何となく聞いたことのある言葉。多分、こういうことじゃないかな~って思ってコトバンク先生に確認したら、そういうことだった。
自分の中にある矛盾。矛盾してるけれど、時によって場面によって使い分けて、多少の後ろめたさというか居心地の悪さを感じるけれど、それは本当に少しだけで場面によって相手によって、自分の言葉や考えが変わる。
自分の中に相反するものが同居していて、自分がそれを違和感少ない状態で受け入れてる感じ。
コロナウィルス感染拡大、コロナ禍の捉え方がまさしくそう。同調圧力や自粛警察、感染対策ポリスを刺激しないためにワクチンを打って、マスクの装着、手洗いの励行、アルコール消毒・・・・行動規範を遵守してる自分がいる。できるだけ社会で求められてる対策をしておくことが、自分を守り利用者・事業者からの信頼につながることを知ってるから。社会的な活動の中でそういう行動を取ることに迷いはない。
だけど、この騒ぎって実は人が生きていくことの本質から少し外れてるんじゃないかって疑念も自分の中にある。人間って人と人が交流して関わり合って生きてきて、何千年という長い時間でここに来ているわけで、異質なものと出会って受け入れたり拒絶して今があるんじゃないかと思う。
科学・化学が進歩していろいろなことを知ってるつもりになってるけど、全てが解明されてるわけじゃない。コロナウィルスが人類史上、そんなに性悪なものだろうか?
たくさんの微生物や目に見えない生き物や物質と共存してきた私たち。その過程で振り落とされたり淘汰されてく個体はいつでもあったと思う。
善意で治療して極力、誰も落とさないようにしていこうというのが今のコロナウィルス感染の医療的な方針なのだと思うけれど、そこを重視するあまり、人間が元々持っている生命力を集団的に落としてしまっていないか少し心配になる。
何が正しいのかわからないけれど、自分が社会の中で生活していくための行為と、自分の思想とは必ずしも一致させられない。自分の思考自体も矛盾だらけで落ち着かないけれど、いろいろな意見や見識に触れて、自分が通ってきた道筋も振り返りながら、考えていく。考えることを続けるしかないかな~って思ったりする。
矛盾だらけで、清濁や善悪が同時に心に存在するけれど、それを受け入れつつ自分なりの考えを深めていきたい。一言で済むことだけど。