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いつまで親鳥、雛鳥の関係を続けるの日本の教育!

「先生、次は何やればいいですか?」

学校の先生経験者ならば、この言葉を聞いたことがない、という人はいないだろう。または、子ども時代に自分が発しとことがある、という方も多いのではないだろうか。

それだけ、この言葉は日本の学校教育にはポピュラーな言葉になっている。

しかし、この言葉が教育現場で溢れていることにそろそろ危機感を覚えた方がいい。「はい、次はこのプリントね」と流している場合ではないのだ!


なぜなら、この言葉の裏には大きな学校のシステムエラーが潜んでいるからである。


先日、ボクはこんなツイートをした↓

そう、先ほど紹介した「先生、次は何すればいいですか?」と発する子どもたちは、巣から飛び立つ前の雛鳥と一緒なのだ。

餌をとる力がなく、親鳥からせっせと餌を口わたちで受け取る雛鳥だ。


まだ、小学校の低学年であれば雛鳥同様でいいのかもしれないが、小学校高学年、中学生、さらには高校生の子からもこの言葉を言わせてしまうのはどうなのだろう・・・。

いつ、子どもたちに餌を獲らせるつもりなのだろうか。このままだとくちばしなくなっちゃうよ・・・。

「最近の若者は・・・」という古代からボロ雑巾のように使い古された言葉を使い、子どもの責任にしている場合ではない。

「じゃあ、先生が悪い!!!」と、めっきり立場が弱くなり、のび太化している先生をジャイアンのようにいじめている場合でもない。


本当の原因に目を向ける時がきたのだ。

そう、歴史の中で作られてきたシステムエラーに今メスを入れる時なのだ!

そのシステムエラーこそ

「政府の決めた学習指導要領に基づく教育をしろ!」

という国の基本方針のことだ。

つまり、日本の教育には、カリキュラムがあり、「この教科のこの内容を○時間程度で教える」ということがすでに決まっている。

もちろん、教育の均質性を保つという視点においては大いに効果を発揮しているのは事実であるが、「あまりにもやることが多すぎる!」というところが正直な感想だ。


先生は、とにかくこのカリキュラムに振り回されている。

1年間という有限な時間の中で、全ての内容を消化しようと必死だ。


だから、とにかく子どもたちに「次はこれ、その次はこれ!」と親鳥が餌をせっせと運ぶがごとく「やることや知識」という餌を与え続けることになる。

もちろん、次々と餌を与えられる子どもたちは消化することに必死で、自ら獲物を狩る暇などない。

中には、与えられる量が多すぎて、消化不良を起こしてしまう子、「もう食べたくない!」と逃避する子までいる。


話をもとに戻すと、そんな関係を長く続けた弊害が「先生、次は何をすればいいですか?」という言葉に現れているのだ。


自ら、主体的に知識を獲得した経験のない子どもたちは、いざ自由な時間が訪れると困る。「次は、何を教えられるのかな?」と待つことしか知らないのだから。

逆もしかりで、先生は、教えることしかしてこなかった。「それが教育だ」と勘違いしている人もいる。

いきなり、子どもたちに「私のやり方でやります!」と先生のコントロール下から外れ、主体的に動かれると戸惑ってしまうのだ・・・。

そうならないためにも、先生は「この課題が終わった人は、この課題やって!」とやることをひたすら用意しなければいけなくなる。

子どもたちのもっている能力や特性は千差万別なわけで、それに対応していかなければいけない先生は、チョンと指で押せば倒れそうなほど疲弊している。

先生は疲弊し、子どもは自立できない


これでいいわけがない!明らかにシステムエラーだと言える。


このエラーを修正しなければ、日本の教育に未来はないだろう。


まずは「やること」を減らす勇気を、自由を与える勇気を国がもたなきゃね。

その勇気を国がもてないのであれば、子どもを自立させるなんて逆立ちして富士山を登るくらい無理な話だ。


子どもたちを信じ、自ら動き出せる余裕と環境をつくっていこう。


以上、ガクせんでした。

最後までお読みいただきありがとうございます。

良い一日を!

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