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知らないとヤバイ!教育において、少子化よりも怖いのは多大化?

「少子化」

この言葉は、現状の日本、そしてこれからの日本を象徴する言葉だ。

この「少子化」により、経済成長の問題、社会保障の問題、年金の問題など様々な問題が噴出してきている。

もちろん、この「少子化問題」を無視して生活することはできないのだが、もう一つ忘れてはいけない問題がある。

それは

「多大化」だ!


「多大化?初めて聞いた!」という方も多いと思う。多大化とは、読んで字の如く、子どもの数に対して”大人の数が多い”という社会構造のことだ。

この多大化がもたらす問題は非常に深刻だと感じている。

医療が・・・介護が・・・といった「高齢化」の問題ももちろんあるが、ボクが言いたいのは、この多大化が「子どもの成長を阻害している」ということだ。

「え?大人がたくさんいれば、それだけ子育てに手厚くできるんじゃないの?」と考える方もいるだろう。

実は、そうとも言い切れないのだ。

今回は、その多大化がもたらす悪影響について綴っていきたい。


先に結論からいうと、多大化がもたらす子育て(教育)における悪影響とは

「子ども時間」の喪失だ!


つまり、大人の目、大人の干渉、大人の価値観が一切入らない、子どもたちだけの時間、子どもたちだけの世界がなくなっているというとだ。


以下の図を見て欲しい↓

スクリーンショット 2021-01-13 5.31.24

高度成長期(1970〜1980年代)までは、Cの領域が大きいことがわかる。つまり、大人の介入がなく、子どもが主導権をもって過ごせる時間(子ども時間)が多かったということだ。


では、今現在はどうだろうか↓

スクリーンショット 2021-01-13 5.31.43

Cの領域(子ども時間)が極端に小さくなっているのがお分かりだろうか。

子どもたちは、一日を通して、親、学校の先生、学童の先生、習い事の先生などなど、常に大人の干渉に晒されているのだ。まるで、常に監視カメラで見張られているかのように・・・。

大人がいないAの領域においても、結局は大人がつくったゲームなどで遊ぶことが多く、大人の影響の輪から抜け出せないでいる。


では、子ども時間が喪失すると、どのような弊害があるのか、具体的に説明すると、主に以下の3つのことが言える↓

①危険、汚い、奇妙、うるさいといった子ども本来の本能が制限される。
②自分たちの価値観で判断する機会が奪われる
③責任をとる経験がつめない。


ー まず、①の弊害について ー

子どもは、基本的に「危険」「汚い」「奇妙」の3Kを好む傾向にある。それは、原始時代から自然界を生き抜いてきた私たちの本能にプログラムされているからだ。

子ライオンが遊びながら狩りを覚えるのと同じように、人間の子どもも遊びの中で、危険なこと、汚いこと、奇妙なことを体験しながら自然界で生き抜く術を学んでいく。

これは自然の摂理であり、決して争うことはできない。今の時代には必要のない体験だ!などと切り捨てることはできないのだ。

にも関わらず、大人の目がそこにあると

「危ないからやめなさい」
「汚いから触っちゃダメ」
「何でそんなことするの?」

と禁止させられてしまう。

これは、子どもの本能を押さえつけることになり、健全な心と体の成長を阻害することになる。

何事も、大怪我や命に関わることでなければ、ある程度は許容していくことが大切だ。

多少の痛い思いや、怖い思いなどを体験しながら子どもは成長していくものだ。

また、子どもは基本的にエネルギーに満ち溢れている。好奇心も旺盛だ。なので、大人からすると「うるさい!」と感じることが多い。

もちろん社会性を育てる上で、時と場合のことを考えて「静かにする」ということを教えることは必要だ。

しかし、今の学校教育のように、「静かにすることが美徳」「先生の指示を素直に聞ける子が賢い」といった教育を長期間に渡って施してしまうと、去勢された犬のように本来もっていたエネルギーが奪われてしまう。

つまり、子ども時間と一緒に子どもらしさを奪うことになるのだ。


ー 次に①と②について ー

②自分たちの価値観で判断する機会が奪われる
③責任をとる経験がつめない

この二つは密接に関わっている。

子どもは、当然、大人に比べて経験が少なく、判断能力が劣る。

なので、大人から見ていると、明らかに間違った選択や行動をしてしまうのだ。

それに対して大人は

「それは違うと思う」
「こうした方がいい」
「失敗するからやめておけ」

というように、大人の価値観をすぐに挟んでしまう傾向にある。もちろん、それが良かれと思っての行動なのだが・・・。


このように大人が介入すると、子どもはどう思うだろうか。

「自分は無能であり、信頼されない存在だ」

といった感情が生まれる。

つまり、自己肯定感の低下を招くのだ。


また、③の責任をとる経験がつめないことにも繋がり

「大人の判断に任せておけばいい」
「失敗したって自分の責任ではない」
「自分は関係ない」

と、どんどん他責思考になってしいく。

つまり、「自立」という本来の目標から遠ざかっていくのだ・・・。



しかし、学校現場に長くいた経験上、この問題は一筋縄ではいかないこともわかる。

そこには、大きな問題が立ちはだかるからだ。


それは

大人同士の監視の目だ

良かれと思って、子どもを放任(見守る、任せるという意味で)していると

「あのお家の子(あのクラスの子)はちゃんとしつけられてない」
「親(先生)は、指導力不足だ」
「ネグレクトだ!」

このように非難されてしまうのだ。


こうなると、自分を守ためにも、子どもへの干渉を強めていくことになる。

特に責任感の強い大人はこのような傾向が強い。

せっかく、「子どもを信頼して任せよう」という気持ちが生まれても、それを許さない社会がそこにはある。

これでは、いい教育などできない。


そんな思いから先日ボクはこんなツイートをした↓

そう、大人は片目を、時には両目を意識的につむる必要があるのだ。

先述したように、大人の目が少なかった昔はよかった。そもそも見えなかったのだから。

だからと言って、少子化、多大化を今すぐ止めることは、人間が自力で空を飛ぶくらい不可能だ。

ならば、子どもが視界に入っていても目をつむるしかないじゃないか!

子どもに任せる勇気が必要なのだ!

今からでも遅くはない、目をつむる練習を始めていこう。


もう一つの解決策としては、大人が指導者のポジションを捨てることだ。

以下の図を見て欲しい↓

スクリーンショット 2021-01-13 5.32.10

つまり、Bの領域(指導者)を減らし、Dの領域(ファシリテーター)を増やすということだ。

(※ファシリテーターとは促進者のことであり、ここでは、子どもの主体性を促進する役割のことをいう)

このように、大人はもう指導、評価という役割から離れることで、子どもの主導権を奪うことを避けるのだ。

もう少し詳しく説明すると、先ほど解説した、目をつむるという受け身的な対策だけではなく、「子どもが主導権を握りやすい環境をつくる」「主体性を発揮できる環境をつくる」という能動的な行為にあたる。


この「子どもが本来もっている力を引き出し、成長させる」環境をつくることが、本来の教育なのではないだろうか。


今までの、「教え導く」という価値観からの脱却し、本来の教育をとりもどす時がきたのだ。

みんなの力で日本の教育を変えていこう!


以上、ガクせんでした。

最後までお読みいただきありがとうございました。

良い一日を!

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