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【圧倒的味方】が欲しかった私がわたしの味方になった話
こんにちは。のぞみ@心と身体の漢方おねえさんです。
今日はこのポストの続き、私自身が【圧倒的味方】が欲しくて、
試行錯誤して、自滅したり、自分に絶望したって話を書いていこうと思います。
書くことは私にとって癒し。
https://note.com/yuruyuruyojo/n/n15b56007ddd2
お付き合いいただければ幸いです。
https://x.com/nozomiyojo/status/1879887079276163424
圧倒的味方が欲しい女の子ほど
— のぞみ@心と身体の漢方おねえさん (@nozomiyojo) January 16, 2025
本当に相手が味方でいてくれるか?
何をやっても大丈夫か?と
お試し行動をし
裏切ったと大暴れするので
味方になりうる人材(男女問わず)が
逃げていく所までセット
この手の女の子は自分自身が自分の敵だったりする
自分自身が自分の圧倒的な味方になるところからだよ https://t.co/nXjVwb4xWN
私には理解してくれる人がいない。
そう思って過ごしてきた幼少期。
母は、もともと「私」という個に興味が無い。
「教師の娘」に相応しい私であることを強要していたし、
母の趣味嗜好に外れたモノに興味を示すと
バカにするか、否定するか、のどちらかだった。
母の代わりに育ててくれた祖母は
「教師である母の迷惑にならないようにいい子でいなさい」
母と同じく教師だった父は
「母の言うことを聞いていなさい、そうすれば間違いはないのだから」
弟たちは、多少は母に対して反発を覚えていたが、
だからといって、母の矢面に立ってまで、私の味方をするわけではない。
母の独裁国家で全てが母の基準だった。
母が黒と言えば、いくら私が好きでも黒なのだ。
母の基準を満たさなければ
私を味方してくれる人はいない。
私のやりたいこと、好きに対して理解を示してくれる人はいない。
社会人になった頃から
母は「あなたのやりたいことを好きにしなさい」というようになったが
これは「私のやりたいことを応援するよ」ではなく
「自分で責任もって、勝手に好きにやれば」という突き放しなのだ。
「お母さんは応援もサポートも尻拭いもしません」なのだ。
私が挑戦することに興味を示したこともなければ
頑張ってねと応援されたこともない。
これは、今も続いている。
「いいね!楽しそうじゃん!」
「すごいね!応援するね~」
こんな風に言われてみたかったのだ。
この想いだけが強くて、
恋愛だけでなく、学生時代の人間関係は上手に築けなかった。
なぜなら、自分が応援されたことが、
味方でいてもらえたことが無かったから
友達、彼に対して、どうやって応援したらいいのか?
どうやったら味方でいてあげられるのか?
分からなかったのだ。
彼に対して「そんなんだから仕事で失敗するんじゃないの?」と批判してしまったり、友達に対して、意見や好みを尊重できなかったり、
そして、私の味方で居てくれるか?の「お試し行動」をしちゃったり。
人間関係が上手くいかないのは自分のせいかもしれない・・・
そう思い、言動を変えていった。
その結果、少しずつ、応援は出来るようになった。
これは、漢方薬局の相談業務経験が大きいと思う。
だけど、無条件で味方になってもらえる憧れみたいなものは
依然として強いままだった。
そんな中「きっと結婚相手は私の味方になってくれる。だって結婚するくらいなんだもん」という、今、考えたら何ともよく分からない理屈で【結婚】にすがってしまった。
結果は惨敗(笑)
元旦那は私の味方どころか、
母と同じように私の好きを否定する人だった。
離婚したけど、自分の味方を欲しがる癖は直らなかった。
というか癖に気づいていなかった。
だけど、自分を癒すということを知り、
心理学を学び、自分と向き合うこと続けていった結果、
自分自身が圧倒的な味方になる必要がある
この世界は、鏡の法則なのだが、
このnoteにも書いたように
自分にした行いが、全部世界・他人を通して自分に返ってくるのだ
自分が自分を雑に扱えば、
世界・相手からも自分を雑に扱われる
自分が自分の敵になれば
世界・相手は自分の敵になる
ということは
自分が自分の味方になれば
世界・相手も自分の味方になる
だけど、これが難しかった。
どんな味方が欲しいのか?
書きなぐった。
何ページも何冊も、ノートに書いた。
だけど、ノートに書かれた言葉は
味方からの応援じゃなくて、傍観者のアドバイスだったのだ。
そこでハッと気づいた。
私が欲しいのは「アドバイス」ではなく、
自分の弱さや失敗も受け入れて
「それでも大丈夫だよ!」
「失敗したっていいんだよ。出来なくても嫌いにならないよ」
って言って欲しいのだ。
「私は間違えることもあるけど、それでも私は私を嫌いにならないし、見捨てないし、そんな私を信じて進んでいいんだ」って。
言ってほしかったのだ。
自分に言うって、なんだか言葉だけ、表面だけになりそうだから
インナーチャイルド達(脳内メンバー)に伝えていた。
もう一人の自分を別人格として扱うから
心を込めて伝えられるから
私にはよい手法だった。
少しずつ自分に優しくする練習を始めたら、
周りの人との関係も自然と変わっていった。
相手に無条件の味方であることを求めるんじゃなくて、
まずは自分が選んだ相手を自分が信じて、相手を尊重するようにした。
それからは「味方」って呼べる人たちが、気づいたら増えていった。
終わりに
「圧倒的な味方」って、特別な関係の特別な相手であるという思い込みがあるけど(それこそ、恋人、パートナー、親友みたいな)
まずは自分が自分の味方になること。
次に、自分が選んだ相手を信じ、尊重すること。
仮に、自分が選んだ相手に裏切られたとしても、それは自分の選び方が失敗しただけで、その失敗も自分は否定したり、責めたりしない。そんなときもあるよね、次は私ならちゃんと良い相手を選べるよ、と自分を信じてあげる。それが結果的に、お互いを尊敬し合える関係を築く第一歩だと思う。
この話が、同じように「絶対的な味方が欲しい」って思ってる人の心に触れられたら。何かのきっかけになったら嬉しいです。
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