完璧で非ざる日々の集合知
誰だって叫びたい。きっと心の内に秘めているだろう。
「なんて日だ」
完璧な日というのは探してもそうそうあるもんじゃない。インディアナジョーンズに出てくる聖櫃なんかよりも見つからないんじゃないか?そうそうクリスタルスカルなんてのもあった。
どんなに気分のいい日だって一日の中にいけ好かない瞬間があるもんだ。
例えば、鞄の中でリンゴジュースを溢すとか、それで図書館で借りた本さえ汚すだとか、授業で必要なプリントを忘れるだとか、傘を電車で失くすだとか...おっとこれは些細な、ではなくて今日あったいやなこと全部だった。
まぁそうでなくとも、上手く椅子にお尻がフィットしない瞬間があったとか、トイレが使用中だったとか。そういう些細ないやなことは誰しもあるものだ。一日に一回くらい。寧ろ百発百中で完璧にいすに座れる人なんて見たことないけどな。そんなことできたらイグノーベル賞は固いね
誰しもそういう些細なことを許容して、あるいは受容して、あるいはごみ箱に捨てるみたいに忘却の彼方へ捨て去ることで日々を甘受してるもんだ。
だから本当に嫌なことがあっても大丈夫なはず、大きな嫌なことなど些細な嫌なことの集合体、あるいは肥大化したものだ。
許容値みたいなものがあったとしてそういう時は分割すればいい。塵も積もれば山となるというがつまり山も切り崩せば塵となる。
だから僕は許す。鞄の中でリンゴジュースを溢すとか、それで図書館で借りた本さえ汚すだとか、授業で必要なプリントを忘れるだとか、傘を電車で失くすだとかしたことを。
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