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偽するということ

 世の大学生というのはたいてい、学生としての立場だけにはとどまらず、自分で起業したり、なんか活動したり、まぁ社会人の真似事をしたがる。とはいえたいていの大学生はアルバイトをすることで小さなその欲求と唯物的な欲求、ありていに言えば金を得ている。こんなことを書いている僕ですら例にも洩れず某ラーメンチェーン店でアルバイトをする日々だ。春休みとなれば普段よりもシフトが多くなり、本当に仕事をしていると錯覚するくらいにはアルバイトに精を出している。とはいえバイトが好きかと言われれば別に好きじゃない。たまになんでやってるんだろうと思うくらいだ。だからこそあまり仕事にも身が入らない。
 僕のアルバイト先にはたまにお客さんからのクレームが届く、そして僕はそれをたまに目にする。今月は1件とか。見ていると接客の事についてが多い。
 
 「いつも夜にいる店員さんが不機嫌の様で、こっちも何か悪いことをしたかと思ってしまいます」

 あぁ、この店員って言うのはたぶん僕の事なんだろう。そんなことが僕の頭を掠めていく、まあ実際僕だろう。そこまで愛想のいい接客をしているという自信はないし、態度を悪くしているという訳ではないけど、そもそもそう言うのはあまり得意じゃない。

 でも、同時に思うこともあるのだ。言い訳がましくも聞こえるけれど、なぜ愛想よくしないといけないんだ。楽しくもないのに。なぜ。
 マニュアルにも書いてある。笑顔で接客しましょう。
 研修でも店長に言われた。マスクの下も笑顔で。

そのくせ、どうして人は偽らないことを美徳とするのだろう。嘘は泥棒の始まりなんて言って、ならば世の中の人間は皆泥棒だ。

世の中には優しい嘘もあります。と誰かが言う。
でも、僕はきっとこう返すだろう。でもそれは嘘に変わらない。
きっとそれを聞いたら、優しい嘘は人を傷つけない
本当に?

確かに、僕だって嘘が悪いとは思わないけど、どうして店員という生き物は嘘までついて綺麗な姿を客に見せなければならないという義務があるのだろう。そしてそれを店だけでなく、客にとっても当たり前で、当然のものであるという認識があるのだろう。

きっとこれは、僕の我儘だ。自分本位のくだらない意見だ。ただの愚痴だ。
嘘は潤滑剤、そんな台詞をどこかで聞いたことがある。きっとこれもその一部だ。

偽するということ。それは生きるということ。そして自分を殺すことで、他人が生きていく。自己犠牲はむなしくとも現実的な救済である。アルバイトはそんな無情を教えてくれる。


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