に、内部に書き、書いた本人が読み飛ばして忘れる様に、ですか。きっと、別の何かと勘違いしてしまうのでしょう、そう思い込まないと先に進まない、人は湧き上がる不安の声から逃げ続けるものですから」彼女は顔を洗って云った。
私は聖地を巡る少女の姿をした巡礼に付いて聞いた事が在る、彼女は疑問に思った、然し、誰から。
「あなたは、私の事を脱ぎ捨てた空蝉だと感じる」仮面を着けた少女は尋ねた。
「どうでしょうね、其の様にも云えるかも知れません、然し、あなたが一般論で語られる事はありません、寧ろ、〈現在∧現実〉と〈幻在Δ幻実〉の交わりを行き来している私達の内、現在に居るのはどちらなのでしょうか、私なのでしょうか、あなたなのでしょうか」彼女は云った。
「ファウストが若さを取り戻した時、彼は愛に溺れた、愛を失い、失うべき努力を砂の塔の様に重ね、盲目となった、でも、其が失われるものだから詰まらないものだと云えるかしら、人が生きる意欲とは、人が自らを主人公だと云い張るものとは、根拠や理由なのかしら。人は内に空洞を持たないと、内に建物を建てられない、でも、其は辺獄となって、人の内に在る外部になってしまう。リンボには雨が降り、建物は次々に破壊され、祈りは呪いとなり内部から崩壊し、やがて、外部との区別が付かなくなる。此のリンボに脇役を求める人も居て、燃え盛る紙の束で自らを照らし続ける光が無いと自らを見る事が出来ない人、見て忘れて見出す事が出来ない人も居る。他人を消費して輝いている虚像にならないと、失われる〈此性〉として失われる事が出来ない、と云う呪い。其の円環にとって、其の内部は〈鏡ガエリ〉の為の輪の様なもの」
「介自的鏡像の未熟さから、他者を無自覚に支配する人は居ます、其はエゴの未熟さです。エゴとは何か、と問われた時に其を意識と区別させる事すら出来ないでしょう。彼等は即興性としての化粧を認識出来ないかも知れません。其等無自覚な家父長思想は燃え盛るものを好みます、恐らく、何かが燃え尽きても気づかないと云うのに。未視を受け止める〈秘する鏡〉は、其の〈此性〉の降雪で自重を支えられないかの様に、失われるもの見出し、見出したものを失い、見出されたものとして失われます、然し、見出している時の〈此性〉は、未視への恍惚の欲望に駆られ、自らの詩と引き換えに呼吸をしている事を思い出さずに居られないのです。だから自己の薄い者は其を塗り潰し、常識の洪水で此の辺獄を埋めてしまいたくなり、内から来る声が〈現在∧現実〉と齟齬を起こす様に強制したくなるのかも知れません」
「でもね、其を埋めたくなる気持ちを責めないで、雨風に耐えられない人も居る。音楽を聴き続ける事が出来ない人も居る。梯子を外されて、改行を消されて、レールから外れて、此の流れる一切合切が、思い描いた物語からずれて行く未視感は、丸で故郷から追い出された様な孤独、喉に突き付けられた自らの死、其が内から湧いて来たものでも、選択の銃口の冷たさを知れば思い知る、こんな筈じゃなかった、と嘆く。どれだけ誠実に生きても、梯子が外れる理由すら無い未視の中、雨に打たれても演じるべき仮面を持っているのは、理性では無く、強固な化粧と仮象。思考を強制する選択は祈りの副産物、其は呪い。祈りとも呪いとも云えない襞が、他者と云う燃料で照らされた快楽、介在する他者が居た時の喜び」
「人は必然的に滅びる自己と云う像を描きます。意識が自明であるなら、存在理由は在りません。人の死滅は、内外から、自明です、然し、其が私とどの様に関係しているのでしょう、蝉の抜け殻には今が無い、だから、〈現在∧現実〉に干渉する私は在ります」
「呪いは今に干渉する、今、やる気が無い者、今、気力が無い者、今、退屈な者は、降る時より早く動こうとする、過去は自己像と鏡像を失って介在している視線だ。今、自らを持たない者は過去の声を耳にして、そして、今を満たしてくれると錯覚し、内部と外部を思い描く。其の劇の如く、自ら何も動かなくとも運命によって満たされる空洞は、役割によって成される虚構だ。其が呪いで在っても、〈利己的利他性〉として享受出来る虚像は、其等、現在を追い越して過去へ帰着する未来と、現在を追い越して未来を規定する過去の為に、生きると云う病を生きている。でも、もう、即興が出来ない楽器が、生きる事にどれだけの興味を抱けるだろう」
「〈雨通し〉の良い声ですね」
「内部とは一方通行の水時計、其等は唯、何者よりも遅く、流れ去る。新しく無い雨は無いのに、どうして同じものを求めるのだろう」
同じ夢、同じ宿命、同じノスタルジア、誰かの夢、誰かの願望、其も、自分の場所に降るコラージュの破片だ、脱衣の物語、着衣のエロスの始まりに見出される波。外に向かい重ね着をする事は、内へ向かい増築して行くのと等しく、鏡と云う最初のアートは、私達の鏡を水面とした女神を詠う。脱衣のエロスより先に在る、着衣の物語、内部へ抱かれて行く子供達の跡、あなた達の顔は鏡を抱擁せずに居られない。鏡像と云う自我、其処から脱皮する度に折り寄せられ、広がり続けている此の〈白紙のコラージュ〉より、〈雪ど化粧〉は振動で波打ち、あなたの唇の上の、一枚の木の葉の様だ、彼女は思った。
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彼女はT駅で下車した、遠くの方に山々が見えていて、其等の上空には重たい雨雲が流れている、文乃は傘を広げ駅から出た。
フォルムと云うものが在る、其は思い出されると云う姿のイマージュだ、其は何処かに在ったのに再発見されて行く、文乃は思った。ハイウエストのキュロットも白いブラウスもフォルムだ、然し、其が具現化された時、其は想起では無く、知覚として在る。《其等衣類のフォルムを想起したのはデザイナーである、だが、私達が潜在的デザイナーで無かった時とは何処に在るのか》あれ程に懐かしかった象が、具体化されると興を冷めさせる、其の様にしてイマージュはブラッシュアップされた像を描いて行くのだろうか。其の中で、姿を持っても愛さずに居られないものが在るとしたら、其は見出されたものであり、失われるものだ、《つまりマスターピースであり反復だ》、其の様にして一つの旋律、一つの物語、一つの衣類は生まれた。私達は其等を仕方無く選ぶ事も出来れば見出すと云う創造も出来る、そして、私は常に何をか見出す期待と共に歩んでいる無知だ。意識の自由性への問いの多くは個人の興味の外へ出ない。仮に人工知能に意識が芽生えたら、其の意識が人の持つ其と同相の性質を持つか否かを判定する深刻な命題が成立するが、二つの個が同相の意識を持つか否かに付いて、人は深刻に悩まない。《私と貴女が同相の意識であるか否かを私達は悩まないでしょう》だが、内在的に、其の疑問はフォルムとしてある、多くの時、忘れていると云うだけで、消えている訳では無い。
彼女は駅から麦畑へと出来た、其処は誰かが、ゴッホのカラスのいる麦畑、と呼んだ場所である、何処までも続いている様に見える麦の騒めきの中央に、二本に分かれた道が在る、彼女は其の一方を通ってQ研究所へと向かった。
右か左か、と問われる時、人は右と左と後ろに下がる、と云う選択肢を思い描いてしまう、そして、其等を考えなかった時は奪い去られる、でも、見出されたものも在り、見出されたものは選択では無く栞を捲る様なものだ。其を言葉で説明すれば選択にする事が出来る、たとえ其が非現前的な想起であっても、人は選んだと認識出来る。《非言語的欲求を言語的欲求が上書きする様に》故に、人は愛を、選び取るものだ、と思い込む事が出来る、其なら其で良いだろう、正気は演じられる容貌の鏡の制度。然し、私は愛を見出すのだ。
不意に、彼女は水溜まりに映る自分を見た。
正直で在ると云う事、今在る、在るがまま、と云う素顔、其は〈時=意識〉に対して、決して、誠実な表現ではない。素顔は仮象だ。今在るキラキラと云う音は、そう云った瞬間、過去のものを描写している。今とは、過ぎ去った旋律を示すのではない、今、奏でている此の旋律、此の体、紙の上を撫でているペンのペン先の事である。どうせ色褪せるなら、使い捨てられる名前を与えてくれ。時の素顔と云うものが云い表される時、其は過去の仮面か、未来の仮面の予定になってしまう。丸で、小さな子供が、御腹が減った、と云う事で寂しい気持ちを表現しようと駄々をこねている様に、正直な人は時の化粧性に付いて表現し得ないパラドクスを抱えた詩人だ、時に偽りをもって、時に比喩をもって、詠う詩人なのだ、故に、時の素顔が無いと云う事は、奏でている真最中である。時が流れている、と人は云う、では、何処へ流れ去って行くのだろう。時が流れ込んで来る、と人は云う、其は何処から流れ込んで来るのだろう、何処に未来があり、何処が過去なのだろう、私達は現在で在り続けていると云うのに。今の今らしさとは素顔無き女神の仮象だ。現在を生きる人は〈素顔と云う名の仮象≒化粧〉を身に纏っている。化粧とは、過去の自分が思い描いた未来への祈りの具現化、仮象としての素顔だ。故に、過去にとっては未来である〈現在∧現実〉だ。化粧とは過去が思い描いた未来であり、過去の自己のへの抱擁、着衣のエロスだ。
《踏み越えた君の子は我が子、我が子は君の姉妹》《子の母は貴女の母、子の父は貴女の父》《或いは子の父は父、子の母は母、君と子は姉妹》
傘を畳み彼女は建物の入り口に立った。不意に、丸で今発見したかの様に、彼女は見慣れた建物の窓ガラスに映る像を見て、鞄から薄い色のルージュを出し、唇に薄紅を引き、微笑した。其処に立っているのは彼女であって、既に嘗ての彼女では無かった。そして、優雅に傘の水滴を切り、其を束ねて建物に這入って行った。
だから、私は見出している、此の瞬間に吸い込んだ、白紙を折り曲げた線と線、其の無数の螺旋模様を、此の襞を作った時に。偶然が私を成して包み込んで行く、様々なフォルムを。此の流れを受け入れる何もかもが、無知なる私に降る事を、今も、見出しているのだろう。
〈2へ続く〉
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