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【ゆるてつメモ】2024.04.03「政治的なニュースや社会活動との向き合い方、自分とのバランスの取り方について」byふうね

【テーマ】フリー


【問出し】
①どんな時に「怒り」を感じ、どんなふうに「実際に怒る」でしょうか?
②政治的なニュースや社会活動との向き合い方、自分とのバランスのとり方について
③心って何?
④親友って結局なんなんだろう
⑤戦争は無くならないか?(だとしたら何故?)
⑥お風呂に入って後悔することは無いのに、お風呂前には面倒臭くなるのは何故?
⑦意図的な情報操作ってあると思いますか?
⑧働き方について?仕事感について


・自分は仕事が忙しくて忙殺されているが、
友達に社会的問題に関心の強い人が多い。
自分が社会的な問題に対して参加できていないことに対してモヤモヤする。例:ボイコット(スタバ、マックなども含む)
⇒ たまの休みに利用するのが自分の個人的な幸せだったりもする
Q.そもそも社会的なニュースにどれくらい関心を持っている?

・本などのインプット 
⇒ 個人でどうにかなる問題ではなく、もうちょっと
政治のこと知ってた方が良いのでは? 
⇒ 政治おしゃべり会の企画など

活動する時、無力感とのせめぎあいになる。
(無力感が強いと行動に移すのが億劫)

ニュースでもSNSでも、流れてくる情報に対して
自分が実際に語ることができるとは感じられない。
例:スタバで買い物をすることによって誰かが死ぬとして、
代替えになる他のお店で買ったことに対しても他の誰かが死んでるかも?

自分のバランスのとり方:この行為がどう直結するかは分からないけど、
自分がしたいから&信じたいからやる。


・政治的な関心 
⇒ 日本の政治が分かっていない状況、ニュースもまともに見なくなった 
⇒ それに対して不便を感じていない
 ⇔ SNSなど他の媒体で上がってくる情報から
良くない状況を感じるものの、自分で行動に移したりはしていない

過去:狂牛病のときや東日本大震災のとき、
食べない選択をしたりデモに参加したりした。
 ⇔ 結局、原発が廃止されたりはしていない
 今自分がやっているのは、電気をなるべく使わないとか、
 エレベーターを使わないとか…

結局自分が何を選ぶのか。選んでも選んでもキリがない。
けれど……というモヤモヤに共感する。


・個人的で小さなニュースでも、拡大解釈して社会的ニュースと
捉えることができそう。
そのうえで、自分は一部(多様性、ジェンダー関連など)に興味が強い。
戦争などは「悪い」という意思はあるけど、
個人でどうにか出来るとは思えない"遠いニュース”という感覚で、
諦めてしまう ≒ 無力感
デモなどで自分からコミュニティと繫がるのは怖い。
⇒ 自分が求める情報の範囲と、他者が伝えたい情報に
ギャップがありそう。押し付け感?
Q.自分が信じていることを他人にどこまで働きかけていいもの?


・どこまで働きかけてOK? 
⇒ 相手との関係性によるから、難しい。

社会的な興味 ⇒ 以前:興味があった。 
今:情報って本当に正しいのかな?
意図的に操作が入っている情報なんじゃないのかな?
 ➡ 情報が怖い

戦争:せざるを得ない状況だから戦争しているはず。
表面に出ている情報は、作られたものだと思う。 
⇒ 自分にどうにもできない歯がゆさはある

情報の速さが凄まじい 
⇒ 情報に触れることって怖いな、と思う。
技術の進化で情報が早く取れるようになり、便利だけど
その弊害が出ていそう。
Q.皆さんの情報の取り扱いはどんな感じ?


・心を許している人に、自分が思っていることが
伝わらなかったとき・賛同を得られなかったときの経験がある。
=傷付き。
「万人に正しいかは分からないけど、自分はこれをやるのが嫌!」
⇒ 自分にとって近しい人にも伝えたいこと。
タイミングや言い方には気を付ける。

「情報」=味気ない感じ。
 「情報+実感」=より強い感じ。温かさの乗った情報?
 ⇒ 確かめようの無く、実感の乗っていない情報は「保留」にしておく

どの情報も、情報を発信している人の立場があって、
その人の意図が乗った「情報」である認識が必要。

情報が正しいか?よりも、
「この人と話す上でこの情報はどういう意味を持つか?」
に重きを置いている。


・自分は逆に情報を色んな種類そろえたくなる。
色んな角度からの情報を並べた上で、
自分の直観を信じるように選び取っているかも。

自分と社会的関心のバランス:自分や日常をひとまず重視するよう、
意識している(例:美味しい食事中に、
社会的問題に思考を占められていては勿体ない)


・相手にどれくらい信じるものを伝える?
 ⇒ "相手が受け取るかどうかを選べる形"にするように心がけている
(例:ストーリーズなど)

戦争下で子供や女性が危うくなっている = 明らかに悪
 ⇒ 誤った情報を発信しないように気を付けつつ発信する

情報収集方法が溢れていて、正しい情報を得るのが難しくなっている。
⇒ 情報収集が難しく、信じられないことが増えているから、
社会的な問題が話題に上がりにくいのかも。


・円滑なコミュニケーションという意味で、
自分が正しいと信じるものをやみくもに誰にでも伝えるのは
やめるようになった。(相手を見て話すか考える)

「知りたい」と思ったら、個人である限り 情報を集めてしまうのでは?
⇒ その場合困ること:情報が多いわりに、ほしい情報にたどり着けない。
自分で直接現実を見ることが本当の意味では正しい気がする。


【感想】
・自分も政治について詳しい方ではない。
テレビなどで観た情報をそのまま信じちゃう、
何が本当で何が嘘かって言える自分ではない。

一応日本に住んでいるけど、政治って選ばれた人がしてくれている。
一億人の中の一人の自分の一票が選挙に影響するか?

色んな角度からいろんな情報が入ってきて、どうしよう!と思う。 
いろんな情報との向き合い方を自分の中で考えていきたい。


・日本:植民地化や独立を経験していない、
というのも国民性(デモや社会的興味、モチベーションなどが低め)
につながっているのかも?


・情報の取り扱い=最後は自分で決めるしかないけど、
過程においてはいろんな人と話してみることで、
芯が変に凝り固まることを防げるのかも


・これからも興味のある社会的問題に触れては行くけれど、
どこかで日常との線引きをしていけたらいいな、と思った。


・結局自分の感覚しかないな、と思う。
自分が情報を集めないのは、溢れててキリがないから。 
⇔ 調べるときもある:「ホンマか~?」と自分が納得したいとき。
(自分の答え在りき、後付けの情報)

哲学対話の場のように一旦最後まで聞くことによって、
主張だけでなく背景や思考も分かり、
「無味乾燥な情報」⇒「情報+関係性」になる。



おわり

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