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一度味わうと病みつきになる爽快感の正体。発信スタイル、文章、好きな音楽の話(第46回)

どうも、ゆうせいです。


今回のテーマは「選ばれるキャラクターとそうでないキャラクターの違い」について。ジラ谷さんがいうキャラクターというのは、主に格闘ゲームで選ぶキャラクターについてのことだが、キャラを選ぶ基準と情報発信を見事に繋げている内容になっているので、ぜひ読んでみてほしい。


格闘ゲームで自分が選びたくなるキャラクターと、文章の爽快感について。おおよそ繋がりそうもない二つの要素が見事にドッキングすることになるのだが、そのヒントとなるのが「爽快感」というワード。

そして、あれこれ思考を巡らせているうちに爽快感の正体にまでたどり着いた。ヤッタネ!


ということで、元記事のまとめと私の思考遊びの結果を書いていく。


それではどうぞ。


1.格闘ゲームのキャラクターと文章に潜む爽快感の正体とは

まずは格闘ゲームで選ばれるキャラクターとそうでないものとの違いについて。選ぶ決め手になるのが爽快感だという話なのだが、どこに爽快感を感じるのだろうか。

これは、キャラクターの動きや技、コンボなど自分にとって操作性が良く、出した技が相手に気持ち良くヒットすることで爽快感を得ることができる。

ただ、最初から自分でどのキャラを選べば思い通りに操作でき、技を出すことができるのかは分からない。なので、上手い人のプレイを見て「その動きやってみたい!」と思うキャラを選びたくなると思う。


格闘ゲームのプレイにある程度慣れていれば、操作も技の出し方も割とスムーズにできるだろうけど、そうでなければ自分が操作するには難しすぎるというキャラクターもいるだろう。上手い人が特定のキャラを使ってめちゃくちゃ強くても、自分にそれができなければ操作も技も上手くプレイできるキャラを自分で探すしかない。

そうなると、あれこれ手当り次第に使ってみるよりも使うキャラクターを一つに絞って練習した方がいいかもしれない。使い込んでみて、操作も技を出すことにも慣れてきていざ誰かと対戦した時に、コンボ技が成功したらさぞかし爽快感を得ることができるだろう。


爽快感は偶発的に出すものではなく、ある程度練習をすることにより何もできなかった時から自分で爽快感を出せるまで繋げることで生み出すことができるのだ。


文章における爽快感も、最初はそれを求めて読むことはしないだろう。読んでる途中から「あれ?この文章、面白いぞ?」と感じ始めて、読み終わった後に面白さが継続していて書かれていることがちゃんと伝わった時に爽快感を得ることができると思う。


一度爽快感を得ることができた格闘ゲームのキャラクターや文章は、今後もそのキャラクターを使いこなせるようにリピートするし、文章もまた読み返して爽快感を得たり、書き手の他の文章も読みたくなる。


爽快感の正体とは、ゲームのキャラクターや文章そのものから発せられるのではなく、それを扱う人が練習を重ねて出せるようになる、誰かの感情を動かす重要な要素なのだ。


2.発信スタイルや音楽にも爽快感は存在する

情報発信において、文章から感じる爽快感が何であるかが理解できた。しかしそれだけではなく、発信者の発信スタイルにも爽快感は存在する。


コンテンツビジネス界隈、殊にXで発信活動をしていると遭遇するのはニーズの多い稼ぐノウハウ、成功者のルートの後追いなどだ。この道を進む選択肢もあるのはあるのだが、ほとんどの人が稼げないか一時的には稼げても長期にわたって稼げずに消えていく。


そんな中で、ノウハウや稼いだ実績を完全スルーし、発信者独自の世界観を醸し出しながらマネタイズに繋げている発信者が増えてきたように思う。

ノウハウを無思考で実践していた私からすれば、苦痛を伴いながら活動して稼げなかった苦い経験をしていた横をすり抜けるように、楽し気に独自の世界観を纏いながら発信活動をしている人を見かけて衝撃が走った。


それがジラ谷さんだったんだけど、この衝撃こそが爽快感だった。


ビジネス界隈では、常識のように成功者の真似をしろだのこのノウハウが稼げるだのと言う人とそれを実践する人しか見かけないような界隈だったし、今でもそうした人の方が多いだろう。

その常識を破壊して、数字の実績で闘うよりもっと平和で楽しくて長きに渡って活動できる方法があるよ~、と口ずさみながらモブ発信者の隙間をすり抜けていく。

こうした人の活動を見て、爽快感を感じない方がどうかしてるじゃないか。


私はnoteで何度か書いているけど、発信者はクリエイターと非常に似ていると感じているので、自分が楽しめるものじゃないと長く続けることはできないと確信している。

発信者も発信活動が楽しくなければ、長く活動を続けられないし、それができている発信者は間違いなくこの活動を楽しんでいるはずだ。


幾ら稼いだと数字を追ってせわしなく活動するのとは、全く異なる方法で楽しく発信活動をするのは私に合っていると強く感じたので、それが実現できるとなれば爽快感を感じずにはいられないだろう。

発信活動の本来のやり方はこれだったんだ!と最適解の一つを提示された気分だったのだ。


私が敬愛する日食なつこの音楽も、出会うまでは感じなかった「歌詞の良さ」に一気に惹き込まれた。

彼女自身のことを歌詞で表現し、それに共感するリスナーが日食さんの周りに集まってくる感覚が、メロディやアレンジを好んで聴いていた頃とは大きく変わっていったのを鮮明に覚えている。

このように、これまで当たり前のようにやってきたことが、全く違う方向に移行し、こっちの方が自分の性に合っているとか、こっちの方が断然良いと感じた時に爽快感は生まれるのだ。


1章で紐解いた、自分で生み出す爽快感もあれば、他者から与えられたものの価値が大きく変わった時に得られる爽快感もある。

この爽快感を自ら生み出し、他者に与えることができれば、自然と自分の周りに人は集まってくるだろう。

私も、爽快感を自ら生み出せるような発信者を目指してジラ谷さんのnoteの写経とアウトプットの力を底上げしていきたい。


それでは今日はこの辺で。ゆうせいでした。

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