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重症!?学校には「どうしてそれをするのか?」という薬を処方した方がいい理由

「校則」
「宿題」
「テスト」
「成績」
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学校には、たくさんの慣習がある。これらのことは、学校教育の歴史の中で脈々と受け継がれ、今も存在している。

ボク自身も、小学校の先生に赴任した時は、「当然やるもの」として子どもに課してきた。

しかし、ボクの潜在意識の中では「違和感」の芽が生まれ、日を追うごとにその違和感は大きく成長していっていた。

その後、大きく成長した「違和感」は、ボクの顕在意識にまで到達し、ボクにこんな言葉を授けてくれた。

それは

「何のためにやるの?」

という言葉だ。

この当たり前ともいえる言葉を前に、あまりにも無思考に教育をしていた自分に愕然としながらも、その日以来、この言葉を忘れることはなかった。

「校則は何のためにあるの?」
「宿題は何のためにあるの?」
「テストは、成績は・・・」

そう考えるようになってから、ボクは公教育の場が辛いものになっていった。

なぜなら、その疑問から生まれる答えは、いつも「子どものため」ではなく、「学校のため」「先生のため」「国家のため」というものばかりだったからだ。

校則は、子どもを管理するため・・・

宿題は、上意下達の意識を植え付けるため・・・

テストや成績は、選別、抽出のため・・・

もちろん、「子どものため」という要素がゼロではないのだが、ベターな形とは口が裂けてもボクの口からは言えない。


一歩間違えると、教育現場はただの洗脳施設と化す。

本当の意味で「子どものため」を思うのであれば、様々な慣習を廃止または形を変える必要があると考える。

または、オルタナティブスクールをはじめとした、たくさんの教育の形を国が用意すべきである。

とにかく、今の教育現場は、「今までやってきたからやらなきゃ病」にかかっている。

やって当然でしょ!
常識でしょ!
当たり前でしょ!

そんな言葉がこの病気を深刻化させる。このような言葉は禁句にした方がいい。


変化の激しい現代において、一刻も早く

「それは何のためにやっているの?」

という薬を教育現場に処方しなければいけない時期にきている。


教育現場こそ、変化を恐れず、どんどんアグレッシブに挑戦していってほしい。そんな、姿を子どもたちも見ている。

今までの常識の枠をぶち壊していってほしい!

教育がより良いものへと進化していくことを心から願う。


以上、ガクせんでした。

最後までお読みいただきありがとうございます。

良い1日を!

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