奥 祐斉
旅のコト。
料理のこと。食べたもの、作ったもの。
世界105の国と地域を歩き、アフリカで暮らしたこともある旅人、奥 祐斉が、アフリカに根付く多様な価値観「アフリカ力(りょく)」について、様々なバックグラウンドの人たちと、アフリカの食を囲みながら雑談を繰り広げるラジオ番組。活動拠点は地球全体。COUNTER POINTの第1期プロジェクトとしても参加しており、京都滞在中はFabCafe Kyotoなどで収録を行います。 stand.fm:https://stand.fm/channels/5fabf46cc64654659010d013 COUNTER POINT:https://fabcafe.com/jp/events/africanradio/november/
アフリカ料理を一緒に作り、食べて、話す会。
これはアフリカはナイジェリアにある、イバカ・オロンという街で5日間も拘束され、カメルーンに海上からの入国を2度も試みたときの話である。 たぷったぷっと揺れる船上で、空を見上げながらどうしようもなくなったとき、同じような状況の苦しさの中から過去に経験した苦い経験がどんどんと滲み出してきた。 そして、横で同じように空を見上げる相方のアフロと過去の話をしまくった。彼も同じように溢れ出ていた。思考が同じになったような感覚を覚え、不思議とシンクロした。 「弱さとは、無理に曝け出す
本当にたくさんの方に助けていただき、たくさんの方に応援していただいたニジェールでの村づくり。昨晩のオンラインイベントも、無事に終えることができました。 あとは話した内容と三木さんのこれまでを、パートナーの方々と共に本という形にして、この挑戦を日本の必要な人に届くよう、未来に残せるようにしていきます。 何かに命を賭けてのめり込み色んな人を巻き込んでいく経験、数字では計れないことへの挑戦、逃げてきたアフリカとの対峙、そして何度も魂が震える経験。今回の人生を賭けた挑戦は、数えき
東京でのイベント前に、南千住あたりの三谷地区にある簡易宿泊所に泊まった。 東の三谷、西の西成とされドヤ街と言われている。一緒にイベントを回る三木さんは、東京に来ることがあると、いつもこういうところに泊まっているらしい。 宿泊費は、2,250円で生活保護を受けている人が50円負担すれば泊まれる金額に設定されている。 受付は、50歳前後のおじさんで吸いかけのタバコを缶コーヒーの空缶に潰し入れて、宿泊情報を「書けるところまでで結構ですから」と説明し、全て手書きの宿泊説明を見
宇和島屋というスーパーマーケットに向かい、日本町の文字を発見したので、歩いていると何も調べず見つけたホテルがパナマホテル。 どちらもこの地に来なかったら知ることがなかった場所だ。 引き寄せられるように中に入るとカフェがあって、日系人の展示物もたくさん掲示されていた。 日本からの移民によって建てられたパナマホテル。創立が1910年。だからもう114年になる。地下には、銭湯の跡地もあって、移民の人たちは過酷な労働の汗を流しながら皆んなで世間話や愚痴を言い合ったという。 第
シカゴを早朝の便で西海岸は、サンディエゴ入った。窓から見える移り変わる景色に、アメリカの広大さを感じる。油田が見えたり、雪山が現れたり、広すぎる畑が広がっていたりした、この国はデカい。よくこんな大国と戦争していたものだ。 サンディエゴは車がないとコンパクトな街並みなので、そこまで見所にアクセスはできない。 翌日は、12年前に一緒に旅したメキシコ人の友人が住むティファナへ向かった。 48時間以内にアメリカへ戻るのであれば、パスポートにスタンプすらいらないとのこと。路面電車
22歳の時、母を突然亡くした僕は失意のどん底にいた。 母の死を乗り越えるために、予定を半分変えて世界一周の旅に出た。 そのスタートがニュージーランドからロサンゼルスへ。一カ月ほどかけて、ニューヨークまでアメリカを陸路で横断だった。 度胸試しで、ヒッチハイクとグレイハウンドだけしか使わないというルールにした。 ヒッチハイクして張り切って乗り込んだらメキシコ人でスペイン語がほとんどだったり、20時間以上バスに乗った日もあったな。 ロサンゼルスからニューヨークまでの大冒険
世界一周も、青年海外協力隊も、地球の反対側への留学、ゲストハウスの立ち上げなど、会社を立ち上げるなど、20代でやりたかったことは全部やってきた。 ただやれてないことが一つだけある、それは本を出版することだ。 人が怖くなり家の外に出ることすらできなくなった15歳。人とあまり接したくないから選んだのは、通信制高校。 この辺の話は以前noteに記載した。 そんな自分が100カ国を旅することができた。 そんな自分の人生を、過去の自分が読んだら絶対に勇気づけられると確信してい
負の資本主義的ヒエラルキーから脱却し、200村が力を合わせ、昔ながらのコミュニティを取り戻す手段として最後の賭けが、土地を買い戻しての村作りでした。それを、諦めます。 ニジェールで、自分が生き残るために他者を振り落とす、生き残りをかけた椅子取りゲームが始まりつつあります。 三木さんは、13年間寄り添ったオマル氏とも離れ、今は聾唖者やフィシュチュラ、そして生活困窮者の人たちと変わらず愚直に活動を続けています。 僕も恩人である三木さんからの要望に応えて、誰よりも村作りを自
今朝、奇跡が起きました!!! なんとNEXT GOLE の380万円達成しました!!! 応援いただいている皆さん、 本当に本当にありがとうございます!!!!! 感無量です。 でも「ここで満足するな!クラウドファンディングは、まだ4日あるんだ!」と心のリトル奥が言うことを聞かないので「400万円目指した方がいい」とか「堅実に、350人目指しなさい」という声が多い中で更にで無謀な、応援者数 400人を最後に目指すことにしました! 元々のクラファンの目標金額は達成したのと、“
残り9日!早いという感情と、早く終わらせたいという気持ちが錯綜。まぢでエネルギー使う。笑 ▼ ニジェールに新しい村を!自治の村を作り直し、アフリカ本来の共助を取り戻したい! https://camp-fire.jp/projects/view/609937 露出度が低い国で、日本ではネガティブな話題しか見ない国で、場所すら認知されていない国で、どうやってポジティブに資金を個人から集めるのか。頭を悩ませました。 たった1人の恩人との約束。それを果たす為のプロジェクト。現地
文章の一番下とコメント欄にURLがあります。 URLを知っていたら誰でも見れるので、見せたい人に共有などをしてもらって見せていただけると嬉しいです。(画像は、動画の撮影裏。笑) 動画の最後に、「日本の人たちへメッセージ」のパートがあり、自分が今回の途方に暮れそうなクラウドファンディングに向けての道を見失いそうになってしまった時に、この三木さんからの言葉を何度も見返して気持ちを奮い立たせていました。 国際援助とか、国際協力とか、そういうことを目指す人にも、日本からアフリカ
1通のメールから始まった村作りのプロジェクト。 恩人である三木夏樹さんから「村を作るのを手伝って」と言われ、始まったニジェールの村作り。三木さんに提案してから、3年越しにようやく全てが出揃って、村作りのクラウドファンディングが始まります。 心の中に不純物がなかったので、即答した。 24歳の頃に挫折を味わってからずっと相談に乗ってくれていた人から、はじめて逆に相談されたことだったので、嬉しくて「ぜひ、やらせてください!」と即答しました。後先のことなんて、何も考えていなかっ
赤とオレンジ。 外務省の危険度数を表すマップはオレンジ色の「退避を止めてください」と赤色の「避難してください」。この2つのみ。 現在、現地に住んでいる日本人は3人のみだったりする。 そんな国に昨年末から年始にかけて、渡航した。 シリアやエジプトでデモ隊に囲まれ、トルコでサルモネラ菌にかかって死にかけたり、ブラジルで原因不明の疫病にかかって入院、ナイジェリアでも発砲された僕だったけど、やはり事前に危険だと言われる国に行くのは気が引けた。 三木夏樹との出会い。 ニジェー
僕は、ハウサ族の人たちと共にアフリカで新しい村をつくる。 場所はニジェールとナイジェリアの国境付近。きっかけは、ニジェールの村へ、たった一人出向き、そのまま12年住み続けている恩人・三木夏樹さん。 三木さんは、現地のオマルさんと共にNGOを立ち上げた。 村では、道徳観が育まれる前に、便利な道具が流入し、若者が荒れ狂いはじめ、自己中心的な豪農が増え、人が人を破壊してどんどんと荒廃し続けたという。そんな中、生きづらさを感じている村人たちが手を上げて、土地を購入し(土地が誰か
はじめて「食」について気合いを入れて書き上げた和菓子の記事がバズった。 「世の中は、僕に食の記事を求めているのかもしれない」と思って、食べ歩きの記事も書いていきたいと思う。 今回のテーマは「麺」にしてみた。 仕事やプライベートで、全47都道府県に滞在した経験がある。日本のどの地方に行っても、絶対に存在するのが「麺」料理である。今回は、全47都道府県で「麺」を食べ歩いた奥がオススメする麺の店47選をエリアごとに分けてお送りしていきたいと思う。料理する旅人、オクユウサイが勝
いま、昨年から1年間続けてきたオンラインイベントにおいてクラウドファンディングで今、お金を集めようとしている。 https://readyfor.jp/projects/jibungoto 僕の中学生時代は、こんな人生だった。 https://note.com/yusai_oku/n/n13ffb87d1939/edit 今年の誕生日に書いたnoteをあえて掲載。 この苦い経験があったから、不可抗力で苦しくなってしまうこと、理不尽なこと、陰湿なことが大嫌いになった。