危険!?子どもらしさを奪う教育が、大人になれない大人をつくっていく話
「静かにお行儀よくしなさい!」
このような言葉を、子どもたちは日々大人から浴びせられている。
大人は、「早く一人前の大人になってほしい」「幸せな人生を歩めるようになってほしい」という子どもを思う気持ちから、このような言葉を発しているのだろう。
中には、「大人のコントロール力を高めたい」「子育てを楽にしたい」といった恣意的な思いもあるのかもしれないが・・・。
校則だったそうだ。大人が考える理想の大人像があり、その理想(規格通り)の人物に育てようと学校は必死だ。
しかし、このような子どもを矯正する言葉は
大切な「子ども時代」を奪う言葉
であるという恐ろしい現実をボクたち大人は忘れてはいけないのだ。
ボクは、公教育にたずさわりながら色々な違和感を感じてきた。その中でも「教育が子どもらしさを奪うっている」という現実にとてもやるせなさを感じていた。
「背筋はピン」
「手はお膝」
「お口チャック」
この授業を受けるときの基本姿勢は、一年生の時点でどの子も叩き込まれる。
その後も
「廊下は二列で黙って歩く」
「給食中、掃除中はおしゃべりなし」
「朝の時間は、座って静かに読書」
・・・・
このような教育を施された結果、6年生になる頃には、なんだか去勢された犬のように大人しい子たちができあがる。
中には、そんな大人の恣意的な矯正に反発し、攻撃的になる子もいるし、理不尽さに押しつぶされそうになって不登校になる子もいる。
そんな、間違った教育を施しておいて、最近の子は「行動力がない」「発信力がない」「素直じゃない」「精神的に弱い」などとふざけたことを大人は言う。
ちがう
「子どもらしさ」を発揮させてもらえていないだけだ!
ボクは、そんな「静かに大人の言うことを聞ける子がいい子」という学校の中にはびこる間違った価値観がどうしても肌に合わなかった。
もっと、子どもってわんぱくでいいんじゃない。
もっと、子どもって向こう見ずでいいんじゃない。
もっと、子どもって本能に忠実でいいんじゃない。
もっと、子どもって・・・。
色々な思いが頭の中に渦巻いていた。
事実、教育先進国のフィンランドでは、校則などほとんどない。服装だって、髪型だって自由だ。
だから、小学生でも髪の毛を青く染めていたり、鼻にピアスをつけていたりと本当に自由だ。心からファッションを楽しみ、自由を楽しみ、個性を存分に伸ばしているようだ。
しかし、ほとんどの子が、高校生を過ぎたあたりから落ち着いてくるとのこと、「あんなにド派手な格好をしていたのに」という子もすっかり落ち着いた大人になっていくのだという。
一方、日本は、高校生まで本当にやりたかったことを抑圧されてしまうため、高校を卒業して自由?になった瞬間に爆発させる。
髪を染め、カラオケで大はしゃぎし、他人の迷惑を省みない迷惑行為までする人も・・・。
つまり、フィンランド人から見たら、「あらあら大学生や社会人にもなってそんな子どもっぽいことしてるの?」と見られてしまいかねないのだ。
でも、それも仕方のないことだ、だって子ども時代にやりたかったことをやらせてもらえなかったのだから・・・。
成長にはちゃんと段階があり、そのステップをちゃんと踏んで行かないと上にはいけない。
それにも関わらず、日本の教育は、途中にある「子どもらしさ」という階段を踏ませずに、遥か上空から手を伸ばしては子どもの首根っこを掴み、大人の段まで引きずりあげようとする。
中学、高校を卒業して、やっと首根っこを離してもらえた子どもたちは、ようやく、自分の足で子どもの階段を歩み始めるのだ。
だったら、そんな子どもにとって遠回りさせるような、負担をかけるようなやり方はやめ、ちゃんと最初から「子ども時代」を子どもの頃に存分に楽しませてあげようよ!
とボクは心から言いたい!
そんな思いを込めて、先日ボクはこんなツイートをした。
そう!「素直に行儀よく」なんて二の次でいい!
フィンランドの子のように、子ども時代をしっかりと生きれたのならば、必ず後から身についていくから今はそんなに心配しなくていい!
親も先生ももっと肩の力を抜いていこう!
そしたら、もっと子育ては楽しくなる!
以上、ガクせんでした。
最後までお読みいただきありがとうございました。
良い1日を!
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