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9月最初の土曜の朝に

同居している姑の状態が八月に入った頃から急に低下してきて、いろいろ振り回されている今日この頃。太陽回帰図で自分が読んだとおり自身の介護問題が最大のテーマとなっている。

たくさん考えることがある割に中々アウトプットに至らない。書くべき事は満載でnoteやアメブロのネタは尽きないのにパソコンのキーボードに向かう気力が持てない。ネットで検索とか他人様の他愛のない記事をダラダラと読んだりして時間を潰してるので、時間がないわけでもないのだけれど。常に集中力に欠けてる感じ。

一応、生業が介護関係なので「途方に暮れる」ような支障はなく、むしろ「さすがケアマネだけある」みたいな評価さえいただけるスキルを発揮してる風になってるけれど、それとこれとは別、だったり「誰の親だよ」みたいな気分になったり、ケアする時は意外に冷静で客観的で職務的だったり、自分の気持ちや感情がほんとうに大きく多方向に揺れ動くのを感じている。
人の気持ちや思惑は1つではない。クルクルと変化するものだよな~って当たり前のことを実感する。

よく言われることだけれど、その立場になってみないと見えてこないものがある。そして、人の心の有り様はその人独自のもので、近づくことはできても正確にわかることはできない、当たり前だけれど。

気持ちとか感情とか精神とか、良くも悪くもそういうものが自分の器に充ちている時、それだけで目一杯。その混沌を少しずつ掬うようにして整理することが言語化。今は言葉の断片、断面が入り乱れていて表出が難しい。技術としても意欲としても。
それでも、少しだけ整理できた感覚はある。

脈絡なく書いてみた。noteもアメブロも停滞してるけれど、そういう時期。また書きたくなったら書きたいことを書けば良い。

*せめて毎月の投稿だけは続けなくちゃと思いつつ、近況報告として*

自分の記事は、自分のために書いてるので、誰かに読まれても読まれなくてもどっちでも構わない。何のため、誰のため、みたいなのもどうでも良くて自分のために自分が書きたいことだけ投稿する。
自分がそんな気持ちだから、他人様がどんな気持ちで書いても書かなくても、それは尊重されるべきと思う。誰がどのような感想を持ってもそれも尊重しなくてはいけない。
世の中、自分の思い通りにはならないのが常。せめて自分の機嫌だけは自分で良くしてあげなければ・・・・
だけど、自己完結してしまうと楽だけれど、取り残された感もあって複雑だったりもする。