品川駅から武蔵野台地の端、高輪を歩くレトロ街歩き
高輪には江戸時代に東海道の「高輪大木戸」が設けられ、江戸の南の玄関口としての機能を果たしていました。多くの寺が集まるようになり、周辺には井伊家、本多家などの大名屋敷が建ち並んでいたといいます。明治維新後、三田や麻布などと同様に大名屋敷は皇族の邸宅や大使館や大学などに変わり、大人の雰囲気とブランド感のある街「高輪」になっています。
今回は、東京湾に面していた低地のJR品川駅から歩き始め、武蔵野台地を登りつつ江戸の史跡と近代の遺構が混ざり合った高輪を巡りながら高輪ゲートウェイ駅までを歩くレトロ街歩きです。
この記事が、読んでいただいた皆さんの街歩きの「ガイド&マップ」となったら嬉しいです。健康のためにも歩きましょう。
マップが見えない方(iPhoneのsafariでは警告が出る)はこちらのリンクから。
JR品川駅を出て、グランドプリンスホテル高輪方向へ歩き、細いさくら坂を登っていくと旧竹田宮邸洋館が見えてきました。
旧竹田宮邸洋館 (グランドプリンスホテル高輪貴賓館)
竣工年:1911年(明治44年) 設計:片山東熊
北白川宮能久親王の第1王子で陸軍軍人だった竹田宮恒久王の邸宅として建てられました。天然スレート葺き屋根にドーマーウィンドウのあるルネサンス建築。日本の明治初期における近代建築の先駆けです。
現在はグランドプリンスホテル高輪貴賓館として結婚式場となっています。
一旦、さくら坂を品川駅方面へ戻り、柘榴坂を登っていき、登り切ったところにカトリック高輪教会があります。
江戸の殉教者顕彰碑 (カトリック高輪教会)
江戸の大殉教といわれ、迫害を受け殉教した人の慰霊碑があります。徳川家光はキリシタン迫害政策を強化し厳重にしました。1623年(元和9年)、宣教師を含む信者50名は小伝馬町の牢から江戸市中を引き回され火刑に処せられました。
なお処刑された場所である三田には元和キリシタン遺跡があります。
ゆうれい地蔵 (光福寺)
「子安地蔵として信仰されている地蔵です。品川沖からあがったと言われるこの地蔵が、亡くなった母親の代わりに子どもを育てたとの伝承があります。
日本基督教団 高輪教会
竣工年:1932年(昭和7年)設計:岡見健彦。
フランク・ロイド・ライトの門下であった岡見健彦の設計。日本で最初のライト式建築の会堂として知られています。外観・内観ともに、柱・壁を組み合わせたシンプルな構成がレトロ建築というよりモダンな印象を受けます。正面のデザインは目白の自由学園明日館と相通じるところがあります。
大久保利通 高輪別邸跡
この一帯は大久保山とも呼ばれ、主のいなくなった大名屋敷跡を利用して三万坪にも及ぶ大久保の別荘がありました。大久保利通を祀る祠がありますが、近くにはアクセスできませんので道路からの見学になります。
旧高輪消防署 (高輪消防署二本榎出張所)
竣工年:1933年(昭和8年)設計:越智操。
曲線や曲面をモチーフにしたデザインで、建物角に円形講堂、その上に望楼があるのが特徴的。 第一次世界大戦後に流行した「ドイツ表現派」の建築設計で、そのレトロな外観から地域のシンボル的な存在となっています。
今も高輪消防署二本榎出張所として現役の消防署なのが驚きです。
旧高輪消防署から洞坂を通り東禅寺へ向かいます。
イギリス公使館跡 (東禅寺)
イギリス公使のパークスは18年間に渡って駐在し外交をリードした。内政不干渉の立場ながら維新の志士たちとも積極的に接触しました。新政府軍の江戸城総攻撃に反対し江戸無血開城の一因となったとも言われています。
攘夷派志士が襲撃した東禅寺事件出の刀傷や弾痕が奥書 院や玄関の柱に今でも残ってるというのですが、わかりませんでした。東禅寺には緒大名の墓群がありますが、墓地領域は非公開です。
桂坂を通り高輪ゲートウエイ駅方面へ下ります。
柴田錬三郎旧居
歴史小説に新風を送ったことで業績は名高く、代表作に「眠狂四郎」など。昭和53年没で、当時の豪邸が当時のまま残っています。
高輪海岸の石垣石(高輪ゲートウェイ駅)
1995年の発掘調査により、江戸時代に高輪海岸に沿って造られた石垣に用いられた石が発見されました。
すぐ目の前の高輪ゲートウェイ駅の工事では大規模な高輪築堤跡が相次いで発掘されてニュースになりました。この高輪海岸の石垣石の価値がイマイチ下がってしまった感は否めません。
高輪ゲートウェイ駅は2019年に隈研吾の設計で竣工。 天井には白い天幕のような膜構造の大屋根が架かり、鉄骨と杉の集成材の梁によって折り紙を広げたような外観です。駅前の工事エリアで高輪築堤が相次いで発見されましたが、囲いがあって全く見えません。駅前はまだまだ更地状態で、ここの駅周辺の再開発の姿は当分見れそうもありません。
高輪大木戸跡
江戸時代中期に江戸の治安維持のため、東海道の江戸の入り口として柵状の門が設置されました。江戸五街道の中で現存する大木戸は東海道のここだけで、伊能忠敬が日本地図作成の測量の起点がこの大木戸でした。
健康と学びの一石二鳥。「自分の足で歩いて自分の目で実際に見る街歩き」を発信しています。記事が「レトロ街歩きのガイド&マップ」となって、読んでいただいた皆さんの街歩きの一助になって欲しいと思って記事を書いています。
この記事は、私の「東京レトロ街歩きガイド&マップ」サイトのエリア別「Ar-01白金台から高輪を歩く」の一部を基に街歩きをしています。記事の内容以外にもAll in Oneのガイド&マップになっています。こちらもぜひ参照ください。