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学歴フィルター 

敬愛するnoterさんたちが書かれていたので便乗。お二人とも学閥・学歴に左右されるより、人格や人間性を磨いて真の実力をつけるみたいな趣旨かと解釈する。自分も、そうだな~って共感する。高学歴を高評価する価値観は根強くあるしそれが社会の一面。だけど一面は一面でしかない。社会は多様だ。文句言う前に自分を認めさせる取組をしたり、広い視野をもつ世界を見つける事の方が有意義だと思う。

自分の最終学歴は高校卒なので、どちらかと言えば篩にかけられる方なのだろう。地方の平凡な普通高校なので、客観的にみれば低学歴と言って差し支えない。もうすぐ60になる年齢で、山間地の小都市での環境の中では、高校卒で就職って割と一般的な進路だと思う。今になってみれば「女の子だから高卒で充分」みたいな価値観はジェンダー平等の面で何だかな~って思う。
学業の成績だけは割と良かったので、先生方からは進学も勧められたけれど、親に逆らって懇願してまで、上に行きたいと思わなかった。女性蔑視とか学業の充実に無関心な親を恥ずかしいと思って進路の面談は憂鬱でしかなく、正直、無気力で自分の進路なんて何でも構わないくらいな気持ちもあった。

何の屈託も無く進学先を選べる人達には少し屈折した想いもある。大学とか専門学校・養成施設はその学校の入学試験に受かる力がある人が入学できるだけ。どの学校に入学して学ぶかは、全人格とはほとんど関係がない。
だけど、企業がその力を価値として選抜するのは、その企業の方針としてあると思う。自分たちが生きている社会って、そういう理不尽なことでいっぱいだ。自分の思うとおりに周りが動くことなど皆無と思っていいくらい。

高校を卒業して40年、進学した人、就職した人様々な同級生がいる。同窓会で会ったり、風の噂でその後の人生を聞いたりする。学生時代の成績とか進路と現在の状態にはあまり相関がみられない。良い学校に行って優良企業や役人になった人達が幸せになってるかというと幸せな人もいるし、不幸な人もいる。高校中退して中学卒業の最終学歴の人が、一国一城の主で事業拡大してるなんてこともある。

自分のことも振り返ると、大人になって経験を積んでいろいろなことを知ったり理解していく中で、身の処し方を覚えてきた。変えられないことを変えようと無駄な努力をするより、自分でコントロールできることに取り組んで変えられることを向上させることの方が楽だし有意義なことだと思える。
人に与えてもらう満足感より、自分で獲得していく満足感の方が高く得られるし持続するような気がする。

以前書いた「親ガチャ」とも共通する感じがするけれど、世の中は平等にはできていない。「学歴フィルター」に過剰に反応してしまうのは、何でも平等を目指して、個人差に目隠ししてきた教育の弊害なのかもしれない。