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若者のすべて

今日も書くことがなくてずるずると滑って行ってこの時間。まるでペンギンのように楽しいことに呆けていた。特に滑ることに。

こんなことを言っていたら世話がない。と言っても毎日投稿を一度切らしたことあれど、もう切らしたくないのでせこせこ書いている。

別に義務じゃないし、待ってる人もどうせいない。まぁ夏休みの課題みたいなもんだ。怒ってくれる人はいないけど

今日は若者のすべてを聞きながらこの日記兼エッセイを書いている。

夕方5時のチャイムなんて大人になったら聞こえないようなもんだし、すりむいてしまえばすぐに絆創膏を自分で張ってしまう。

大人になってしまえば来年も再来年も花火は上がる。

子どもとしての寂寥感、子どもとしての焦燥感、子どもとしての愉快さをどれだけ味わっているか、それこそが大人の階段だ。もう一度僕にはその寂寥感や焦燥感、愉快さを味わっているかの検証が必要だ。省察が必要だ。

20歳まではあと何か月? 年齢が大人を定義するわけじゃないけれど、それは節目にはなるはずだ。

その時の為に、大人になった時の為に、僕はこうして日記やエッセイなどの文章を書くことで寂寥感、焦燥感、愉快さを味わっている。夏休みの宿題と一緒だ。


きっと大人になるというのは鈍くなるということで、振り返ることなんだろう。

僕はとりあえずはたまにしか振り返らずにしておこう。と言っても自分を定義づけるのは過去であるのなら、必然的に必要となるが最小限にとどめて、過去なんてものはその時が来ればいくらで振り返れるものだから

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