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懐古主義的省察

なんか仰々しいタイトルですが、ようは懐かしいなぁって思ってその思い出に浸ってる限り、自分を振り返るというか、自分を見つめなおしているというのをかっこよく、中二的に、もしくは社会人っぽく書いただけです。

ただこう漢字が並ぶといかついなぁ

まぁそこはどうでもよくて、誰しも思い出の音楽はあると思います。

僕にだって思い出の曲はあります。特に中学の時の思い出と言えば、まぁあのカゲプロ??的なボカロとか古き良きボカロとかRADWIMPSとかワンオクだとか、アレキサンドロスとかとか。。。

今思い返すと表面上は別にそんなことなかったし、日常の中ではそんなことなかったけど、内面はどっちかというと中二病というか、まぁカゲプロだとかいう時点で御察しってところもあるんですけど。まぁ分かりやすく言うとラッドの曲で、有心論とか前前前世とかよりもおしゃかさまとかDADAだとか実況中継だとか狭心症の方が好きだと言えばわかりやすいですかね。

今、そんな中学時代好きだった曲を聞くとなんだか共感性羞恥というと言葉が悪いですが、そんな感じになります。でもやっぱり大好きな曲なんで、聞いちゃうんですけどね。それに恥ずかしいけど、懐かしくて、またはまっちゃいます...

でもそこにやっぱり省察というか振り返りを無意識にしていて、根本的にはあの頃と心の持ちようが変わっていないというか、今でもラッドの曲はスパークルよりも洗脳の方が好きだし、サイハテアイ二よりも記号としての方が好きです。まぁどっちも好きなんですけど強いて言うならってことですけど。(初めてラッドに出会った曲は君と羊と青で、その後会心の一撃、実況中継、億万笑者を経て本格的にはまりました。)

そして10年も経てば今はまってる曲もそういう曲になるのかなと思い始めました。(というかまだ中二気分は抜けていないのか??いやそんなことはないと信じたい...)

でもきっと中二気分がどうであろうと、自分の中の根本はきっと変わらないし、それは好きな音楽を聴けば分かる。

というか好きな音楽を知ればその人についてある程度分かると僕は思う。その人の自覚していない内奥までもわかっちゃうかも。

という訳で今日も僕は新しい音楽を探しながら、今はまっている音楽を聴きながら、昔はまっていた音楽も聴いて日常を彩っていました。

コロナ下でも、退屈な日でも音楽は彩ってくれる。そして自分を代弁してくれる。いつもでもそれを信じています。

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