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私が見ていないときには月はない

さて、こんな話を聞いたことがあるでしょうか。

「私が見ていない間も月は存在する」

これはアインシュタインの言葉です。(細かいとこまでは分からないので、そこはあしからず)

アインシュタインは量子力学の生みの親のような人間ではありますが、あまり肯定的ではありませんでした。それは先ほどの言葉に現れているでしょう。

量子には不思議な効果があります。それは波の性質と粒子の性質があるということです。そして人間が観察する、つまり観るという行為によって量子は粒子の働きをします、有名な実験ですね。世界一美しい実験、二重スリット実験。

思考実験のシュレディンガーの猫もこれと似たようなものです。違いますね、はい

いやまず量子(素粒子)とは何だ?

これを先に言うべきでした。量子とは物質を構成する最小の単位です。あれ?最小の単位ってデモクリトスの言ったアトム、つまり原子では?とお思いの方もいるでしょうか。教科書にもそう書いてあったと。しかし、じゃあ陽子は?中性子は?となってしまいますよね?つまりはそういうことです。

つまり我々は勿論、我々が見ているものはすべて量子で構成されているということです。

さてそこから最初の話に戻りましょう。「私が見ていない間も月は存在する」これは正しいのでしょうか?まぁ自分が見ていないとしても誰かが見ているかもしれないですよね。となれば私が見ていない間も月は存在します。

では、誰も見ていなければ??

…月のことを誰も見ていないのでどんな状態かは誰もわかりません。ということは波である可能性も大いにあります。というよりそちらの可能性が大です。なぜなら理論上はそうなんだから 

じゃあもっと踏み込んだ話をしてしまうと、私が見ていないとき他の人間は実在するのでしょうか。そもそも私中心??まぁその可能性はすでに考えた。
反証はできませんでした。なるほど似非科学ですね(笑)


話は変わりますがラーメンズというコンビを知っているでしょうか。まぁ知っていますよね。彼等のコントの中で僕が一番好きな不透明な会話というコントがあります。そこで出てくるのが透明人間の証明です。詳しくは是非見てください。ユーチューブの公式チャンネルから見ることができます(https://youtu.be/IaBDGFGNYK0)

ここまでの話で見えてきましたか??

つまり僕が言いたいのは「透明人間とは僕達が観察していないときの他人であり、波である」と。

僕らは常々その場にいない人のことに恐れます。しかし実はその時その人物は波なのかもしれない。そう考えると少し気が楽になる、わけないですね。はい。でもまぁそう考えると少し滑稽です。

そして、私が見ていないときは月がないのです。となると私のために月が出ている。なるほど世界の中心のようだ。世界の中心で、愛をさけぶ=月が綺麗ですね。というのは案外ありうる話です。

まぁ、僕にはそんな相手いないんですけどね。もしかしてそれはただ観察していないだけかも…

ということは、こういうことなんだろうか

「恋人がいないわけではない、まだ見ていないだけだ。恋人は今もそこで波として漂っている。あとは私が見つけるだけ」

…いやこいつ痛すぎるだろwww

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