夜が明ける――遊星D『どこへも帰らない』評(西村紗知)
▼『どこへも帰らない』映像配信ページ(~2024/5/31)
遊星Dのオムニバス公演『どこへも帰らない』は、前回2023年の公演『低き楽園』と同様、シンプルで簡素な言葉から組み立てられた対話劇からなり、そのどれに関してもシチュエーションとして共感しやすいものだった。
だが、それほど理解しやすい対話劇ではなかった。互いに微妙に話が嚙み合わないように、台本は緻密に調整されている。最終的に「行きまっか」と、墓場泥棒と狼人間の三人が鳴き交わすに至る「闖入者たち」が特にそうだった。「ナイト・オン・アース(remix)」(作:中村大地(屋根裏ハイツ))では、行く方向が一緒だからといって乗り合いになった客二人とタクシーの運転手、の三人が揃うと、そこには現実とも空想ともつかない奇妙な緩衝地帯が立ち上がっていた。特異な出来事が起こっても、真偽の次元を持ち出したりしてそこから脱出しようとする意思もないのは、同名の古典落語を下敷きとする「権助提灯(overdose)」の権助もそうだっただろう。ここで彼は、急性薬物中毒に陥った令嬢の命を助けるべく、二人の女に交互に電話する羽目になる。片方の女の剥き出しの嫌悪感と、もう片方の女の要領を得ない問答とに翻弄され、どこへも行けないどころか夜明けさえ訪れない。だが、彼らにしても互いの話を聞いていないわけではない。こう言うと陳腐に思われるかもしれないが、本当に噛み合っていないのは、人間同士ではなく人間たちと現実の方なのだろう。
思うに、朝を迎えることは、この一連の夜中の対話劇においては、現実の在処が示されることと同義である。それで、電話してみても、言葉で鳴き交わしても、タクシーに乗っても、無駄だったのだろう。最後の作品、理系の大学院生が実家で論文も書けず、アポロ11号のレゴブロックを組み立てながら、その逸話を回顧して語る「越夜」にて、彼女のコロナ禍で一時停止した人生に、未来は遠くとも朝は訪れる。宇宙開発に供された一匹の犬の死に、月面着陸を成功させるために必要だった一人の人間の孤独に、つまりは、この世界のどこか、別の時空から密かに発されていた、聞かれるべき声の所在に心を開いたとき、初めて夜は明けていったのである。
▼西村紗知さまのプロフィール
批評家。1990年鳥取生まれ。メルキュール・デザール同人。音楽、現代音楽、お笑い、その他の題材につきまして、批評文を書いております。
連絡先:sachinishimura77[at]gmail.com