平らになる、点になる。
ついに今の私にとって最強の(と今は思っている)痛みを捕まえた。
なんでこんなに苦しいのかを、ずっと観ていた。探してた。
子どもたちが学校に行かないこと。
他と比べてうちは…とか、なんで…とか、もう何年もわかったようでいて、何度も繰り返し来る、この苦しさ。
これは私に何を受け取れと伝えてきているんだろう。
来年は次男が”魔”の中学入学…そんな感じすらあった。
よくよく観ていくと…
私の中にある絶望だった。
あの絶望がこうならないように、こうなってはダメだって、なんとかしようと圧をかけてきていた。
私が過去に、何者かになろうとして、なれなかった時の絶望。
これだった。
あの時の暗闇。
あの時のどう生きていけばいいのかわからない閉塞感。
あの時の孤独。
あの深い痛みだったんだ。
あの時、私は、何者かを目指し、それに手が届かなくて、絶望しながら何にも気づくことなく歩き出したんだった。
今やっとわかった。
あの時、拾って欲しかったのは、
何者でもない自分。
それでも生きる…という
私自身だったんだ。
何者でもない、社会的に何か立場のない私でも、私が私であるとわかり、認めていき、大切にしたかった。
だから、これほどまでに、何者でもなく自分自身を生きる子どもたちが、私の元に来た。
上も下もなく、社会的な役割や地位がどうとかでなく、自分を生きるという子どもたち。
ただ生きるを教えてくれてる。
そんなこと言ってもさ…ってエゴはすぐ言いたくなるけれど、今、社会的に見てたくさんの不安を抱える中、人間はどんどんシンプルに還らざるをえない状況に追い込まれている気もする。
どこへ向かうんだろう…
漠然とある不安の中、”自分”に根差す子どもたち。
自分はただ自分で在るということ。
揺れながらも自分の道を探り、上下、いい悪いを超えた、ただ一つの点へ、光へ、自覚を深めていく…そんな在りようを見せてもらっている。