お金持ちは床にものを置かない その2
お金持ちは床にものを置かない その2
お金と床面積の関係は?
「お金持ち」の家に関連してよく言われるのは「トイレ掃除」と「床面積が広い」ですよね。
トイレの話は有名として、お金持ちは絶対に床にものをじかに置かないんだとか。つまり、床面積を取ることを重視するんですって。
そもそもお金持ちはそもそも家が広いだろうから、床面積が広くて当然でしょう、と多くの方は思われると思います。私もそう思いました。
ですけど、そうではなく、もともとの床面積に対して、どれだけ広く床を開けているか、ということだそうなのです。
前の記事で少し触れましたが、意識して床に物を置かないようにし、床の掃除を頻繁にしていたとき、収入が爆上がりしたことがある、というのは事実としてありました。
私の知人の中には、おそらく100万円に近い家賃の家に住んでいる人がいますが、「床」には何も置かれていなかったのはたしかです。
たとえば、どこかにはあるかもしれませんが、廊下に荷物やいつか捨てるもの…読んだ新聞の束が置いてあるとか。
本来置くべきではないものが床に置いてある、という例もあると思います。
(前記事「お金持ちは床に物を置かない」のドライヤーの話より)
その理由を、私なりに理由を考えてみますと…、
床に置いたものは「無意識」に追いやられる
床に置いたものって、存在感がなくなりませんか?
あるいは「なんか目障り」と思ってしまいませんか?
床置きタイプの家電は別として、床に置いたものを、自分にとって大切なもの、とは思わないのではないでしょうか。
大切なものって、床にじかには置かないですよね…。
現金、印鑑、ブランドのサロンで買ったような服やバッグ、ジュエリーなどを、床に放り投げたり、床に置いて放置する人って、どのくらいいるでしょう。
必ず箱に入れたり、上のほうに置くか、引き出しなどにしまう、となるのではないでしょうか。金庫にしまう方もいるかもしれませんよね。
床にものをじかに置く、というのはその時点で「これはどうでもいいもの」あるいは「本当は別のところに置きたいもの」と、脳内で仕分けされてしまう、と思っておいていいかもしれないですね。
そして「忘れる」というのは、完全消去ではなく表面的に忘れる、という意味です。物理的にものがある以上、そのものを忘れることはありませんが、頭の意識できない場所に追いやられて、しっかりと居続ける、そういう感じです。
なんとなく、存在感は薄いのだけど「いつかなんとかしなきゃ…」と思い続けることになるのは、そういう理由なのです。
「ない」感覚、「ある」感覚
ここで、「ない」感覚と、「ある」感覚についてです。
「床面積が狭い」という感覚と、「お金がない」という感覚は、似ているのではないかな、と思ったんですね。
つまり、床にものを置くということは、置いたものには意識が向かないし、置かれた床は「ない」ものとして認識される、ということではないだろうか、ということです。
逆を想像してみると、床面積が空いていると「空間が”ある”」と感じる。「ある」と感じるんですね。
床が広い=家が広い=お金がある、という連想は簡単ですね。
床が狭い=家が狭い=お金がない、という連想も簡単なのではないでしょか。
そして、どういう家を広い家と感じるか、というと、ただただ大きい家ではなく、床が広い家、なのです。
「走れる!」と思うような家が広い家、という感覚、ありませんか?
床が狭い=ものが豊富にある、という方には意識がなかなか向かないのは興味深いことではあります。
これも逆を考えてみると、部屋の中にものが多い、というのは別の面では「圧迫感」を感じますね。
この「圧迫感」が、金銭的にも「圧迫されている」というのと感覚的に共通になる、というのはあるのではないかな、と思ったのです。
脳は主語を理解できない 説
「脳は主語を理解できない」という説があります。もう、多くの方がご存知かもしれませんが、脳は主語を理解できない、のだそう。
ということは、「部屋が圧迫されている」というのと、「私が圧迫されている」というのは、脳内では同じ感覚と言えるでしょうか。
床面積を開けておくと、「空間が”ある”」と感じ、「余裕がある」と感じる。そして「私に余裕がある」という感覚とつながるのでしょう。
お金がある・ないというのは、余裕がある・ないという感覚なのです。
お金がほしい、というのは「余裕がほしい」ということでもあるんですね。
「いるもの」「いらないもの」を瞬時に判断するには…