見出し画像

誰にも知られたくないことと知られたいの狭間

久しぶりに開いたsoundcloudにメッセージが来ていた。勿論英語で。
まぁ要約すると「お前の曲、ビビット来ちゃってさ、俺っちのブログで紹介したいわけ。いいかい?俺っちのブログは平均こんだけ見に来るからさ、お前のとこのリスナーこんだけ増えるかもよ」ってな具合。9ヵ月前のことだ。

僕は今の今まで、このメッセージを無視していた(現在進行形で)悪いとは思うけど、嫌ですって言えないし、英語は拙いし、そもそもこっちは日本人ですって明記してるんだから翻訳通してでも日本語で来いやって思ったから返信しなかった。
そもそも僕はその曲(それ含めすべての曲)が気に入らなかったし、なんで作ってたんだろうって思うくらいにはクオリティもゴミだったからというのもある。(PCとスマホしか機材と呼べるもの持ってないし、DAWもプラグインもフリーだし…)

それでも、そのメールが来た時「めんどくせぇ」って思いながら内心ちょっとは嬉しかったものだ。人は承認欲求に抗えない。でも僕は返信はしなかったし、だからこそそんなブログに載せられたくも、リスナーが増えることも嫌だった。(というか誰にも聞かれたくなかった)

じゃあなんで、投稿してたんや!と言われればもったいなかったからという言葉に尽きるし、それ以上でも以下でもない。このnoteだってそうだ。文章書きたい→書いた→もったいない→投稿という流れで、音楽とプロセスは一緒だ。

だからこそ、耐性がないのかもしれない。このnoteだってきっといつかしれっとやめるかもしれないし、まぁ辞めないかもしれない(ユニゾンビというアカウントはほぼ停止状態だからこそ、可能性はある)

結局のところ、僕は人に認知されたいんだろう。でも自分に自信がないから認知されると評価が落ちたような気がする。一人の間は一人で生きられるけど他人の介在は評価が伴う。だからこそ他人が乗り込んできた瞬間、僕の作品も僕自身も他の誰かとの比較対象になるし、僕自身も逃れられずにその評価に付き合わないといけない。例えば自分の曲とプロの曲を聴き比べてしまったり、自分の文章と他の誰かの文章を読み比べてみてしまったり等々。

でも僕は創作を辞められないし、創作してできたものは持て余したくない。認知されたいのに、認知されたら傷つく。なんともめんどくさい性格だ。

まぁ、そんなこと言いながら今日も文章を書いているし、この前はラップあげたし、懲りてないんだけどね。

P.S. なんか読んでたらまとまりのない文章だけど、まぁこれもこれで一興ってことで…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?