何も無いこともないが
何も無いことはなかったけれど、特に何を書くというわけでもない日。
そんな日がたまにあってもいいじゃないか。
そう思いながらも年末年始の。特に昔のことを思い出しながら書いている。
もう年の瀬も近いというのに、けっこう暖かい日が続く。
子供の時分には霜柱をザクザクと踏みしめていたものだが、はて最近ではあまり見かけない気がする。
都会で地面を見ないというのならわかるが、田舎はそこらじゅう地面が露出している。
やはり冷え込みが弱いのだろうか。
今年は雨こそ降りはしないものの、冷え込みが足りないと干し柿が乾燥しない。
乾燥が進まない干し柿は軸の部分がもげてしまい、地面に落ちてしまう。
さらに雨まで降って空気が湿気ってしまうと最悪だ。
やはり季節相応に気候が巡ってこないと、障りが出てくるものがある。
そういう感覚も田舎で暮らしているからこそ感じたり、目に見えるものなのかなと思う。
薄れてしまった師走の雰囲気
風物詩。
年々感じる "師走" という感覚の薄れは一体何だろう。
年末の慌ただしい買い出しはしなくとも、店は元日から開いている。
開いてしまっている。と表現したくなるくらい開店している。
(有り難いことではあるのだけれども)
昔は金融機関も正月は休み。コンビニは無かった。
大人たちは年末が近づくと、ある程度の現金を確保していたものだ。
(それだけに空き巣被害も多かったが)
店も年末年始は正月休みに入るので、食料確保に繰り出す。それに付いて買い物に行くのも何となくワクワクして、楽しかったものだ。
特別感というか、非日常っぽい独特の雰囲気。
なんだか普段の生活と師走や正月の区切りがすっかり薄れてしまい、だらだらっと年越しをして、なんとなく「ああ、正月か」くらいの感覚で年を越してしまっている。
不自由さは減ったかもしれないが、利便性とのトレードオフで感じられなくなってしまったもの。
懐かしい思い出と共に、ちょっと寂しいような、味気無さを感じてしまう。