きた〜のゆ〜すけ

普段はデザイナー職、趣味でアニメ制作などしてます。ここは自分用メモとして残してます。

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普段はデザイナー職、趣味でアニメ制作などしてます。ここは自分用メモとして残してます。

最近の記事

祖母

祖母が亡くなった。 と言ってももう90歳超えてたので大往生だし、大病患ってとかじゃなかったのはよかったのかもしれない。なかなか会いにいけなかったので近々行こうかと思ってたら、だったのでもう少し早く行動してたらなぁ。 久しぶりに祖母の家に行ったらいくつか自分の描いた絵を飾ってくれてた。絵の参考にとなんか新聞についてくるアートみたいなのも集めてくれてたらしい。 もう少し絵描くの頑張ろうかな。

    • 正しさが衰退を促進する。

      最近ベーシックインカムチャンネルというYouTubeのチャンネルをよく見ていて、この思考法で様々な現象を考えている。 https://www.youtube.com/watch?v=cvplY9GOMUk ベーシックインカムチャンネルでの基本思考はこうだ。 一般的に競争が富を生産すると思われがちだが、実は競争は富の配分を決定することにリソースを割かれ富を生まず、伝統、習慣、宗教といった同調圧力が協力を生み人々を豊かにする。競争は正しいが衰退を生み、協力は個人を犠牲にして正しく

      • フレームレート印象メモ

        6fps4k打 かなり1枚1枚の絵が認識できる。 PV系とかイラストレーターさんが絵の印象を強めるのに有効なフレームレートな気が。 8fps3k打 絵をよく認識できつつモーションの滑らかさも感じるバランスがいい。 12fps2k打 ここらから、早いところで残像が発生し始める。早いところは残像表現使ったほうがいいかも。 24fps1K打 早いところの残像が多い。ブラー必須 絵の間隔が狭いところ、独特のヌメリ感。

        • 君たちはどう生きるか、ぺリカンとインコ

          ペリカンはクリエイター(アニメーター)仲間、インコは大衆説。理想を持って高く飛ぼう(理想の作品を作ろう)とするペリカンは、作ろうとするもグロテスクな世界にたどり着くだけで一向に理想の作品にはたどり着かない。終いにはワラワラを襲って食べてしまう。これは子供を作ることを、家庭を持つことを、親になることを放棄するペリカンの生き方が反映されてるのではないか? 最初の門をくぐるのはなんとなくアニメーターの入社試験を受けてる感じにも観える。脳天気なインコに比べて妙にシリアスな描かれ方して

          君たちはどう生きるか2回目感想

          2回目観てきた感想箇条書き。 生前葬って感想言ってるひと多いけど、久石さんの劇伴がまさにそんな感じ。 素直に作った結果、選民思想の強いフィルムになってる。そのあたりは素直に共感はできない要素だなと。普通に働いてたまの休みに俗っぽい作品で気晴らしをするような生き方も悪くないし、そういう人で世の中回ってるし映画産業も支えられてるんじゃないかなと。宮崎さんのそういう普通の人への侮蔑とほんのちょっとの愛情がインコでありペリカンだったのか。ただそんなの100わかっててこういう作りにして

          君たちはどう生きるか2回目感想

          死を意識できてるか、遠い未来のできごとという意識できてないかで生き方の視野はだいぶ違う。

          死を意識すると、地位や名声をどんなに積み重ねても結局死んだら関係ないところに行くし意味ないなーと実感する。世の中の大抵の欲というのがだいたい無意味に思えてくる。つまるところ人生というのは楽しいこと、やりがいがあることを一日でも長くやる、世界がどう成り立ってるかの鍵をちゃんと解く、くらいしかやりようがないのではないか。その一方で、俗っぽい事で一喜一憂して騒いでる人間を見るとそのほうが幸せかもしれないとも思う。逃れられない死を受け入れることはその時点で何かひとつ大きな諦めを受け入

          死を意識できてるか、遠い未来のできごとという意識できてないかで生き方の視野はだいぶ違う。

          神の寵愛を受けれぬ者の生き方

          オリラジ中田さんの松本人志さんへの苦言動画が賛否分かれて話題になってるが、動画全部観たその感想は 「中田さん、そんなにお笑い好きだったんだな」 という、そしてそんなお笑いの世界では構造を変えるほど大変革を与えた存在であるダウンタウン松本さんに見向きもされなかった自分へのコンプレックスがこれほどあるのだなぁとも思った。 これを自分に当てはめてみても気持ちとしては分かるような気もする。 アニメーターとして一度は業界に入ってみたものの、自身の努力の方向が間違ってたせいかアニメーター

          神の寵愛を受けれぬ者の生き方

          サンクチュアリ感想

          箇条書きでサンクチュアリ良かったポイントのメモ ・サンクチュアリ、後半に向けて怒涛の展開で前半スロースタートなのも、後半への伏線としてうまく効いてる。 ・多種多様な親との関係性が描かれてて良い。主人公の母親のただの毒親というだけじゃない厚みのある感じとか、エリート家系の昭和家長的メンタルとか、猿谷と猿将の擬似親子関係とか。 ・後半主人公がもう一度生きだすときのトリガーとなったのが母親なのがいい。 ・シーズン2では静内の本当に笑った姿が観たい。 ・相撲というニッチな題材だし、役

          サンクチュアリ感想

          リリースノート「good night」

          これまで作ってきた短編アニメについて、何を思考して作ったか。特に人に伝えなきゃって情報でもないのでこっそりnoteにだけ書き残して置こうかなと。 goodnightは去年の正月頃に制作した短編アニメだ。(あんまり再生されてないので良かったら見ていただけますと) 少女がクマと飛行して、実は夢でしたという内容。元ネタはリトル・ニモのパイロットフィルム版。前回が実写っぽいテイストの作品だったので今回は絵本っぽいテイストの作品を作ってみた感じです。 技術的には初めて背景の積み木を3D

          リリースノート「good night」

          本能と社会のギャップ

          人間、基本的に動物的本能に従って生きてると思う。なのに孤独であったり人生上手く行かない現象が起こってしまうのはなぜか。 例えばラーメン、 塩やら炭水化物やら人間が美味しいと感じる要素の集合体だ。しかしずっとそればっか食べてると病気になってしまう。昔は必須の栄養素でカロリーも高いのでそれに越したことはなかったのだが、無限に毎日高カロリーを接種できるという社会が完成してしまった時、それを本能のままに接種してしまうことで自身の破滅へと歩んでしまう。 このように社会が便利で人の欲望を

          本能と社会のギャップ

          人間に残されたもの。

          シンギュラリティやらAIが騒がれてる昨今、いかがお過ごしでしょうか? まだまだAIには負けない、という気持ちで制作したりしてるもののAI出力した絵がバズったりしてるのみると、自分が単体の静止画でバズったことはないし、動画も含めて手も足も出なくなる時代は来てもおかしくはないとは思う。 それはそれで商売的にはキツくはなりそうだけど、一旦それは置いといて、じゃあ人間に残されたものは何があるのかと考える。 今楽しいとか、悲しいとか感じること。 シンプルだけどまずはこれかなと思う。AI

          人間に残されたもの。

          カルチャーに生きる

          漫画やゲームやアニメなどのカルチャーに生き、30代、40代である程度遊び尽くすとむしろ人として、動物として真面目に生きてこなかった自分への後悔が浮き彫りになってくる。phaさんやプロ奢さんなどが今訴えてるのはそのあたりなんじゃないかなーという気がして、それは共感してしまう。結婚や出産のような人類がずっと繰り返してきた平凡な営みにはある一定の理があり、小手先のカルチャー遊びでは癒せない何かはあるのかもなーとか。 自分も作品を作ることには興味はあるし、話題作が出てくるとちょっと遊

          カルチャーに生きる

          大地に還す

          人は生まれてから生きてく中で得たもの、喜び、悲しみ、地位、名誉、作った作品等々少しづつ獲得していき、やがては全て関係のない世界に旅立つ。自分はそれを最近「大地に還す」と言ってるが、思えば高畑さんのかぐや姫ってそんな作品だったなと思う。

          何者

          何者か、という肩書きが人にある場合、他人が何者であると判断する状態にあるということになる。イラストレーターなら日々絵を描いてなおかつ生活ができてる、ニートなら日々自宅を警備してる。そうしていつの日かそう言われるのだ。だから何者かになるというのは能動的な状態というよりは何者かになってるという受動的な状態と言えると思う。 若者が何者でもないのは普通のことでなんかやり始めてまだ日は浅いし、世間から認知されるまである程度ギャップがあって時間はかかると思うから。ギャップを早めに埋めるの

          神と動物の仔

          つくづく人間は神と人間の中間存在だなと思う。 神の定義は永遠に価値が認められるものの創出、美学や美のあるものの創出、動物の域を超えて永遠に限りなく近づこうとする意志、そんな感じ。若いときはとにかく神に憧れ神を目指してしまう。それはこの作品がもっとよくなるためには徹夜も厭わずに創作してしまうし、この神を目指す日々は永遠に続くものだと思ってしまう。神に心酔しひたすら神に近づく日々は幸福でもある。 ただし神に近づくほど動物である自分が浮き彫りになる、そして自分の死をもって神を目指す

          2022年現在の死生観

          特に創作にも関係なく、自分用メモとして残してるだけなのであしからず。。  何かきっかけがあった訳では無いのだが、最近ふと自分の死を意識する。30代になって病気まではいかないが、小さなところで体にガタが来てるのを無意識に感じてるのもあるかもしれない。ありがたいことに明日の飯は意識しなくても生きていける環境にいるので余計なことを考えてるのかもしれない。ただふと「自分はいつか死ぬのだ、そして死んだあとも世界は淡々と続いていくのだ」ということを実感してしまったのだ。 まぁ別に死なんて

          2022年現在の死生観