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泣いて、逃げて、書いて…自殺未遂から始まった人生の再構築 - 自己紹介note2

今日は、ライフハックもとい生き方的なnoteを発信するようになったキッカケ体験を綴らせていただく自己紹介noteです。

発信を始めたキッカケ

2017年9月(30歳)の時に自分は自動車工場の事務で派遣社員でした。この時期は特に恵まれていました。

が!

事務仕事に対してめっちゃ頑張って意味づけをしないと「やりがい」が見出せず「もっと楽しいこと、好きなことで生きていきたい!」そう思っていた時に一冊の本に出会いました。

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好きなことだけで生きていく。 堀江貴文


この本の一節に、こう書かれています。

遊びを仕事にする三つのステップ
(中略)
二つ目のステップとしては、
「思いを持って毎日発信をすること」
が必要だ。(p.181)


これを見た時「発信をして、好きなことを仕事にして楽しく生きたいっ!」と強く思いました。

そこから更に「自身の経験」からの学び・気づきを発信して、『同じように悩んでる人たちへ良いも悪いもひっくるめて人生を謳歌できるキッカケを届けたい!』という想いが生まれたのが始まりです。

ということで私が経験したこと、そこからの学びで伝えたいことはコレ。

自殺未遂を通して「書くこと」と出会って『在り方』が変わった話



さて、それでは「自身の経験」をほんの少ーしだけ書かせていただきます。(ホントは長いです)

焼肉屋店長就任

当時焼肉店を個人経営していた知人から「働いてみないか?」と、ご縁があり2012年3月(25歳)から2016年12月(29歳)の間お店の経営を4年11ヶ月にわたって任せてもらいました。

(お店自体は4人掛けの座敷が4つとカウンター席が4席の小さなとこで、お客さんの喜んでる顔が直接見れるお店。)

お店に勤める時に「ある想い」がありました。

それは、
「飲食店のブラックさをここで払拭するぞ!」

長時間労働・低賃金といった飲食業界あるあるを自分が経営させてもらうお店では覆したかったのです。

そんな前向きさも作用してか、焼肉店の経営は有難いことに2年ほど増収増益で右肩上がり。

店長としてお店に入った年の年間売上を2倍の1600万円にまで上げさせてもらえることができました。

悪循環の潤滑油「遅刻」

しかし3年目から段々と経営が難しくなってきました、、、


ここで一つお伝えしておかなければいけないのは私は小学生の時からずーーーーーーーーっと「重度の遅刻野郎」だった。ということです。

それは社会に出ても変わりませんでした。
週に3回も4回も遅刻をするし、営業時間が過ぎてから出勤したりと本当に周りには負担をかけ続けていました。

朝とにかく起きれない、目覚ましをどれだけセットしても聞こえない。目が覚めた時には出勤時間!そんなことはザラでした。

自宅から職場までは車で40分ぐらいの距離でしたが、車は持っていなかったので大遅刻した日はタクシーを呼び、高速を飛ばしてもらって出勤したりしてました。

そんなことをしてるとタクシー代だけで月に5万も6万も払うことに。

当時の月の給料は12万円。お金など貯めれるはずもなくストレスばかりが貯まる一方でした。

「お店の売上は上げれない」
「自分のお金も増やせれない、貯めれない」

そうして悪循環の輪にどんどんハマっていきました。

この頃は毎日思っていました。
「アラサーにもなって今だに朝起きれないなんて」
「こんな当たり前のことも出来ないなんて人間失格だ」
「知り合いだらけの職場だからこそ働けている。こんな自分じゃドコに行ってもキチンと勤まらない。勤まるわけがない!」

そんな感じだから、お店やお客さん、スタッフ、友達、家族、恋人、全ての人間関係と出来事、起きるトラブルや、それぞれの人たちの不平不満の声や態度に対して「自分がなんとかしなきゃ」「期待に応えなきゃ」とプレッシャーを日々感じまくっていました。当然自分自身のことは1ミリも肯定できず自己否定・自己嫌悪の連続でした。

逃亡・失踪・迷走

そうして4年目の年、2016年10月
お店を営業している途中(団体のお客さんが入ってたタイミング)で着の身着のままで店を飛び出して、その場から逃げました。

失踪した期間は9日間でしたが当時は本当に辛かった(と感じていました。)


逃げ出した直後にお客さんのオーダーを取る用のメモにその時の気持ちを涙と鼻水とヨダレを垂れ散らかしながら書きなぐりました。

今もそのメモはありますが、文字がぐちゃぐちゃで解読困難です。(今では「わ〜めっちゃ大変やったねえ、この時」と笑えるようになったのでホント良かった!)

それから人目を避けながら色んなところを当てもなく徘徊し、夜は漫画喫茶を渡り歩き「自殺の方法」「死後の世界」などのワードをたくさん調べてました。

「苦しんで死にたくない」
「自殺したあと障害を抱えて生き長らえたくない」
「確実に死ぬためには?」
「そもそも[死後の世界]があるのか?あるとしたら辛すぎる」
「生きることを辞めて、ある意味で解放されたいのに死んだあとも[自分がある]なんて嫌だ」


当時はそんな風に思っていました。

そして、そうした想いが巡りつつも首吊りを試したり飛び降りを試みてみる。

だけど、どうしても最後の一歩までが踏み出せないでいました。

試しては出来ず、夜には漫画喫茶で調べまくる。そうして死に場所を探し回る。
また試す。

そんな日々を繰り返していました。

死を考えた人たちの言葉や想いに触れる
色んな情報やサイトを見続けていると個人のページなどで「今から死にます」といった更新から、死なずに戻ってきて新たにメッセージを残す人、実行したが死にきれなかった人、それっきりの人、家族に更新される人など色んなパターンがありました。
その1つ1つに感じるものがありました。

そんなある日の漫画喫茶で太宰治さんの「人間失格(漫画)」と出会いました。

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人間失格/古屋兎丸,太宰治

「恥の多い生涯を送って来ました。」

「自分には、禍(わざわい)のかたまりが十個あって、その中の一個でも、隣人が脊負(せお)ったら、その一個だけでも充分に隣人の生命取りになるのではあるまいかと、思った事さえありました。」

「おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサーヴィスでした。」


こういった言葉の数々や心情がとても心に刺さりました。


この時期はずっと「自分でも訳が分からない状態」が続いていました。

だから、色んな人の言葉や想いに触れ「そうだ、まさしくその気持ちだ」「自分もそういう風に思っていた」となったのが良かったのです。

なぜなら悩みは言語化すると解決するから。

そうして間接的にも人に助けられて自分でも気づかない内に、この時から実は一歩ずつ一歩ずつ前に向かって進んでいました。(当時はその進んでいる感覚は1ミリも感じれてはいなかったんですけど、それでもちゃんと進んでいるんもんだよなあ、としみじみしてる今日この頃です)

人の役に立って死ぬために「書いた」そうしたら『在り方』が変わった

「どうせ死ぬなら自分も言葉と想いを残して、同じように死のうとしてる人に考えるキッカケを届けれるように」

そう思いコンビニで手帳を買って、お店を逃げ出した時から現在に至るまでの経緯と感情と想いを三日三晩書き続けました。

結論から言うと、この「書く」ということを通して前へ進むための一歩を踏み出せるようになりました。

もともと自分の考えや想いは人に喋らない。
嫌なことは言わない。
嫌な顔もしない。
嫌われないように。
頑張る。
頑張れ。
やらなきゃ。
こんなんじゃダメだ。
愚痴なんて吐いたらダメ。
人に嫌な思いをさせたらダメ。
人に相談しても万が一解決しなかったら、ただ人の時間を奪って嫌な気分にさせてしまうだけ。
だからもっともっと出来る人にならなきゃ。
もっともっと頑張んなきゃ。
こんな自分じゃダメなんだよ。

そんな風に生きていたので、「外に出す」という行為が圧倒的に不足していたんですね。

だからこの「書く」というのがスゴく良かった。

外に出す行為であることはもちろんのこと、
想いを言語化するから自動的に客観視できる。
対象は「紙」だから人に嫌な思いをさせないで済む。

一瞬で劇的に変わったわけでは無かったですが、そこから人生というか、『在り方』が変わってきました。

色々書き出したあとも、まぁぼちぼちありましたが、まあそれはご愛嬌、ということで割愛します。(当時関わってくれたみなさん本当に本当に感謝です。)

そして人生が一気に濃くなる

それから本当にたくさんの人の理解と支えのおかげでもう一度焼肉屋に戻って、みんなで話し合い「年末まで営業をやりきって閉店しよう」となりました。

そうして常連さんや友達に見守ってもらいながら2017年12月をもって無事閉店。

ここから自殺未遂で出来上がった土台に柱が立ち人生が加速していきます。

その後の仕事も、ご縁をいただき2017年1月から自動車工場に派遣社員として1年3ヶ月勤め事務仕事をしていました。

最高の環境でした。
・人間関係に恵まる
・新築ハイテク寮に住まわさせてもらえる
・給料が前職の2倍以上
・労働時間は50%削減
・人生初めての「大型連休」経験
etc

そしてその期間は引っ込み思案で心配性だったのが嘘かのように、ひたすらに動きまくりました。
・早起き、朝活
・行動のための読書
・英語できなかったけどタイに初海外一人旅
・断食30日チャレンジ
・東京→福岡ヒッチハイク
・会いたい人に会いに行く(当時は西野亮廣さん、堀江貴文さんなどに会いに行っていた)
・自己理解ツールへ投資(ストレングスファインダー、エニアグラム、ウェルスダイナミクス)
・「隠れたやりたいを見つける」ライフコーチング受講
・オンラインサロン内にて5分間のフリートーク
・派遣先の役職研修会にて講演
etc

ですが、時には辛く感じて「やっぱり生きるの辛い、、、」ってなる時もありました。

けれど、それすらも含めて本当に充実した日々を過ごさせてもらうことができました。
有難いです。本当に。

これからの人生に胸が踊る

そして2018年7月
このブログを書いている真っ最中の現状は、4月に自動車工場を退職していて無職に!

不安はもちろんあります!めっちゃ落ちることもある!(市県民税高い!)
が!
それ以上に人生を楽しむ!


もっといえば
「人生は面白いもんだなぁ」
そう心から思うようになりました。

今現在は、ご縁のおかげでイベント関係や業務サポート、読書関係で少しずつ稼がせてもらえることも増えてきました。有難い限りです。

そして改めて振り返ってみると、逃げ出したあの日から1年9ヶ月

その時には、今みたいに考えれるようになるなんて予想だにしていませんでした!

人生は先がわからないからこそ、まだ見たことないところへ、想像もしてないようなところへ向かえるんだ。

そう強く感じています。

最後にメッセージ

長くなりましたが、ここまで読んでいただき有難うございます。


まとめます!

過去の自分は悩みすぎて長い間「生きるのが辛い」「何をどうしていいか分からない」状態でした。そして一度ハジけております。

だからこそ同じように悩んでいる人へ『在り方』を伝え、生きる楽しさを見出すキッカケを届けたい。

そう思っています。

人生七転び八起きです。
転んだら起き上がれば良い。
また転んだら、また起き上がれば良い。
時には転んで起き上がれないときもある。
それならその時はそのまま横になってしまいましょう。

それでいいんです。
人間はもともと飽き性なんで、気づいたら立ち上がっていたりします。

そんなもんです。

日々を謳歌していきましょう^ ^

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toshi
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