森塚歩夢
俺の波乱万丈な入退院記録です。
主治医が以前の主治医(当時研修医)ではなくなりました。 主に変わってしまったと思うところ ・言動がちぐはぐで言ってたこととやっていることが違うことが多い。 ・主治医の事情?があるのか知らないけれども、回診を増やすと言ったのに特に何も変化なかったこと。(ナースステーションには来てカルテ書いたりしてたと聞いてたが、俺の病室で回診しないと俺は主治医を目視で確認していないから意味ないよね) ・今まで普段使っていた頓服薬を全て変えられ、その説明も主治医からされなかっった。 ・入院日
2024年8月31日から任意入院が始まり、9月17日に精神科閉鎖病棟を退院しました。 主な理由としては、 ①休息目的が全く休息にならない ②他職種との連携が取れていない(看護師さんはめっちゃ頑張ってくれたし、とても気にかけてくれた) ③目の前で悪口を言われ、学生時代の虐めがフラッシュバックした ④主治医への不信感とちりつもとなった不満 こんな感じですかね。 主治医、薬変更の説明を怠るのはよろしくないでしょ…。 今まで使っていた頓服薬を全て変えられたことは流石にショックでし
「休息」が第1の目的、「薬物調整」もしていくということで始まった入院生活ですが、全く休息になっていない気がします。 対人トラブルを招きたくないので基本引きこもりなのですが、入院したことにより起きる様々な出来事にメンタルが追いついていけず、号泣したり大不穏になったりとかなり情緒不安定です。 毎日溜め息をつきながら食べてます。 また、俺が入院したことによって入金されていた生保を返還することになってしまいました。 退院したらまた保護費がもらえるみたいなのですが、俺はこのままいつ
入院してから個室にこもることを少しずつやめて、ホールにいるようにしてみようと思った。 結果、人が怖くて虐められた過去を思い出して辛くなり断念。 高齢者も高齢者で群れて「あの子誰…?」 →別にお前らに関係なくね? 若い人も仲良しで群れて「あの子誰?」「〜らしいよ」「へぇー、ぶっちゃけ意味ないよねwww」と悪口を言われる。 →完全に中学時代の虐めをフラバ ホールに居られなくなり、結局個室に逃げて来ました。 人が怖い。 確実に俺の事コソコソ言ってる。 見られている。 ナ
ばぶさんと2人暮らしを始めてから、ばぶさんは2回ほど入院しています(1つは解離状態によるODで緊急入院) 令和6年4月よりCWが変わりましたが、都合が合わなくて家庭訪問に来ることが出来ませんでした。 徐々に、ばぶさんの調子が崩れ始めたり、俺のセルフネグレクトのせいでばぶさんんの負担(特に家事)が大きくなって疲弊していきました。 申し訳なく思いながらも結局行動を直していかなかったせいで、ばぶさんは任意入院になりました。 途中、外出許可をもらって俺の通院同行を変わらずしてくれ
「可愛いね!」 そう言われるたびにモヤモヤする。 「GID」診断を得て、一度改名し、ホル注までしたパートナーが羨ましい。 誰もが「男性」と外見と声で判断して、CWが婚姻届まで持ってきた。 本人も苦しんでるんだろうとは思う。 そこは俺なりに理解しているつもりである。 ただ、散髪できなくて大不穏になった過去があるというのに、長くなった髪について触れるのは、正直「冗談でもやめてほしい」と思う。 なぜ散髪することができなかったか出来るなら思い出して欲しい。 俺は「GID」の診
最近はとても苦しい気持ちや存在を消したくなるようなこと、特にほぼ毎日起こるばぶさんとの会話のすれ違いから生じる不穏、転居をしたいけど全然進まない役所の仕事、など…他にも色々あります。 以前誰かから聞いたことのある「知能指数(IQ)が20離れていると会話が円滑に進まないという話、本当なのでしょうか。 これは俺がビビりで臆病で心配性だから起きてしまうことですが、少しの大きな音をばぶさんが出した時、「ここに俺の居場所はない」と感じて怯えてしまう。脳内では体育座りをしているような感
令和6年8月1日から今までの主治医(女医)とはバイバイして、8月13日の診察から主治医が変更になりました。 変更になったと言っても、実は初めましての先生ではありません。出会いは令和2年2月8日でした。その時の先生が当直医だったのです。しかも、まだ研修医でした。※この当時の話はまた別の機会に…。 何も変わらない大好きな先生 診察室の前で呼ばれるのを待っていました。凄く緊張しました。優しい声と口調は変わらないかな…もうすぐ呼ばれる?とハラハラで足をバタつかせていました。 呼ば
DIDが同一性の解離の障害と考えた場合、主人格と別人格が同視してたら解離じゃなくないか?
※今回の記事は心理療法である「暴露療法(エクスポージャー)」にも少し触れます。暴露療法…パニック障害、PTSD、強迫性障害などの精神障害の治療に適応されると言われています。患者のトラウマ体験となった場所や物にあえて触れることでストレス対象から慣れさせる治療法です。 災害に向けての備え 「備えあれば憂いなし」という言葉があるように、最近続く強い地震で俺とばぶさんはもう一度避難グッズを見直しておくことにしました。 俺は心因性の尿失禁を患っているので、常時吸水パッドが欠かせませ
増えてきた衝突 令和6年7月28日はばぶさんと家族になった記念日!! ずっと2人で「お寿司食べたい」と言ってたから、この日は絶対回転寿司にいく!と決めていました。 でも、何だか最近2人で過ごしていると、軽い言い争いになったり不穏になって薬に頼ったりとちょっと同じ空間にいることがストレスになってしまうことが増えていました。 2人とも児童期は相手に感情を上手く表出することが困難だったこともあったけど、定期通院やカウンセリングを受けることで徐々に感情表現ができるようになりつつあ
頑張るんだ 意思を、気持ちを伝えるんだ
あのアイコンは初心を思い出す
友人がマルチ商法みたいなことしてるんだけど、止めた方がいい感じ…?
俺は元から「考えることをやめられない」ぐるぐる思考の人間なんですよね。 最近は、考えることがちりつもに増えてきていてキャパオーバーというかパンクというか溢れ出しそうなので書き出してみようと思います。 話題に一貫性はありません。本当にぼやあ〜っと頭に出てきたことを綴ります。 ①主治医のラスト診察について 約3年間診てくれていた主治医は女医さんでした。俺の性格や特性を考慮してくれていたのですが、8月から長期休み?に入るので当然俺の主治医も8月から必然的に変わるわけです。引き継
俺は自分の性自認が分かりません。 小学生の時は学校に行ってるので洋服などの買い物は養護施設の職員に頼んでいました。 「どういうデザインの靴がいい?」と聞かれると毎回「かっこいいものにして!」とお願いしていました。 休日に買い物に行く時も他のコーナーとか見ずにかっこいい服の所に突き進んんで行きました。 フリル、リボン、スパンコールなどよく女子がお洒落でつけそうな物は一切興味ありませんでした。 学校でもずっとショートヘアだったので友人から「男の子かと思った〜、びっくりした〜」と