誤解とか自分の器の小ささ
少し前の記事にコメントをいただいて、その方のことはあちこちのコメント欄でよくお見かけしていて、正直なことを書くと「苦手だな~」とか「これってどうなんだろう?」って違和感を感じていた。
自分がコメントのお返しをするときに、その違和感についても触れてしまった。全く、書かなくても良いこと・余計な一言を付けたものだと自分でも失笑するけれど。何故そんな風に書いてしまったのか、何となくとしか思い当たらない。つまり深い考えなど何もなくその時の気分のまま。
そうしたら、再度のコメントをいただいて、その方の方針みたいなものを伝えていただいた。自分自身は、noteでも他のsnsでも、その人自身が思うとおりの活動をするのが良いって考えてるので、自分が伝えたいことを伝えたり、自分のやり方を決めて活動するのは当然のことだし、推奨することだとも思っている。だだ、誰でも感想は持ちうるもので、「私には私の受け止め方がある」とコメントを返した。
その後のコメントの往復は割愛するけれど、自分の目を開かせてくれた人としてすごく感謝している。自分の少し意地悪なコメントに怯まずに対話を試みて下さったこと、コメントに誠意を持って返信して下さったこと、ご自身の発信に誇りと自信を持ってるんだろうな~ってこと。数回のコメントのやりとりで勝手に自分が作っていたイメージが覆った。
人って関わってみなければ、その人のことはわからない。上辺だけ見てわかったつもりになるのも、違うかもしれない。
不用意なコメント返しをしてしまったのは、自分の失態だけれど、「こうなんだよ」って言葉を追加してもらってやりとりができて、彼女の強さに触れることができた。
対話って必要なことだって改めて感じた。自分の思い込みで人を判断するのは良くないな~って思っていて、記事にもしてるのに、できていない自分を反省した。
noteでも、時々こんなへそ曲がりな自分が出てきてしまう。もう少し大人になれよ、自分って思う。だけど、感じたことを伝えてそれに応えてくれた彼女に親近感を持てるきっかけにできたし、拒否することなく対話してくれた器の大きさを知ることができたのは、結果オーライだと自分勝手に納得している。
ご本人からコメントいただいたので、リンク張らせていただきました。ページを訪問すると美味しそうなお料理にたくさん出会えます。
出会いに感謝です。ありがとうございました。