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パクリ、横流し、真似の共通点と一夜漬け、丸暗記に潜む罠(第41回)

どうも、ゆうせいです。


何ともゆるーい週一更新になってて、毎週早めに書かないとと思いつつ週末へと追い込むスタイルになっている。少し疲れ気味だが、頑張っていくしかない。

さて、今回のテーマは「パクる・パクられる」について。


ジラ谷さんは、パクられることで自分に受けられる恩恵があるという。これは果たしてどんなものだろうか?

パクる・パクられることについてのジラ谷さんのnoteをまとめて、私の思うところを書いていく。


それではどうぞ。


1.パクることの世間の認識と、パクられることで受けられる恩恵

パクリ行為は様々な作品において、残念ながら行われてしまう。アニメをはじめ、漫画、小説、音楽、絵画、映画などなど。どういう流用の仕方がパクリなのかは、悪意があると感じた人が「これはパクリだ!」と言うのだろうか。

オマージュ、インスパイアなど自身のフィルターを通して、同じテーマでも独自のものを生み出していれば良いのだが、元の作品と全く同じ部分を抜き出して使用するのはパクリになるのだろう。

(全く同じでもパクリにならないものは、元々の作品の制作サイドに許可を取っているはず)


とにかくパクリという行為の印象は、誰が見ても良くないという世間の認識があり、元の制作者から訴えられたりもするし、裁判で負ければ賠償金まで支払わされてしまうので、そういう事実がある限りパクリ=悪という認識は消えることはないだろう。



しかし、情報発信においてはジラ谷さん曰く、パクられても何も問題はないという。大した被害は受けないだろうということだけど、パクった側が得することは一時的でしかなく、パクる人の中身が空っぽだから発信活動も長くは続かないだろう、というのがジラ谷さんの見解だ。


その人の醸し出す雰囲気というのは、その人にしか出せないもので仮に他人からコンテンツをパクって自分が作りました、と主張してもコンテンツから感じ取れる雰囲気が制作者自身の雰囲気と違えば、「本当にあなたが作ったんですか?」と疑われてバレてしまうからだ。


こうやって考えるとパクる側にはメリットがないばかりか、パクられる側にはメリットがある。自分が作ったものを横取りされて、なぜメリットがあるのか?ここで少しシンキングタイムといきましょうか。





はい、パクられる側のメリットとは何か、考えましたか?これはジラ谷さんが「恩恵を受けられる」と言っていた部分。その恩恵とは何か?

この「パクる」というものは自分よりも格下の人がする行為だと思っているので、視点を変えれば「パクられるに値するコンテンツを自分が持っている」ということになる。つまり、「自分のコンテンツは良いですよ!」と宣伝するよりも強力な、「客観的証明」になるわけだ。


どうでしょう、この視点!私は思わず唸ったよね。「確かに!」とも思った。良いものでなければ誰もパクらない、これ真理。


「パクるのは良くないから、自分でしっかり思考して独自のコンテンツを作りましょう!」とストレートに言っても、これは誰かが同じことを言っているくらいに何度も聞いたことがあるような言い回しだ。

そこをジラ谷さんは、パクられるコンテンツってなんだ?と視点を変えて、パクられるほど良いコンテンツを作れるように、しっかりと思考と言語化を鍛えましょう、と持っていく。この視点の違いの面白さよ。


これがパクられる側のメリット、受けられる恩恵なのだ。


2.パクり、横流し、真似の共通点。一夜漬けと丸暗記に潜む罠

パクリ行為は、自分がパクリ元のコンテンツ制作者よりも格下に成り下がり、中身のない無思考な発信者であることを自ら主張している、ということが理解できたと思う。


それは何もパクリだけではない。ビジネス発信界隈に氾濫するノウハウの横流しや成功者の真似なども、よくよく考えれば同じようなものだろう。

自分で自分の道を切り拓くことなく、誰かのノウハウや成功ルートを辿れば同じように稼げると勘違いをして、自分の頭で考えずに行動するのはパクリ行為と大きく変わるものではない。

コンテンツをパクってないから悪くない!と思うかもしれないけど、だからといって自分が成長する道を歩んでいるかといえば、答えはノーだ。


ビジネスの知識やノウハウの知識、成功ルートの知識だけを頭に詰め込んで実践しても稼げないのは、そのノウハウや成功ルートの提供者と自分は違う人間だからだ。

テスト前の一夜漬けで、英語の文法や数学の公式、歴史上の出来事を丸暗記して、テストは何とか乗り切れるかもしれないが、ただそれだけだ。テストが終われば頭に詰め込んだこれらの知識は、全部もれなく忘れるだろう。


これが発信活動でも同じことが起こる。丸暗記したものをそのまま実践したところで、順調に活動ができて稼げるルートに乗れるかというと、そんな簡単なものではない。

上手くいかない場面に遭遇した時に、いかにその失敗を改善していけるかを思考できる人が生き残っていくのだ。


私もまだまだその域に達しておらず、ペースの遅い思考と言語化の積み上げをしている最中だが、発信活動をしていく限りは思考力と言語化力を鍛えて、自分だけの成功ルートを模索しながら進んでいきたいと強く思っている。

端から誰かのコンテンツをパクろうなどとは全く考えていないからこそ、こうしてジラ谷さんのコンテンツを借りながらも自分のフィルターを通した文章を書き綴っていくことを、誰にともなくここに約束する。


それでは今日はこの辺で。
ゆうせいでした。

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