江戸の史跡に注目。三田を探訪するレトロ街歩き
三田は、慶應義塾大学の三田キャンパスがあり、学生街として知られています。しかし時代を遡れば、旧東海道や寺町として栄えた歴史をがあり、それらを伝える史跡も点在します。また、明治以降に皇族や財閥の邸宅や各国の大使館として使われたように、かつてあった江戸時代の武家屋敷の面影や痕跡が残る街でもあります。
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今回は、三田に残る江戸の史跡に着目して探訪しました。都営三田線白金高輪駅から歩き始めて、三田駅へ向かうレトロ街歩きです。
荻生徂徠の墓 (長松寺)
荻生徂徠は江戸時代中期の儒学者・思想家で、将軍のご意見番を長く務めた儒学者。徳川吉宗に重用されました。8代将軍徳川吉宗に「政談」を提出するなど、現実の政治にもかかわったとされています。
赤穂浪士に、切腹の裁きをと主張したことでも有名です。
次に幽霊坂と聖坂を通り薬王寺へ向かいます。幽霊坂とは、坂の周辺地域には八丁堀より移転されてきた寺院群が道の両脇に建ち並び、昼でも幽霊が出そうなほど暗い場所で寂しい場所だからといわれています。
加賀千代女の井戸 (薬王寺)
俳人加賀千代は諸国歴遊の途中に立ち寄り、「朝顔につるべ取られてもらい水」と詠んだ井戸です。言われは…
亀塚
亀塚は古墳とされていますが、定かではないらしい。また更級日記に登場する竹芝寺伝説の地とも言われています。塚の頂部に酒壺があり、ここに出入りする亀を神と崇めていたが一夜の風雨で酒壺の亀が石になったという伝説から亀塚と呼ばれています。….この説明では何のことか、歴史に疎い私にはさっぱりわかりません。
確かなのは、江戸時代は上野沼田藩土岐伊勢守下屋敷で、明治維新後は皇族華頂宮家があったが断絶となり、空襲で庭園も焼失して公園になったということです。
フランス領事館跡碑 (済海寺)
日仏修好通商条約にもとづき、1859年(安政6年)に設置され初代公使としてド・ベルクールが駐在しました。フランスは親幕府的な立場をとるようになり、積極的に関与しました。1867年(慶応2年)からフランス軍事顧問団による幕府陸軍の訓練もしました。
元和キリシタン遺跡
徳川家光はキリシタン迫害政策を強化し、1623年(元和9年)に宣教師を含む信者50名を小伝馬町の牢から江戸市中を引き回し、この地で火刑に処しました。
カトリック高輪教会に江戸の殉教者顕彰碑があります。
この付近は高低差があって、さらに再開発で大規模工事の真っ最中でしたが、もう完成の段階でしょうか。途中、聖坂にクェート大使館があります。
クェート大使館 (丹下健三 設計)
竣工年:1970年。 2本の太いコア・シャフトによって支えられた上層部と下層部で構成されるダイナミックな造形は凝りに凝っています。丹下健三の代表作の一つと言ってもいいです。老朽化のために取り壊しの噂もありましたが、立ち消えになったようです。
さらに潮見坂、安全寺坂、綱坂を経て伊予松山藩の中屋敷跡、現在のイタリア大使館へ向かいます。
大石主税良金ら十士切腹の地 (イタリア大使館)
イタリア大使館。伊予松山藩の中屋敷跡です。1703年(元禄16年)、大石主税良金ら10人がこの場所で切腹しました。大使館なので非公開。
周囲を歩いていると塀の中に大名屋敷跡を彷彿させるような建築も垣間見えます。
イタリア大使館の隣は慶應大学三田キャンパスです。慶應大学は後日、別記事でレポートします。
慶應大学から三田駅方面へ抜ける商店街に水野監物邸跡があります。
水野監物邸跡 (赤穂浪士の間十郎ら9人が切腹)
三河岡崎藩水野家の中屋敷跡でした。赤穂浪士の間十郎ら9人が切腹。水野忠之は浪士を丁重に遇したといいます。商店街の居酒屋の路地の奥の狭いスペースに、屋敷の庭を模したような空間があるだけ。石灯籠と説明板が目印ですが、殆ど植栽に隠れて探すのに苦労しました。
西郷南州・勝海舟会見之地 (薩摩藩蔵屋敷跡)
江戸開城 西郷南州・勝海舟会見之地碑があります。高輪の薩摩藩下屋敷で第1回目の会談が、続いてこの薩摩蔵屋敷で会談がもたれ合意したといいます。
(再開発工事中で碑は一時的に撤去されていました。工事完了後には再度設置されると思われます。)
この場所から田町駅がある一帯は、江戸時代に薩摩藩の蔵屋敷があった場所です。三田駅まで歩いてきましたが、もう少し足を伸ばしてJR田町駅まで行くと西郷南洲・勝海舟会見の図を見ることができました。
西郷南洲・勝海舟会見の図
JR山手線田町駅に西郷隆盛と勝海舟会見のレリーフがあります。江戸城無血開城の話し合いを記念して作られました。レリーフ造形を施した陶板と強い色彩のガラスモザイクで前衛的に描かれています。調べてみると、「原画・監修:ルイ・フランセン JR東日本 田町駅 改札外コンコース三田口(西口)壁面 1975年10月完成」とありました。
健康と学びの一石二鳥。「自分の足で歩いて自分の目で実際に見る街歩き」を発信しています。記事が「レトロ街歩きのガイド&マップ」となって、読んでいただいた皆さんの街歩きの一助になって欲しいと思って記事を書いています。
この記事は、私の「東京レトロ街歩きガイド&マップ」サイトのエリア別「Ar-09三田から白金、泉岳寺を歩く」の一部を基に街歩きをしています。記事の内容以外にもAll in Oneのガイド&マップになっています。こちらもぜひ参照ください。