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なんでMelbourneだったのか。-My lovely Melbourne -

9月24日火曜日、晴れ。
今日はなんと最高気温24℃という、いまのメルボルンでは貴重ななんとも、過ごしやすい、あたたかい日。

仕事をして、その帰り道にいつものお気に入りのcafeで、アイスほうじ茶ラテを頼む。
さて飲みながら歩いて帰るか〜って思ってたら、誰かがまさにこの天気にぴったりななんとも、やわらかなちょっと甘い声で、わたし好みの歌を歌っている。 



やっぱり歩いて帰るのはやめて、図書館の前で座って買ったほうじ茶ラテを飲みながら彼の歌を聞くことにした。

今日は天気がいいからか、芝生の上で寝ててたり、おしゃべりを楽しんでいたり、ただぼーーーっとしていたり、その横ではスケボをしていたり。と、各々が各々のしたいことをしている。あーー、Melbourneだなーって感じる。


あと、3週間後にはわたしは、片道切符でMelbourneを去る。今回は本当に最後の最後。もうMelbourneに戻ってくる予定はない。
たった1年の予定だったのが、結果的に3年弱もを過ごすことになったMelbourne。わたしにとって間違いなく第二の故郷だろう。

今日このいま瞬間に、わたしがMelbourneをこんなにもだいすきな理由が詰まってると思った。

たっっっくさんのcafeもあって何でもありふれてるこんな都会の中心地なのに、誰もがゆったりできる場所がある。都会のなのに、別にみんな急かせかとしているわけでもない。
天気が良い日には外でゆっくりする。
いつでもプラン変更可能な、心の赴くままに行動ふらっと行動できる、このゆるやかな空気感。

昨日、友達と朝活しに行ったcafe

もともと、のんびりな性格な岐阜の田舎出身のわたしにはなんともちょうどいい街なのだ。
岐阜にはない都会感あって、でも岐阜のようなのんびりとした空気感も持ち合わせてる。そんな感じ。笑


Melbourneで過ごす中で、こーゆーただ座って歌を聞くなんて意味があるのかないのか、みたいな時間を過ごすことが増えた。
でも、私にはこーゆー時間が必要で、この時間こそがわたしの何気ないちょっとした毎日をちょっと幸せに彩ってくれるということに気づいた。

岐阜でもただ座るなんてことはできるけど、彼のように素敵な歌を歌ってくれる人は残念ながらいない。それは本当に何もなさすぎてちょっと退屈。かといって、東京では歌を道端で歌っている人はいるだろう、でもみんな忙しそうすぎて、立ち止まるにはちょっと勇気がいるし、こんなに座ってのんびりもできないだろう。私1人何してるんだろうっていう気分になりそうにもなる。


ちょうど先週末、別々の人から立て続けにこんな質問をされた。
1人は私のマネージャーから、1人はタスマニア出身のお客さん。

「都市を変えずにMelbourneになんで3年住んだの?」
「なんでSydneyじゃなくて、Melbourneだったの?」とも。

まぁそのときは適当に、それっぽい答えを答えたのだけど、まさにその答えが今日のこの今瞬間にあるような気がした。都会すぎないこの都会感がわたしはとても好きなのだ。
多分わたしにジャストフィットしているのだと思う。


その日その気分で行動をすること。
いま、この瞬間を生きるというと、大袈裟に聞こえるかもしれないけれど、でもそーゆーこと。
そして、それはわたしのいまの幸福感に繋がっていると思う。日本で過ごしていたときに感じ得られなかったなにか。それがここMelbourneにはあると思う。

いい天気だったら、外に出てのんびりするし、雨で寒かったら家にこもる。
基本的に特に冬は曇りで肌寒い日が多く、1日の中に四季があると言われるくらい天気の動きが激しいMelbourneで過ごしてみて日本にいた頃より、天気に敏感になった。

ただ天気が良い日ってだけで、なんだかちょっと得したような幸せな気持ちになれる。

It’s a beautiful day!!!
って気持ちが今はすごく分かる。

あぁーやっぱり、だいすきだMelbourne!!!

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