なくす前に伝えたい@Twitter
誰かの訃報を聞いて「惜しい人をなくしました」と言うのはとても簡単ですけれど、その人が生きている時に「あなたがここにいてくれてうれしい」と言える人は一体どのくらいいるでしょうか。
そうやって本当に伝えたい言葉を伝えないまま、終わった後に「もっとああすればよかった、こう言えばよかった」というのはいい加減に止めないと。(120129)
書いたきっかけは、グスタフ・レオンハルト(オルガニスト)の訃報を聞いたことだったと思う。最後の来日公演のチケットを取れずがっかりしていた直後に知り、二重の衝撃を受けたのだ。
Twitterに投稿したのはかなり前なのに日常でそう思う機会が増えたからか、毎年見かけるたびに言葉の重みをひしひしと感じている。
それにしても。
著名人に向けてだと素直に語れるのに、自分の身近な人にはなんで同じように言えないのだろうね?
失ったことできれいに見えるものがそこに存在していた時には、そのきれいさに気づけていただろうか。
もしかしたら、自分の中であるものよりもないものを礼賛する理由があるのかも、ね(あるいは失う前に気づけなかったことへの後ろめたさなど)
色々思うことはあるけれど
会いたい人には会いに行って、伝えたいことは伝えることは今後も大事にしていくことにしよう。