言葉の理解の壁?文字は読める。文も読める。でも、文章、文脈、意図、真意まで理解できるか否かは個人差?どうしたら、壁は埋められる?埋められないならどうする?
ここ数年、伝えたい意図が伝わっていないことが多い。
真意にいたっては、ほぼ伝わっていない。
文章であっても、会話であっても。
どうしてかなぁって疑問に思っていたんですよね。
文字は読める。
文も読める。
文章になると、微妙。
そういう意味じゃないんだけど?
違う意味に伝わっていることがあるわけですよ。
会話であっても同じことが言える。
例えば、ダンナさんとの間で何年も伝わっていなかったこと。
私「畑の中の草刈りは、やらないでほしい。私がやるから」
ダンナさん「わかった」
と返事をしているのに、ダンナさんは、畑の中の草刈りをする。
大切に育ててきたハーブもも草だと思って、
草刈り機で刈り払ってくれる。
私は、なんでもかんでも、刈り払ってしまうから、
やらないで欲しいと頼んでいる。
ダンナさんは、言葉の裏を読んだつもりで、
「草刈りをやってほしいけど、自分が忙しそうにしているから、
頼めないんだろうな」
と勝手に解釈をして、草刈り機で侵入してきて、
草と一緒に大切にしているハーブも刈り払っていく。
ハーブは、ダンナさんにとっては、「草」と同じ扱い。
そこに悪意はない。
悪意はなくとも、結果は大切にしていた
「草」ではない「ハーブ」が刈り払われているという事実。
仕事であっても、同様のことが起きる。
伝わらない人には、ものすごく単純明快に
一言だけ「○○をやってほしいけど、お願いできる?」
と伝えるだけ。
○○だけをやって欲しい私。
○○をやるだけでなく、勝手に△△を付け加える相手。
結果、私が欲しかった結果ではなくて、
違った結果になっている。
言い方を変えたり、言葉でダメなら、
書いて伝えたり、伝える方法も変えてみる。
こちらが変わることで、何かが変わるかと
試してみるけど、どうも伝わらない。
求めた結果にはならない。
何度もそれを繰り返されると、
どうなるかと言えば・・・。
もう、その人には、何も頼まなくなる。
自分でやったほうが、ストレスはない。
違った結果、違ったモノができた場合は、
それを元に戻すか、作り直すか・・・。
余計な手間と時間がかかるわけですね。
結局まぁ、今はどうしているかと言えば、
そういう人とは、なるべく、かかわりを持たない。
仕事でも、その他の人間関係でもね。
とにかく、その人の近くに行かないことにした。
そしたら、なんとなく、うまく行くような感じがしてきている。
距離を取ることで、目の前にその人がいない。
忙しくても、人がいなければ、自分でやるしかない。
なんとか工夫して、自分でやりとげる。
忙しい中でもやり遂げた自分。
自分で自分の評価があがる。
自分が成長したことが、自分で実感できる。
自分の中では、好循環が起きる。
もう一つ、その人との間に、何か起きたとしても、
なるべくスルーする。
そこで、相手のことをいろいろ非難したところで、
ますます関係性が悪くなるだけだからね。
ダンナさんとは、縁が切れないので、
とにかく、言葉の裏読みはしないでほしい。
やってほしいことは、きちんと頼むから、
頼んでいないことを勝手にやらないで欲しい。
ダンナさんなので、はっきりと言えることは、
はっきりと伝えました。
「言葉の理解が悪い」ということ。
それについては、仕方のないことだからとも伝えた。
多分、遺伝とか環境とかいろんなことが絡んでいる。
私が感覚過敏だったり、不安になりやすかったりすることも、
簡単には、なんとかできないことなので、
それと重みは同じ扱い。
自分の中で、そういう風に捉えなおすことができると、
ダンナさんのやることも、あきらめたり、スルーすることができる。
ダンナさんも、やっと理解ができた感じがしている。
人それぞれ、個性もあって、理解力の差もあって、
得手不得手もあって、いろいろがごちゃまぜになって、
わかりにくくなっていることが多いのですよね。
今回は、言葉の理解について、思っていることを書いてみた。
良い悪いではないのですよね。
それぞれに、得意なことがあれば、苦手なこともある。
それ以上でもなければ、それ以下でもない。
自分の得意なことを活かして、
苦手なことは、誰かに助けてもらう。
そういう意味でも、言葉の理解力は、ある程度、
身につけておいた方が良いとは思います。
私だって、最初から今のように言葉が使えたわけではありません。
この文章であっても、私の言葉の真意が伝わっているかは、
私にはわかりません。
言葉というのは、もしかすると、そういうものかもしれませんね。
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