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瞬間を掴み取るむずかしさ
運命の神様は、その瞬間にしかチャンスを掴ませてくれないとか。
いくら過ぎ去ったチャンスを悔やんでも、後ろから掴むことは叶わない。
私は文章で似たような経験を何度もしてきた。
「ちょっと後で書こう」「今は手が離せない」「人と話している最中だから」・・。
その瞬間は風呂の中で訪れるかもしれないし、高速道路を運転している最中かも。
とにかく文字通り "時と場合を選ばず" なのだ。
困ったことに。実に困ったことだ。
現代では様々なツールや文具が溢れているが、いざそれを堂々と人前で、いつでもどこでも使えるかとなると話は変わってくる。
どんなに便利なツールがあったとしても、使えない状況というのはいくらでもある。
ー いつか未来には頭に思い浮かんだ言葉や文字列、絵やグラフなども瞬時に保存できる技術が誕生するかもしれない。 ー
そんな状況を、周囲の目を気にせず行動に移せる人であれば関係のない話だろう。
残念ながら私にはそこまでできない。
人の目も気になるし、人との会話を止めてまでペンを走らせる胆力もない。
ー 情熱が足りないのだけなのかもしれないが。 ー
あれこれと考えている内に浮かんだ文章は過ぎ去ってしまい、後には "何かがあった" であろうモヤモヤとした後味の悪い気分だけが残る。
なんとか思い出そうとしてジタバタと足掻いてみるが、過ぎ去った後に残るのは舞い上がった土煙のようなもの。
足掻いても土煙がまた舞い上がるだけで、通りすぎてしまったものが何であったかさえわからなくなってしまう。
時々、幸運にも一部を思い出せることがあるが、大抵は何かのパーツが足りていなかったり、想像とは違ったものができあがってしまう。
"神は細部に宿る" というが、とんでもない作品を残した偉人たちはその瞬間を捉え、逃さないのだろうと想像する。
いついかなる時もその瞬間に集中、没頭し、ある種の神憑り的な状態で作品を作り上げていったのではないか。
現代は "スマホ" などの便利なツールがあるが、あっても "その瞬間を逃さない" という強烈な情熱がなければ切り取れない。ほとんどの人は躊躇してしまうだろうから。
私もその内の1人で、道具があっても "残したい何か" ではなく、後悔が残ることがほとんどである。