子どもを育てたいなら、厳しさではなく○○を育てよう!
どうもガクせんです。
先日、ボクはこんなツイートをしました。
なぜ、このようなツイートをしたかというと、現代はまさに価値観の転換期だからです。
一昔前に隆盛した「根性主義」「精神主義」が今もなお残り続けている中、インターネットの普及によって新たな価値観が生まれてきています。
ボク自身の価値観も過去10年前と今とではまるで違います。
その過去と今の価値観の変化をよりよく表しているのが
教育には「厳しさ」か「楽しさか」
といった議論です。
今のボクは断然「楽しさ派」です。
かつ言うボクも、ほんの10年前までは「教育には厳しさが重要」と切に思っていた人間でした。
特に、自分自身がそれはもう厳しい環境下で野球をやってきたため「厳しさ」を否定してしまうと、なんだか今までの自分を否定してしまうような心情だったのかもしれません。
しかし、小学校の先生として12年間、直に子どもたちと接してきた経験と、その間に学んできた知識とを総動員した結果、ボクの価値観は180度変わりました。
そして、「厳しさ」と「楽しさ」の本質がわかってきたのです。
その本質とは
何事も、「楽しさ」が土台になければ成長はない
「厳しさ」は強制されるものではなく、自分が選択するものである
という二つです。
しかし、未だに教育界は、成果主義が横行し、「楽しさ」を教えようという姿勢が弱いように感じます。
「あれしろ」「これしろ」「あれするな」「これするな」
と色々なことを強要される現状。
カリキュラムという子どもの興味関心を完全に無視したプログラムが組まれ、「何のために学ぶのか」「この知識が何の役に立つのか」が曖昧なまま学習が一人歩きしていく。
スポーツに目を向けても、失敗すると「何やってんだよ!」と叱責され、「はやく走れ!」「しっかりしろ!」と監督コーチの怒号にも似た指示が飛び交うグランド。
これでは、いつまでたっても一人ひとりが「楽しさ」を掴み取ることなんて不可能です。
何よりもまず
「楽しさ」の根
を、その子の中に広げていってあげないと、貧弱な幹しか育ちません。そんな、貧弱な幹に「厳しさ」という強風を浴びせたならば、それはポキッと折れてしまいますよね。
一方、「楽しさ」の根が、自分の中にしっかりと根づけている子は、多少の「厳しさ」にも耐えられます。もっというならば、自ら「厳しさ」を選択するようになるのです。
これが、人が成長するということの本質なのです。
だからこそ、教育者はまずは「楽しさの根」を育てることに注力すべきといえるのです。
ボク自身を振り返ってみても、野球部時代のあまりにも厳しい叱責に耐えられず、常に野球から逃げ回っていたように思います。「上手くなりたい!」という気持ちはどこへやら・・・。
その「楽しさの根」さえしっかりと育てることができたなら、あとはオートマチックモードで成長していきます。
ボクが数々出会ってきたすごい教育者はみんなその「楽しさの根」を育てる達人でした。
誰一人、「根性だ!」「忍耐だ!」と厳しさを強要する人なんていませんでした。
子どもたちは、そんな「楽しさ」を教えてくれる大人を信頼し、温かい言葉の数々を血肉にしていくのです。
そして、自らの足で歩みだし、大きく成長していきました。
今後、「楽しさの根」を育てられる教育者がますます増えていき、子どもがスクスクと成長していける世の中になっていくことを願っています。
以上、ガクせんでした。
最後までお読みいただきありがとうございます。
良い一日を!
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