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【自分で自分のご機嫌をとるということ】

「自分で自分のご機嫌をとる」それが大切なことだと言葉ではわかっていても、それを自分なりに落とし込んで実行できているかというと怪しい。

noteで、「「世間的に〇〇は人気、好きな人が多い、高級、映え」というイメージをもつ場所や物があったとしても、必ずしも自分はそれに当てはまらないことに気づいた」」という趣旨の記事を読んだ。
なるほど、私にも最近心当たりがあった。

①植物が好きだと思い込んで花や小さな観葉植物を買ってみたけれど、毎日お世話し眺めるほど好きではなかった。
鉢植えの植物より、公園に立っている背の高いイチョウの木とか、そういう木の下で散歩やざわざわ風の音を聴くのが好きなのかもしれない。

②文房具(ペンなど)が好きだと思い安いものから少しだけ揃えてみたけれど、特に使い込むこともなく、眺めて幸せになるでもなく。
一番使っているのは、シンプルな0.28の極細ボールペンだ。職場で使うペンもカワイイキャラクターものではなく使いやすさ重視。

③自己啓発本
勉強にはなるが、わくわくして読み込んだり時間を忘れて一気読みをするほどではない。読んでいて楽しい本は、物語やファッション雑誌だ。

そして以下は、あ、やっぱり好きかもという事。
①運動(体を動かすこと)
ジムに行ったり作業的に動かすのも好きだけど、ゲーム感覚で動かすのが好きかも?曲に乗せて動かす音ゲーやダンスが楽しいと感じる。ユーチューブなどの軽いエクササイズ動画もよい気分転換になる。

②ドライフラワー
生きた花も好きだけど、駅中にある花屋さんなどに、思わず立ち寄ってしまうほど好きではない。
花屋や草の名前もろくに知らないし勉強してこなかったからそこまで好きではないのだろう。
ドライフラワーは、部屋に何個かあるが少し落ち着く。

③シール
かわいいシールは貼ったり眺めたりするだけで楽しい。

④セルフネイル
自分で5回くらいやってみて、「あ、楽しいかも」って思った。上手くできたものはもちろん、
不器用な出来の時も爪に何か色が乗っていると眺めるたびに嬉しくなる。費用もそんなに高くないし、SNSでやり方の動画を見るのも楽しい。

⑤書くこと
タイピングが比較的早いこともあるだろうが、昔から作文やレポートの課題は爆速で終わっていた。脳内をつらつら文字にすることが苦手ではないのだと思う。
人から見て読みやすいかは微妙かもしれないけれど、書いた文章を褒められたり注意が少なかったりすることのほうが多かった。
私も自分の文章を読み返して、「頭にすんなり入ってきて結構読みやすい、好き」と思っている。

昔好きだったお絵描きは、どうなんだろう。
きっと、雑誌やシールや文章と上手く融合していけば、またペンをとれるような気がする。


こんなふうに自分のご機嫌をとるということを振り返ろうと思ったのは、昨日の夫とのやりとりが原因だ。私は、ふとした人の言葉や行動に一人でプチショックを受けやすい。
特に、親密で悪気のない家族からの言葉だ。
友人とは楽しくできているが、それは一線を引いているし、気遣いをしているからだと思う。
親密になればなるほど「素の私を受け入れてほしい」という子供の私が活発になる気がする。
昨日の夜も、夫のからかいに私のテンションが明らかに下がったので、夫は「家を建てるなら広い台所がいいね」とか、おいしいものを買ってきてくれたりするのだ。
多分それは、そういう「手段」しか知らないからだ。
当たり前だ。私の沈んだ気持ちを癒せるのは私自身しかいないのだ。
バイアスや考えすぎや思い込みで相手に他意はないことでもマイナスに受け取ってしまうなら、それは私自身が直したり別のことでご機嫌になって「ま、いっか」という気持ちにならないと解決にはならないのだ。

これは逆のことも言える。
夫も疲れすぎたり、アトラクションに乗る前や乗った後の緊張している状態では、「無のモード」になる。ディズニーランドに行ったとき、私がなかば無理やり付き合わせたのが悪いけど、そういうモードになったのがすぐ分かった。
こうなったのは二回目で、もう仕方がないことなので、私は私の意見を言い一人で楽しむしかない。
ただ、「つまらないし、悲しい」という意見はちゃんと伝えるようにしている。
というか悲しみが態度にでてしまうのである。
これも時間がたてば自然に解決するもので、怒っても喧嘩しても仕方がないので、私たちは結婚含め同棲して1年以上経つが、いまだに喧嘩したことがない。

感情的にならないのが、大人になってからの付き合いの良いところかもしれない。

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