真面目な日本人やめました。
先週末の金曜日は、長男と長女の参観で小学校と幼稚園に行ってきました。僕が送り迎えをしているせいか、園児からは「〇〇ちゃんのお父さんだー」とちょっとした人気者です。長身で髪の毛を絶頂期の広末涼子みたいに伸ばして、髭。異形で自由を感じさせる雰囲気を園児たちは感じ取ってくれているみたいです。
もともと責任感が強くて、なんでもやり通したいという実直な性格ですが、30代以降は、ちょっとづつ自分を崩せるように、力を抜いて生きれるように、モデルチェンジを重ねてきました。2020年以降、極まってきたこの脱力スタイルが僕のもう一つの本質と合っていて、心地いいです。
海外で感じた日本人
ありがたいことに、20代は海外で過ごす時間もそこそこあって、現地で働く仲間や友人もたくさん得ることができました。当時はまだ日本が世界有数の経済大国であったので、日本から来たというと軽い尊敬の目で見てもらえましたが、日本人単体としての非力さを感じていました。国としての優秀性が民族としての優秀性とリンクしないことの疑問を感じていました。僕のシンプルな仮説は、「日本人はやらなければいけないことが多すぎる」ということです。
やりたいことをやるのが人生
「やりたいこと」が「やらないといけないこと」に塗り替えられることが多すぎるように思います。「いかなくちゃいけない」と義務感ですることのエネルギーの低さ。自分がやりたいことをやることで発生する必要のない摩擦。自分がやりたいと思ったことを一生懸命することが、生きることの本質なのに、やらないといけないと決められたことが生命力を削いでいくように感じています。
やりたいことを尊重してあげること
4人の子供を育てていますが、おんなじ親からおんなじ環境で育ったと思えないほど、一人一人の性格や骨格が違います。真面目な子や要領がいい子、人を笑わせるのが好きな子とおとなしい子。日本の社会に適度に順応しながらも、自分がやりたいと思ったことを一生懸命する人生を楽しんでほしいと思っています。自分がやりたいと思ったことをやっている人ほど、他人がやりたいと思っていることを一生懸命することを応援できるものです。
「やらないといけないこと」にとらわれている人ほど、他人に「やらないといけないこと」を押し付けることが正義だと思っている傾向が強いと感じています。「やりたい」と思わせることなく、を強制することが、人生の意義と生命力を削いでいくと感じています。
裸の王様です
30代以降は、自分の心に風が吹くまま、できるだけ自分の心に逆らわずに生きてきました。その中で、怠ける自分や悪い自分、いろんな自分を受け入れてきました。他人から嫌われたり、ダメなやつだと思われたり、そういう風に思われることも仕方がないと、丸ごと飲み込んできました。僕らはきっと生まれついた時点で裸の王様で、服をどれだけ着替えた気になったって、マッチョにならない限りは貧相な肉体を晒し続けないといけないと学びました。鍛えることは晒し出すことから。
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