静かなクラスっていいクラス?
「先生のクラス静かですばらしいですね」
そんな言葉が当たり前のように褒め言葉で使われているのが学校現場だ。
しかし、果たして子どもが静かにしていることが本当に「いいクラス」なのだろうか?
12年間の教員生活の中で、その言葉にずっと違和感をもってきた。
一人ひとり個性はあるが、一般的に子どもは大人に比べて「自由」「活発」であるはずだ。
そんな子どもたちが30人から40人集まったクラスがシーン・・・と静まり返っていることは、逆に不自然なのではないかと感じていた。
なぜ「子どもが静かにしている」ことが褒め言葉に?
では、なぜ学校文化の中に「子どもが静かにしていること」が褒め言葉になったのか。
最大の理由は先生が心から恐れていることにある。
それは
「学級崩壊」
一度学級崩壊してしまうと、その教員は「ダメ教員」というレッテルを貼られてしまうのがこの学校という組織なのだ。
管理職の目、同僚の目、保護者の目
いろいろな目から「この先生のクラスは大丈夫だろうか?」という評価の目で縛りつけられのはているのが教員の現状だ。
少しでもクラスがうるさかったり、先生の言うことを子どもが素直に聞いていなかったりしている姿を誰かに見られたら・・・きっと「学級崩壊しそうなんじゃなのか?」と蔑まれてしまう。
特に今の同僚、保護者のネットワークはすごい!一瞬にしてその噂は広がる。
では、そんなリスクを回避するためにどうすればいいのか。
そこで多くの教員がすることが「管理・統制」だ!
それがうまくいっている先生のクラスはイコール「静か」になる。
つまり、「子どもが静か=いいクラス」という公式が成り立ち、「静かなクラスですばらしいですね」という褒め言葉が使われるようになったのだ。
本当にいいクラスってどんなクラス?
では、本当にいいクラスとはどのようなクラスなのだろうか。
ボクが思う本当にいいクラスは「子どもが子どもらしいクラス」だ。
つまり、失敗もするし、うるさいし、時には喧嘩もする。
そんなクラスを見るとボクはなんだか嬉しい気持ちになった。
そんなクラスが、何かに集中、熱中している時にこそ静寂は訪れる。そんな姿を見て「静かですばらしい」と褒めるのならば、その言葉は本物と言えだろう。
以前にボクはこんなtweetをした。
子どもの個性、子どもの笑顔、子どもらしさ全てを奪う管理教育は教育ではなく洗脳にすぎない。
そんなクラスが評価されている現状に耐えられずボクは「学校の先生」という仕事を辞することに決めた。
本当の教育がしたかったからだ。
これからの褒め言葉
このような現状は、子どもも先生もとても辛いものだと思う。
失敗したっていいじゃないか、うるさくたっていいじゃないか、先生に意見したっていいじゃないか
子どもなのだから。
これからは「先生のクラス、子どもらしくていいですね」が褒め言葉になる学校文化になることを願っている。
以上、ガクせんでした。
良い1日をお過ごしください。
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