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「自分」と「私」

一人称の使い分け。これはあくまでも個人的な拘りなんだけれど、noteでもアメブロでも記事を発信するときには、自分はこう思うとかこう考えるとかこうしたいと記載する。表現する内容は自らの心とか精神とか頭から出てくることなので、「自分」と称する。ほとんどの発信は自分勝手に書いてるだけだし、誰かに読んでもらうことはほとんど眼中にない。不特定多数の場に晒して誰かが読むかもしれなくて、誰に読まれても差し支えないことしか書かない。個人が特定されないことと誹謗中傷と受け取られないような配慮だけする。自分なりに配慮してても読んで気を悪くする人がいるかもしれないけれど、それはお互い様と割り切るしかない。
自分の中に悪気はあるし毒も棘も持っている。毒も棘も嫌な気分も出したくて書くのがそもそものnoteに参加した動機でもある。

誰かに読んでいただく、ことを念頭に置く記事やメッセージには「私」を使って「です・ます調」とか丁寧語を使う。例え一方通行でも相手との対話を意識するので敬意は持っているから。
多分、コメントつける時、お返しする時には「私」になっているはずだし、記事でも誰かに語りかける部分の語尾は「です」「ます」

自分は1人だけだけれど、独白する言葉の使い方と他者との対話の場面での心や言葉の使い分けはしてしまう。1人の人の中にたくさんの面がある。
リアルとかそれぞれの媒体で見せる姿は限定的だけれど、総合して統合したのが自分の姿。自分でも把握しきれないけれど。善悪併せて持っている。
多分、誰でもそうだと思う。noteでのお付き合いはnoteの中での人格でしていけば良いと思う。