他人に導かれるか、自分で見つけるか(第37回)
どうも、ゆうせいです。
今回のテーマは「量をこなす」。ジラ谷さんのアウトプットnoteを読んで書くちょい足し考察noteの37回目。(すでにちょい足しの域を超えているような気がする)
ジラ谷さんの記事のタイトルからは、量をこなすという内容とは程遠い、というか全然別のことを書いているかのように思うけど、果たして。
ポケモンの色違いというレア種に遭遇する、別の具体例とも繋がる内容だけど、私が同じようにまた別の具体例と繋げるよりも、読んでくれているあなたに伝えたいことがあり、記事のタイトルにも込めたつもりだ。
それではどうぞ。
1.発信界隈で生き残るなら、時間をかけて量をこなすことを覚悟せよ
「量をこなす」というのはこの情報発信界隈で生き残り、マネタイズするためには思考力、言語化力という下地を整えるために、こうやってなるべく高頻度で文章コンテンツを書き、自分の頭で考えて思想や理念をアウトプットする。
…ということももちろん必要なんだけど、今回はそれ以前のところの話。
何かというと、「自分に合った発信活動」を何か一つ見つけるために、無駄なことを多く経験する必要がある、という話だ。
この無駄なことを、ジラ谷さんは99という具体的数字で示しているが、正しい「1」と合わせると合計100になるから、100回何かを経験したうちの一つは正解を見つけられるんじゃないか、という確率的なことでもある。
つまり、100回経験したものの中から自分に合った活動を一つ見つけて、その経験を伸ばしていくことが大事だよ、ということ。
この経験の中から自分に合ったものを見出すのに、ジラ谷さんはすんげー言語化をされていて、思わずブラボー!と一人寂しく拍手をしてしまった。
ねえ、これすごくない?
もしかしたら、もっと上手く言語化できる人がいるかもしれないけど、こういう話を深掘りしてる人なんてほぼいないに等しいので(超絶大事な話なのにね)、この言語化以上のものは見たことがない。
遠回りをして色々と経験し、自分に合ったものを一つ見つけ出す、という時間のかかる作業を、ジラ谷さんはポケモンのレア種と遭遇することを具体例にして繋げている。
レア種ということは、遭遇する確率が相当低いだろうと想像できる(ポケモンをやったことがないのでよく知らないけど)。でも、遭遇する可能性ゼロということではないので、何度もチャレンジすれば必ずどこかで遭遇できるはず。
自分に合った発信活動、副業とかマネタイズのための活動と言ってもいいだろうその活動も、色んな経験を経て何が合っているか、何であれば楽しく続けられるかを自分が経験して「コレだ!」というものが見つけられれば、それが理想だと私は考えている。
時間はかかるだろうが、時間をかけてでも十分得るものがあるので、ぜひ自分で自分に合った活動を探す体験をしてみて欲しい。
2.自分に合ったものを誰かに導いてもらうか、自分で見つけるか
「量をこなす」というテーマは、いかに無駄な経験を多く積み自分にあったものを一つでも見出すか、という内容の話だった。
人それぞれ時間のかかり方は違うけど、多くのことを経験して得た一つの本質はとても貴重なものだし、何より自分で見つけ出したという体験は発信活動をしていく上で欠かせない要素となることだろう。
発信活動をしているとこんな話をよく聞く。
「独学では絶対に稼げないから、成功者に教わった方が良い」とか「自己理解をするのは相当ムズイから、詳しい人の話を聞いた方が良い」とか。
自分であれこれ試しながら、失敗も味わいながら自分だけの道を開拓していくのが楽しいのに、稼ぎ方も自己理解も他人任せにしたらとてもつまらない発信活動にならない?
と、私は思う。
他人任せの方が力を発揮できる人、その方が楽しく取り組める人なら問題はないけど、それが自分の思ったようにできなくて苦しい、つまらないと感じる人もまたいるし、私がそのタイプだ。
こういうのも「自分に合う要素」であり、どちらもやってみた上でようやく判断できるのだ。実際に私はどちらも経験した上で、自分の道を開拓する方を選んだ。おかげで断然楽しく発信活動をしている。
こうした自分に合う要素を見つけ出すのに、私は4年くらい無駄な時間を過ごした。いわゆる稼ぐ系やノウハウで稼ぐというやり方で、何年も成果を出せずついには離脱した。
他人のやり方に縛られ、稼ぐことに縛られ、一つも楽しくてワクワクした感情はなかったことを振り返ると、今こうして自分の考えをまとめて文章にしてアウトプットし、思考力と言語化力を鍛える積み上げをしている時間に、充足感をとても感じている。
時間をかけて自分に合う要素を見つけ出し、時間をかけて発信の土台となる力を付けていく。情報発信でマネタイズをするにしても、楽器演奏をうまくなるにしても、即行性のある処方箋などないので、時間がかかるということを肝に据えて、その道のりを楽しく歩んでいければ、発信し続ける意味は大いにあるだろう。
それでは今日はこの辺で。
ゆうせいでした。