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【ゆるてつメモ】2024.12.18「『頑張る』と『無理する』の境界ってどこだろう?」(byゆーへー)
【テーマ】頑張ること
【問いだし】
①自分のためだけに心底頑張ることってできるのか。
②「頑張る」と「無理する」の境界ってどこだろう?
③「がんばれ」が薄っぺらいのは無責任さを感じるから?
④評価されなくても「がんばる」自分に送るお決まりのご褒美は?
⑤頑張ってって言われることは辛いこと?
⑥頑張ることが美徳とされるのはなぜか
【哲学対話】
・ニュアンスとしては違う。適正に評価してくれる人がいれば、無理せず、自分としては頑張らずに、頑張っていると評価してもらえる。自分は頑張っているという認識が薄いのかもしれない。「無理している」って案外自覚症状がないことかもしれない。無理しているかどうかは、多くの人の平均から考えるのか、本人の幸不幸で考えるのか。
・頑張ること、無理することは「絶対評価」ではないな、と思う。「相対評価」であるなら、自分自身の評価か、他者からの評価なのか?
・「頑張っているかどうか」で評価されることが、そもそもおかしいんじゃないか?学校教育で、能力差のある子どもたちを、できるだけ平等に評価しようとして、「頑張り」で評価しようとして、それが大人になっても続いている?「頑張る」の評価が、人に「無理をさせてしまう」のではないか?
・「頑張る」に対して、「頑張らなくていいからやることやって」となることもある。それは絶対評価に近いかも。結果に到達したかどうか、は分かりやすい。「到達しなくても頑張った」には価値はあるのか?頑張ったかどうかにかかわらず、結果として得られるものはあって、それに対して評価することはあるかも。
・「頑張る」には3つくらいの意味合いがある気がする。①現状と理想のギャップを埋めるためのもの、②才能の差を平等にするためのもの、③集団的、社会的な連帯感のためのもの。どれも「無理をする」には繋がりうる。①は理想の設定が高い場合。②あいまいな評価者の主観によって。③同調圧力や共同体のメンバーからの期待などによって。
・承認欲求から、誰かから認めてもらうために頑張ることもある。認めてもらうことを、自分の頑張りのためのエネルギーにできているかどうか。承認欲求をエネルギーにしてるかどうか、が、「頑張ること」と「無理すること」の境界にあるのかもしれない。
・亡くなった身内のために頑張る、という気持ちも承認欲求なのか?自分のためだと、同じことでもなかなか行動に移せない。その人の才能は「誰かのため」ではなく「社会に還元するため」と考えていたけど、やっぱり「だれかのため」もあるのかな。「頑張る」のモチベーションはどこにあるのか?「誰かを喜ばせるための努力」と「頑張る」はイコールなのか?
・自分はあまり人からの評価を気にしないので、「承認欲求の頑張り」は当てはまらないと感じる。自分の決めた目標に対して、今の取り組みが足りなければ「頑張る」というイメージ。他者からの評価はあいまいで不確かでわかりにくい。行動と結果のわかりやすい基準を大切にしている。脳死していても数をこなすのが「努力」。「頑張る」には手段を考える過程が含まれている気がする。
・自分も他者も切り離すことはできない。「承認欲求」と言うと固いけど、「誰かを求める気持ち」「他人と自分に自分を認めてもらいたい気持ち」はある気がする。「努力」と「頑張る」はほぼイコールかも。「頑張る」には「今より未来」というニュアンスがある。だから自分は、頑張りすぎると、未来ばかり見て今をおろそかに、犠牲にしてしまうイメージがあって、それが「頑張る」のすこしマイナスな印象を感じさせているのかも。
・今のとらえ方、未来も今の延長だと考えられるかどうかも重要かもしれない。今のため、未来のため、のエネルギーの配分の仕方が、「無理しているかどうか」に関係しているのかもしれない。
・過去の自分に対して、「頑張った」と「無理してた」だと、意味づけが全然違う気がする。
・他人から「頑張ったね」「無理してない?」「頑張って」と言われることについて、どう感じますか?
・あまりどれも言われた記憶がない。会社である程度評価されているのは、直接言われなくても「頑張っている」と思われているのかもしれない。もしかしたら、別の言葉に言い換えられているのかもしれない。普段あまり、「頑張る」「無理する」と言う言葉をあまり使っていないと思う。思ったりもしない。
【感想】
・ちょうど「がんばる」ことがわからなくなっていた時期だったので、皆さんの話を聞いてすっと理解できた気がしてよかった。
・人から言われる「頑張ってるね」「無理してない」と言われることはあるけど、あまり気にしていない。自分なりに夢中になれるように、パズルのようにいろんなことを組み合わせて工夫して頑張っている。自分のかなでは無理ではなく楽しい、楽になっている。自分の承認欲求も満たせて楽しい時間だった。
・「頑張る」って、他人から言われることじゃないよな、と思った。自分で「頑張った」と思うかどうか。人から「頑張って」と言われるときは「無理しろ」と言われていることになると思う。他人からは言われたくない。自分のモチベーションやたのしみのために頑張りたいと思った。
・人からやとわれて「もの作らされ」を仕事にしている。そのうえで、結果は一緒だけどその過程で自分なりの工夫や楽しみを見出している。頑張らなくても、頑張っているという評価と結果を生むポジションを作っている。
・過去の自分を肯定したり、相手のために努力しようと思うときには「頑張る」と言う言葉もいい感じで使えるかもだけど、多くのコミュニケーションでは、意外と使い方が難しい言葉なのかもしれない。「頑張らなければ駄目だ」という社会のムードを感じていて、それが嫌なのは、「無理する」や「今を犠牲にする」というイメージがあるからかもしれない。その社会的な「頑張りの強制」のようなっ空気に対して、どのようにふるまっていけばいいのか、今回話したことを踏まえて考えていきたい。