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さて、どの仮面をつけて生きていこうか。
みなさん、今日もおつかれさまです、悠來です。
最近、LINEマンガにハマっています。
いろんな種類のマンガを読んでいますが、印象的だったのが
「ここは今から倫理です。」
その中でも、自分のことのように考えながら読んでしまった、「本当の私」について。
人間は、一人一人がその内に「人格(ペルソナ)」というものを持っている。人間は動物とは違い、遺伝を受け継ぐのみならず伝統を背負い、さらには伝統にさえ反抗し、新しいものに作り替える。
人間のみが一人ひとり違う「自己」をもち、己の信念を持ち生きている。
しかしこの「人格」は、うまれたときから人間に備わっているわけではない。
「人格」が備わっていないとされるのは、
①幼児人格:周りに構わず泣き叫んだり、突然走り回ったり。
②人格障害
③奴隷状態:主人の持ち物となっている。
人格は、生きているうちに自然と手に入るものではない。手に入れるためには、4つの性質が必要。
1、主体性
自分が自分であると自覚していること。自分と他人が別の個体だと自覚していること。
2、所有性
これ、あまりよくわからないけど、人格が身体を支配する、ということ。
3、統一性
発言や行動に統一した脈絡をもつ。
4、責任性
ちょっとよくわからなくなってきましたね。すみません。
一部引用させていただきました。
人格は、個人的なものと社会的なものに分かれます。
個人的な人格は、自分の心の中の話。社会的な人格は、自分という役者がつける「仮面」のようなもの。
エピクテトスのことばです。
記憶しておくがよい。君は演劇の俳優である。劇作家が望んでいる通りに、短編であれば短く、長編であれば長い劇を演じる俳優だ。
作家が君に物乞いの役を演じてもらいたければ、そんな端役でさえも君はごく自然に演じるように。足が悪い人でも、殿様でも、庶民でも同じこと。君の仕事は、与えられた役を立派に演じることだ。その役を誰に割り振るかは、また別の人の仕事である。
たとえば、わたしが持っている仮面。
・家での一人っ子、長女という仮面
・学校の実習グループで、頭がよくコミュ障の学生の仮面
・部活で、クールで少し話しかけにくい先輩としての仮面
・先生にはあまり自分から話さずひかえめな学生という仮面
ほかにもたくさんある。
そんなの、多重人格じゃないか?と思われるかもしれませんが、全部わたしなんですよ。紛れもなく私自身。わたしという役者が、様々な役割を演じているだけ。
その役割は、こうしたほうが生きやすいかなと思って自分で自分にあたえています。でも、試行錯誤の毎日。
自分では良かれと思って先生にニコニコ接していても、それは「先生と話すときのかわい子ぶった仮面」であり、「仲の良い同級生といるときの友達の仮面」ではないので、同時に使うことができません。どうしたらいいものか。
その場で一番溶け込める仮面を選んで、最高の役者になろうと思います。
好きな人の前になるとすごくわかりやすいと言われます。これは仮面というより、役者であるわたし自身の、個人的な人格があらわになっている感じが強いかも。かっこいい!すき!もっとはなしたい!すき!というきもちがダダ漏れだといわれますし、自分でもそう思ってます。